子どもにゲームを買ったあとの作法
さて、わたしにはこどもはいないが、ゲームを愛する自分(こども)とそれを俯瞰で眺め生暖かく見守りときにいさめる自分(おとな)という両価性において、子どもがいるのと同等の成人であることを主張する。自分で自分にゲームを買い与え、自分で自分の理性を恐れながら我を忘れてプレイし、自分で自分をときには律する。「明日は、仕事ですよ、mah?」「そのソフトは、前作もやったけれど、ダメだったでしょ、mah?」ご多分に漏れず大体において律するのに失敗しておりゲームの海に溺れ積みゲーは財産だと言い放ちつまり見てみぬフリをし今日も今日とて中古ゲーム屋でゲームを買ってきたところではあるが、しかし何度でも言うがわたしはおとなであるがゆえに、こどもとしての自分にゲームを買い与えたあとの作法は心得ている。
一つ、ゲーム時間を管理しない
よくゲームは一日1時間や2時間と決めているご家庭があるが、なぜなのかと問いたい。ダラダラとゲームをする癖がつくから。本当にそうだろうか。では勉強は一日1時間、2時間と決めてるご家庭にあっては、宿題が終わらなくても、単元のキリが悪くても、そこで勉強をおしまいにしてくれるだろうか。宿題を未完遂のまま明日学校へ赴き教師に指されクラスメイトに笑われ罰当番で老化もとい廊下掃除をするようになることが目に見えていても、「勉強の時間は終わったから、今日はもうやってはいけません。ダラダラやるからそうなるのです」などと言うだろうか。否、決してそのような救いの言葉は口にしないのは明白である。なぜか。この世界の責任者に問いたい。
大人がこどものゲーム時間を管理することに、明確明快な理由など存在しない。そこには奇妙奇天烈な偏見のみがマリアナ海溝のような深さを持って横たわっているだけである。ゲーム時間を管理すること、それは相容れぬ価値観の帰結である。
もちろん人と人とは常に別の個体であり、本質的には一人として相容れぬものである。始発で釣りに行く同僚とわたしの価値観は相容れぬ。祭りという祭りがわたしのメンタリティとは相容れぬ。しかしながら人間とは、いや、おとなとは常に理性と知性を備えた、いや備えんと願うまたは備えていると誤信するほどそこに価値を置いている生き物である。それ故に相容れぬ相手を尊重し、慈しみ、譲り合うことができるのではなかったか。
お願いだ。ゲーム時間を管理しないでほしい。
宿題もした、お手伝いもした、明日の準備だってしたのだ。ゲームくらい、寝るまでは好きにやらせてくれたって、誰にも損などないではないか。*1
ゲームソフトにプレイ時間が表示されるのは、管理されるためではないのだ。「うおおおおお、こんなにやったぜええ、うっひゃー!」と歓喜するためなのだ。所持ソフトの本数とほとんど同等の意味しかないのだ。楽しい趣味に使った時間を、「浪費した時間」として認識されたくないのだ、いくらこどもだとしたって!
