グローバル化と向き合うとき
シンプルさに学ぶ必要がある
インフラ整備の進め方や、スタジアム構造の違いから見えるのは、リスクに対する考え方です。日本人の場合、「交通渋滞があってはならない」「選手がスタジアムの乱闘に巻き込まれてはいけない」などと綿密に調査・分析をするところから始めます。まさに「万難」を排してとことん準備をします。
しかしブラジルの人たちは、とにかく「なるようになるさ」と楽観的なのです。根底にあるのは「サッカーを楽しく観られればいい」というシンプルな考えなのでしょう。だから一体感のある競技場で、もし歴史に残るような名勝負が繰り広げられると、人々の記憶に刻まれ、長く語り継がれることになります。
もちろん、シンプルな考え方が裏目に出て、利便性を欠いたり、不測の事態に陥ったりする可能性が残されてしまいます。どちらが悪いというのではなく、国民性・文化の違いがあり、グローバル化に向き合うときに、私たちはそれを認識しておかなければならない、ということです。
とはいえ、W杯に続き、2年後にはリオ・デ・ジャネイロ五輪を控えているなか、関連施設は「建設中」というところばかり。リオの市長が「間に合わなかったらロンドンか東京でやってもらうさ」という趣旨の発言をしたという噂を聞くと、心配は尽きません。
日本が忘れていた「世界で勝つことは
紙一重の差である」という常識
では、日本人の国民性が良いことばかりかというと、これはこれで見つめ直さなければならないと思います。まず、テレビをはじめ日本代表に対する過剰な期待論について振り返ると、そもそものところで「世界のサッカーに勝つこと」を甘く見ていたのではないでしょうか。
1997年のフランス大会アジア予選の頃はW杯にたどり着くことすら大変なことでした。しかし2002年に自国開催でベスト16に入り、共催の韓国がベスト4に入ったことでアジア勢が躍進し、アジア枠が拡大。W杯に出られる障壁はグンと下がりました。
南アフリカの前回W杯でカメルーンとデンマークという強豪を破ってベスト16に入り、翌年にはなでしこが世界一になり、世界の超一流と肩を並べた気になっていたと思います。
確かに、南アフリカ大会以降、急激にヨーロッパでプレーする日本選手が増え、ザック・ジャパンの主力も一挙にヨーロッパ組になり、明らかにプレーの実力は、この四年間で、上がっていました。また、ワールドカップ直前に行われた試合で、日本が3対1で下したコスタリカが、ベスト8に進み、さらに、準々決勝で、強豪オランダを延長戦同点まで追い込んだ(結果PK戦で敗退)ことからわかるように、日本チームも、実力的にいえば、いろんな好要素が重なればコスタリカのように準々決勝で活躍する可能性は十分あったと思います。