2012-04-06 20:46:32

土佐観光犬ナナ

テーマ:想い出


まさ子の旅日記  Masako ナナとおそろいの服を着た小松満祐さん 春になり暖かくなっても、この服を脱ぐ気持ちになれないのは、服に亡きナナがこもっているような気がするから。

まさ子の旅日記  Masako
  

2012年1月1月19日 17時53分 高知市帯屋町のアーケードでご主人を待つナナちゃん。


 土佐観光犬の意地、ナナちゃん


 このときは最初の一枚目はあんまり不安そうでさみしそうだったので、筆者は、

「ナナちゃん、いいお顔して」と呼びかけた。

 まるで聴こえたように、彼女はつぶらな瞳をぱっと見開いた。

 隣に知らないご婦人がいて、

「あれ、ナナちゃんが起きたねえ」

と、いった。だが実際はナナはこのとき、心臓を病んでいてどうして歩けないか自分ではわからず、ひたすらご主人を求めていた。

 見ず知らずのわたしにそれでもいわれた通り眼を見開いて愛らしい表情をみせたのは、高知の観光犬ナナの仕事熱心な気持ち、意地であった。


 ナナさんは、なぜ観光犬になり、倒れるまで「働かねばならなかった」か? これを語る前に、まずわたしは小松さんとナナさんと読者にお詫びしないといけない。


 2月に本欄に掲載した筆者の記述内容に誤りがあり、小松さん及び関係者のみなさまにご迷惑をおかけした。申し訳ありませんでした。心から謝罪申し上げます。



 小松満祐さん〔63〕は、高知県野市町のなだらかな平野で育った。

物部川の支流、舟入川の産湯である。おじいさんはお百姓だが地元の世話人となり、先祖は私財を投じて戦前に北岸の道を作った。こんなことを聞かされて育った小松さんにとっては、人を助けること、何か役立とうとすることは身に染み付いたことであった。

 さらに公務員であった父親は巻き込まれて汚名を着たまま、責任を感じて自死の道を選んだ。

 公務員の世界がどういうものか、政治家、警察がどんな縦割り世界か、その家族の死によって、肌で知った。

 このことが小松さんの中で、激しい反権力への精神を生んだ。

 それが県であれ、警察であれ、曲がったことにはぎらぎらする執念で噛み付いていく。まさに土佐の闘犬であり、ときにはそれが家族には重荷になった。


「本気で人助けしようとしたら、家族を失う」

と、小松さんはぽつりといった。「妻が出ていったのは、わしのボランテイアのせいや」

 ひとりになった小松さんのもとに、娘さんが犬を連れてきたくれたことから、相棒になったのが、コーギーのナナであった。犬とニンゲンのカップルは、その後、六年間、帯屋町を中心にゴミ拾いの活動をするようになる。


 筆者もこの時期、放射能がこわくて逃げ帰っており、このカップルを土佐の街角で何度か見かけた。

 ニンゲンは人形をたくさんぶらさげた楽しそうなリヤカーをひいて、長い金物でゴミを拾っており、その隣には寄り添うような犬の姿があった。

 わたしは小松氏の名前は知らなかったが、道行くひとの呼び声で犬の名前を知った。


 いつだったか、高知県庁で昼前に、ナナが入り口にいるのを見かけた。よく来るのか守衛さんが何やら声をかけ、三人ほどのご婦人が頭を撫でたりしていた。


「そりゃ、わしが県庁でけんかしゆうときじゃろう」


 ナナは人なつこく、誰にでも疑うことをしなかった。

 亡くなったとき、毒殺されたのではないかという噂が一部でささやかれたのも、あまりにやさしい犬だったからである。 いつでもいっしょ。小松さんのやむにやまれぬ人助けを一番理解していたのは、ナナちゃんだった。


「わしは、ナナにニンゲンを疑うことを教えざった。そのことがあの子を殺したがじゃないかと思う」


 最初に具合が悪くなったとき連れて行った医者は犬の専門ではなく、「犬はときどき具合が悪くなるものだ」という言葉をそのまま信じた。


「ナナはのう、子犬のとき、うんと元気やった。五台山をかけまわり、庭でも走り回りよった。わしゃ、そんな病気を持っちゅうらあいうて考えもせんかった」


 筆者が写真を撮ったその日、ナナちゃんは犬の専門医に連れて行かれる途中であった。「なぜ、もっと早う連れてこざった?この子は慢性心臓疾患じゃ」

 ドクターの言葉が耳から入ったとき、小松さんは自分のせいだと思った。わしのせいで病気にしてしまった。

「息が苦しかっつろう。雨の日は冷やかったけんどナナはいっつも嬉しそうにしちょった」


 九歳のいのちは、明け方、小松さんの膝の上で、眠るように切れた。

 すっと何かがかるくなり、いなくなったようであった。まだあたたかいからだが、柔らかな毛並みもそのままなのに、腕の中でだんだん硬くなっていく。


 ナナ、ごめんよ。守れずにすまざった。

 小松さんはわび続けた。


「小松さん、ナナちゃんって、じっとおとなしく待ちよった。眼がかわいかったですよね」

「もう、いいなや。わしゃ、死んでから一ヶ月はビールも呑んじゃあせん。呑んでも、うもうなかった」


 おそろいで作った毛皮のオーバーを着たまま、かつていっしょに来た帯屋町のアーケードのベンチで座りこむ日が続いた。

 さみしさのあまり一人の家に帰られず、友人宅へ転がりこんだ。歩けなくなったナナに作ってあげた特性の車椅子も捨てられない。

 大きな耳と、やさしい眼で見上げてくれていた。小松さんひとりを信じ切っていた。そのことが呑んでも酔えないほど切なかった。


 女子高校生がナナちゃんの銅像を作りたいと便りをくれた。中央公園にハチならぬナナの像を作りたいと署名を集めるひとも出た。


 筆者は先に、ナナは観光犬として「働かねばならなった」と、括弧付きで書いた。それは、ナナが命令されて連日、帯屋町に出勤していたという意味ではない。

 愛する主人のために、働かずにおられなかったのだ。

 それが結果的にどういのちを縮めようと、主人がゴミ拾いに出かければついていきたかった。

 小松さんがナナを守れなかったのではない。逆である。ナナが小松さんをその小さなからだを張って守ってくれていた。


 

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