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『数学する遺伝子』 [☆☆]

・脳のどんな特性が、私たち(の一部)に数学の実行を可能にしているにせよ、その特性は、数学ができるずっと前からあったはずである。とすれば、その決定的な特性は、何らかの他の目的を満たすために進化したにちがいない。それはどんな目的だったのか。

・1900年には、世界中の数学の知識を集めても1000冊の本におさまるくらいだった。今日では、知られている数学をすべておさめるには、たぶん10万冊くらい必要だろう。

・今日の数学者は「数学とは何か」という問いに、どのように答えるだろうか。もっとも一般的なのは、数学とは「パターンの科学」であるという答えだ。

・数論は数と計数のパターンを研究する(算術はそれを使う)。幾何学は形のパターンを研究する。微分積分法は運動のパターンを扱うことを可能にする。論理学は推論のパターンを研究する。確率論は偶然のパターンを扱う。トポロジーは距離と位置のパターンを研究する。

・数学のパターンはたいてい複雑で抽象的なので、記号以外の方法であらわすととんでもなく煩雑になってしまう。したがって抽象的な表記は、数学の発展にともなってしだいに増えてきた。

・抽象概念の処理に限界があると、数学をするのに最大の障壁になる。

・一般的な人が計算を実行するときに、もっとも強い活動性が見られる領域は、前頭葉のうしろに位置する左の頭頂葉にある。この領域は、指をコントロールする領域でもあることが、同様の研究で示されている。

・数学の数直線は、数が等間隔にならんでいるが、心の数直線はそうなっていない。直線に沿って遠くへいくほど、数と数の間隔がせまくなっているらしい。だから被験者は、53と52のどちらが大きいか判断するのに、5と4の場合より時間がかかる。心の数直線上では、大きな数のペアは小さな数のペアより「くっついて」見えるのだ。

・飛行機以外の物体は、放すと地面に落ちるが、何がそうさせているのだろうか? 「重力」とあなたは答える。しかしそれは、名前を与えたにすぎない。それだけでは、まだ何も見えない。それを魔法と呼ぶのと変わらない。

・数学者は、数学記号でいっぱいのページをながめているとき、記号を「見ている」のではない。それは鍛えられた音楽家が、楽譜の音符を「見ている」のではないのと同じである。音楽家の目は、音楽の記号からじかに、それがあらわす音を読みとる。同様に数学者も、数学の記号からじかに、それがあらわすパターンを読みとる。

・ほとんどの人は正多面体が5種類しかないと知ると驚くかもしれないが、正多面体に関する数学の法則があることを知っても驚かない。

子供は算術をごく幼いときに教えられるので、かなりそれに熟達できる。しかし「別の算術」を――高校で代数を、あるいは大学で群論を――習う頃には抽象を自然に習得する能力を失っているだけでなく、さらに悪いことに、たいていは、習得「できない」という思い込みを作り上げてしまっている。そして人生のものごとはおおむね、本人がそうなると思っているとおりになる傾向がある。

・幾何学は何年か前に、もはや今日の世界にあまり関係がないという間違った考えから、選択科目になったが、これはそのような決定を下す立場の人の中に無知な人がたくさんいることを示している。

・裏返すべきカードはEと7である。この課題は、見方をちょっと変えるとやさしくなる。ルールに反した組み合わせは母音と奇数の組み合わせだけだ。したがって4枚のカードがルールにあっているかどうかを見るには、この禁じられた組み合わせが起きていないかどうかをチェックする必要がある。つまり、母音か奇数の書かれたカード――この場合はEと7――を調べることになる。

・およそ700万年前に、一部の類人猿が森を出る危険を冒し、開けたサバンナに足を踏み入れた。この移動はサルの消化器系に一つの酵素ができたことが原因だったという説がある。この説によれば、サルはその酵素のおかげで熟していない果物を食べることができるようになったが、類人猿(とその子孫の私たち)は、今日にいたるまでそれができない。そのためサルは、いつでも食べ物が手に入るようになったが類人猿の食べ物は、彼らが食べられるようになる前にあらかた消えてしまうので、少なくなってしまった。類人猿が生き延びるには、木から降りて森床や、森のはずれで暮らすしかなかったのだという。

・「老犬に新しい芸を仕込むことはできない」ということわざがある。

・いちばんよく知られている例はおそらく、数学や物理のさまざまな分野に出現する定数πだろう。無関係のように思える二つの場所にπがひょっこりあらわれたりすると、それが偶然だということはまずない。それは一般に、その二つのドメインがどこか深いところでこっそり結びついていることを示している。

・人びとがどんな話をしているか、どれくらいの時間をそれに費やしているかをさりげなく記録した。その結果、平均すると会話のおよそ三分の二は、世間的なことがら――誰が誰とどうしたか、それはいいことなのかどうかとか、人間関係の問題やそれをどうすればいいかという話題、職場や学校や家庭で起きた問題や出来事などで占められていた。つまり噂話である


・たとえ政治やスポーツのことになっても、そのほとんどは、要は関係者についての噂話である。人びとが話すのは、おもに他の人のことなのである。

・訓練されたテロリストは、長期間にわたって人質をとる際に、人質と日常的に接触するのを避ける。人質について少しでも知ってしまうと、殺さなくてはならない状況になったときに殺せなくなるからだ。同じ理由で、テロリストに対峙するエージェントは、実行犯が人質について知る機会を増やすために交渉を長引かせる。

・クラインは数についての情報を貪欲にとりこんでいるのだと想像してみよう。クラインが39601の平方根はいくつかと聞かれるのは、ダイアナ・ウォッチャーが、ダイアナ妃がチャールズ皇太子と結婚する前に乗っていた車の種類を聞かれるのと同じようなものだと想像してみよう(答えは199とミニメトロ)。

・私はπを見ると、すぐにあらゆる関係性をともなったそのイメージが心に浮かぶ。小説の中で、ヒーローの名前がちょっと出てきただけでも、あらゆる関係性をともなった豊かな人物像が心に浮かぶのと同じように。

・結局のところ、マラソンを走るのに特別な才能はいらなかったのである。ほとんどの人は、走りたいという十分な熱意さえあれば、マラソンを走れる。才能が問題になるのは、誰よりもうまく走りたいと思うときだけである。数学も同様である。数学ができるための鍵は熱意だ。

・これは、私たちの生活は自動車に依存しているので、誰でも車の修理ができなくてはいけないと言っているようなものだ。たしかに自動車に依存した社会では、適切な数の熟練した自動車技師や整備士が必要だが、大多数の人は運転のしかたを知っていれば十分である。数学についても同じことが言える。

・社会変化が加速している今日では、既存のスキルがわずか数年で時代遅れになり、新しいスキルが求められることもある。親の世代なら有益だったと思われるような職業訓練は、今日の若者には役に立たないだろう。

・散歩やジョギングの日課が体にいいのと同じように、数学的思考の日課は頭にいい。

・それを間違っていると考える人は誰であれ、よりよい説明――知られている事実やオッカムの剃刀により適合した説明――を考え出す義務がある。

・「ものをつなぎあわせること」が、言語をはじめとする人間に特有のさまざまな能力の裏にある、かなめの心的能力である。



数学する遺伝子―あなたが数を使いこなし、論理的に考えられるわけ

数学する遺伝子―あなたが数を使いこなし、論理的に考えられるわけ

  • 作者: キース デブリン
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2007/01
  • メディア: 単行本



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