ブログをはじめたばかりの記事でいきなり「(読者の)みなさん」と書くのはアレな気もしていますが…
みなさんはカゲプロの名前を何度も目にしていながら、実は読んだことも視聴したこともないのではないでしょうか。
ぼくは自分自身がそうだったので、なんとなくその気持ちがわかります。
楽曲名や作品名のネーミングだったり、ニコニコ動画のボカロ文化だったり、「しづ」のイラストレーションだったり、自分が手にとる作品ではないような感覚が強い。もっと端的にいうと、世代の壁、そしてコミュニティーの壁を感じるわけです。
ゆえにこそ、ぼくはいまカゲプロを読んだほうがいいのだという気がしています。
カゲプロは、明確に思春期の女子中学生層に向けて書かれています。しかも読者の彼女たちはいわゆるセカイ系的な感性を非常に強く持っているとぼくは考えています。
しかし、かつてセカイ系作品については様々な考察が生まれていたにもかかわらず、そういう方向からカゲプロへの言及が(少なくともぼくの目から見ていると)少なく思われるのは、おそらくジェンダーの問題が大きく関係していると思っています。
この作品がたとえば男子中学生に向けて書かれていたなら、美少女ゲームや萌えアニメを語ろうとする人々から、もっと熱狂的に語られていたのではないか。カゲプロが、「カゲプロ厨」という言葉を産み、同じオタクやニコ厨からも嫌われる傾向を散見することができるのは、ひとえにこれが「女子中学生向けの文学だから」だとぼくは考えています。
じん(自然の敵P)は思春期の女子中学生に言葉を刺すのが非常に上手い。たとえば女子向けのライトノベルレーベルとして、小学館のルルル文庫やビーズログ文庫、ベリーズ文庫のようなレーベルがあるわけですが、そうしたレーベルの多くが女子の欲望に露骨に迫る表現を採用しています。
しかしそうした表現と、カゲプロは一歩だけ線を引きます。
たとえばカゲプロの主人公とされるシンタローは男性であり、小説の「カゲロウデイズ」1巻の「人造エネミー」は彼のパソコンに女の子のキャラクターが住み着いている設定からスタートしますが、これは一見むしろ男性読者を誘う設定に見えます。
これは「女の子の欲望を叶えるキャラクター造形を採用しているわけではないよ」というポーズをとっているのだと思います。ここで「主人公が女の子で、パソコンに男の子のキャラクターが住み着く」ような露骨な設定であったならば、むしろ「興ざめしてしまう」――そういうある意味センシティブな読者層(女子中学生)を相手にしているのがカゲプロなのです。
このスタートにおいて読者に刺さるポイントとして重要なのは、彼が「いまだ何者でもないネット依存で同人活動に憧れる引きこもり」であるところ。ニコニコ動画のランキングを文化的な指標にする、そういう女子中学生に向けて書かれているので、まさにここが刺さるわけです。
いっぽうで続く章の「如月アテンション」は女の子を主人公に「人の目を集めるアイドル」という、女子の欲望に応えるかのような設定を採用。「学校の外で活動し」、異能に恵まれ、さらにそれをきっかけにかっこよさげな男の子たちがいる「校外の」メカクシ団に加わる展開は、まさに女子中学生の欲望に応える展開ですが、しかしこの前に「人造エネミー」を持ってきたことが大きいなとぼくは思っています。
また、モモがたどり着いたメカクシ団には、キドやマリーといった女の子のキャラが配置されています。これは「露骨な逆ハーレムにはしない」配慮です。「興ざめ」を阻止する機能を持っているのだと思います。
何が言いたいかというと、じんの小説は、思春期に中二病的な感性をまっすぐこじらせた女の子に、非常に的確に届くように書かれているなと思うわけです。
そうして実はいわゆるセカイ系的感性に非常に近い作品でありながら、二十代以上の男性読者をきれいにブロックしてしまうようにもつくられています。
楽曲タイトルの感性、イラストレーション、あらゆる要素が的確に男性オタク(それも特に二十代以上の男で、美少女ゲームや萌え・日常アニメを消費してきた層)との分断をはかっていて、実は時代的にも非常に興味深い作品であるにもかかわらず、あまり批評的な空間の中で語られなくなってしまっている理由だと思っています。(さやわかさんなどの一部の人が語ってはいますが)
しかし、ゆえにこそ――ある種の人々に支持されていないからこそ――こうした「女子中学生向け」の表現に、ぼくはこれからの文学的な可能性、アウトサイダー的で新しい可能性が、存在しているのではないかと最近考え始めました。
このブログでは今後、そうした10年代の新しい文学についてのことを綴っていきたいと考えています。
とりあえず夜中に思いついて衝動的にブログを開設し、実はとりあえず今思っていることを書いただけです。正直、このブログはどこに向かうかまったく無計画状態で「新しい文学」とか言っているだけですが、今日のところはこのへんで。