禁女子高生とは女子高生モノの動画、画像、妄想で自慰行為をすることを禁ずる行為のことである。
これをすると人生の嫌な澱がなくなって、人生が捗るようになる。歩が軽くなる。
今回は禁女子高生というライフハックを紹介したい。
1.俺は女子高生が好きだ。
俺は女子高生が好きだ。(もちろん抱いたことはない。抜いたことしかない。)
ほんの少し前まで、女子高生と付き合いという欲望が強かった。
女子高生と付き合えない人生に嫌気が差していた。
女子高生と付き合えない自分が惨めだった。
女子高生の魅力はかわいい、エロい、純朴?など色々ある。さらに俺はそのような魅力とは別次元のところでの執着心もあった。
俺は彼女いない歴イコール年齢だ。
そのような男にありがちなことなのかもしれないが、心が青春時代(高校時代)のままとまっている。
彼女と放課後に教室で会話をする。
彼女と一緒に学校を帰る。
彼女と手を繋ぐ。
彼女とキスをする。
彼女とセックスをする。
そのようなキラキラとした青春時代を体験できなかった事に対する怨嗟はすさまじいものがある。
普通は高校時代にこういう事を経験できなくても大学で彼女でも作れば、うまく現実と折り合いをつけていけるのかもしれない。
しかし俺は、大学時代彼女もできなかったし、友達もいなかった。
だから、高校時代に彼女ができなかった事に対する苦悩をうまく片付けることができていない。
なんとしてでも女子高生と付き合わなければ、一生人生は輝かないとさえ思っていた。
2.女子高生とは付き合えない
現実はこうだ。
女子高生とは付き合えない。
俺が女子高生と付き合えない苦痛に焼かれている。しかし、現実には付き合う事ができないのだ。
女子高生と会う機会がない。接する機会がない。機会があっても活かせない。
あるとき俺は気づいた。一生女子高生と付き合う機会はこれからないだろう、と。
つまり、
「JKと付き合えないと生きる意味がない」
という思想と
「女子高生と付き合える可能性はほぼ0%」
という現実が激しくぶつかりあった。
大体、条例が禁じている。
女子高生の制服を脱がすことも、女子高生に息子をかわいがってもらうこともできない。女子高生の柔肌に頬を擦り付けて「あへへ~~~」と言うこともできない。
そこで俺は泣きながら決心した。
3.禁女子高生の開始
今までは女子高生モノでしか抜いていなかったのだが、女子高生モノで抜くこと封印することにした。普通の20台の女の子しかオカズにしないようにしたのだ。
もちろん、それは苦悩だった。
今まで醤油でしか目玉焼きを食べてなかった人間が、ソースで食べるようなものだ。
始めは股間の息子も乗り気ではなく、欝気味になっていた。股間に抗不安薬を与えようとさえ思った。
しかし、人間の脳とは不思議なものだ。
きれいなお姉さんで抜いているうちにきれいなお姉さんで簡単に興奮できるようになてきた。
この変化は俺が通ってたピンサロなども関係あるのだろう。ああいうお店にはJKはいないから。(ただJKの制服を着てたから完全に禁JKできなかったけど!)
ピンク色のサロンで出したい白い液体よりも大切なもの - 25歳ニートが35万円で上京を企むブログ
ピンサロが童貞メンタルクリニックと呼ばれてるのもうなずける。
女子高生を封じているうちに女子高生への性的な欲求が減り、そして女子高生と付き合えないことに対する怨嗟も次第に減って行った。
人間の性癖には生まれつきの傾向がある。しかし、それは絶対的なものではない。
例えば、首長族に生まれたら首が長い女の子に興奮するように、文化や周りの環境によって性癖は変わる。(首長族に対する誤解があったらごめんなさい)
例えば、熟女好きではなくても40台の女性に毎日性処理をして貰っていたら、しらないうちに熟女も射程圏内に入るだろう。
だから、女子高生を封じれば次第に性欲は別のものへ向かい、執着心も消える。
4.現在
まだ完全ではないが、女子高生とお付き合いができないことに対する怒りは消えてきている。あくまで禁女子高生はJKに対する性欲を軽減させるためのもので、輝かしい青春を送れなかった苦悩を軽減させるものではないので、完全に怨嗟を取り去ることはできないだろう。
ただ実感として気分的に楽になっているのは感じる。
街中で女子高生を見つけても目で追いかけることが減った。
昔はギラギラとした目を向けていたのに。
俺の人生をハードモードにしていた「女子高生と付き合えないと人生に意味はない」
という思想はなりをひそめがちになり、人生の難易度が低下したことを感じる。
みなさんも明日から少しずつでいいので、女子高生を禁じて欲しい。
そうすれば明日から人生の輝きがまします。
あと早起きとかすればもっといいんじゃない?
しらんけど。
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