試しに想像してほしい。「また5万円の靴買ったの?」と配偶者ないしパートナーもしくは友だちに呆れ顔で吐き捨てられるところを。そしてまた試しに想像してみてほしい。「え、その靴5万円なの?かっこいいね!やっぱりさすが◯◯だね!」と配偶者ないしパートナーもしくは友だちに受け入れてもらえたときのあの安堵を。
よろしいか。趣味というのは、そういうものなのだ。こどもだとしても、何も変わらぬ、変わらぬよ、ママン・パパン。
一つ、そのゲームを思った程プレイしなくても文句を言わない
せっかく買ってやったゲームをほとんどプレイしないままやらなくなってしまうことが、こどもにおいてはよくある。おとなにおいては更にもっと比べられないほどよくある。
それは、別に飽きてしまうからではない。ものを大事にしていないわけでもない。
一つには、思った内容と違うということもあるだろう。実際にプレイしてみたら自分に合わないということもある。バトルシステムが難しくて進めないことだってある。友だちがいないとつまらないソフトだった可能性もある*2。
憧れて入学したはずの私立学校に通いたがらないこどもがいたとする。親はそれをいさめるだろうか。あなたが選んだ学校だ、お父さんやお母さんが稼いだお金だと、おじいちゃんの老後の資金を切り崩したのにと、一方的に叱責したりするだろうか。もちろんおとなとて感情を持つ人間である。そういうときもあるだろう。しかしながら世の多くの保護者の方にあっては、こどもの心を大切にしたいと願っている筈である。こどもが健やかに過ごせるようにと祈っているはずである。それ故に、なぜ学校へ行きたくないのか、本人から事情を聴き取り、学校へ赴き担任と話をし、どうしても通えなければ転校だってさせてあげるのが親ってもんでしょーが!*3
なぜこどもがゲームをすぐにやらなくなることは腹が立ってしまうのか。それは、自分が買ってあげたものを、自分が思うように遊んでくれていないというだけの理由ではないか。こどもだって一人の人間だ。誰かの思い通りにいかなくても、それで正しいと思えないのかと言いたい。
そのこどもが欲しくて欲しくて買ってもらったはずのゲームをなぜすぐにプレイしなくなってしまったか、一度でも聞いたことがあるのかと問いたい。
難しくて進めることができないのであれば攻略本を買って欲しいし、一人で遊んでも楽しくないゲームだというのであれば是非一緒に遊んであげてほしい。
やってみたら合わなかっただけのゲームであれば、それはそれでそっとしてあげてほしい。
ゲームは楽しくやるものなのだ。苦行にしてどうする。世の中には、楽しい一辺倒の物事が存在していてもいいではないか。大人もそれを望むのだ。こどもだってほしいに決まっている、完全に自由な、本当に楽しいだけの、そんな時間と空間。
でもそんなことより大切なことがある
もちろん、このブログをご覧になっている賢明な読者のみなさまにおかれては、かかる作法についてわたしなどが今更口上を垂れる必要は無いものと信じている。
だからこの記事では、そんなことよりずっと大切なことを、世のすべての保護者の方にお伝えしたい。
ここから先は、任天堂のハードのソフトについて述べる。つまり、3DSとWiiUのことについて述べる。
ゲームのパッケージがあるじゃろ?
この紙が入ってるじゃろ?
この紙を捨てないでください
というのが、本エントリの主旨である。理由を以下に述べる。
クラブニンテンドーでポイントを貯めよう
この黄色い紙は、クラブニンテンドーでポイントを貯めるための、シリアルコードだ。
(お子さんにゲームを買ってあげたことを想定しているので、ダウンロード版のやりかたは割愛します)
ポイントを貯めよう
このサイトで、クラブニンテンドーに登録し、ゲームソフトを買うたびにこのシリアルコードを登録していくと、ポイントが貯まっていく。
シリアルコードを登録するときにアンケートに答える必要があるので、時間と気持ちに余裕があるときに行うのが吉。
下は、ログインしたわたしの会員ページである。上部に「所有ポイント305」「ランクポイント850」と書いてあるのが、お分かりだろうか。
このポイントは、毎年10月から翌年9月までの年度で積算される。9月末日で一度リセットされる。
所有ポイントとは現在「利用出来るポイント」で、ランクポイントというのは10月から現在までに登録したポイントの累計である。
つまり、わたしの場合、今期全部で850ものポイントを貯め、既に545ポイント消費し、現在305ポイントが手持ちとして残っている状態である。
ポイントに応じて「プラチナ会員」「ゴールド会員」などのランクがあり、プラチナ会員で年度を終えることができると、年末にカレンダーや未発売のソフトのダウンロードコード等を特典としてもらうことができる。
ちなみに、3DSのゲームソフト1本(4,000円〜5,000円)で20ポイント程度が加算される。
また、予約ボーナスで10ポイント、プレイ後アンケートでさらに10ポイントが加算されるため、1本ソフトをプレイすれば最大で概ね40ポイント貯めることができる。
おいわたしのポイントから投じた金額を計算をするのはやめろ。*4
クラブニンテンドーでポイントを使おう
貯めたポイントは、クラブニンテンドーでグッズと引き換えることができる。
たとえば、ゲームのサウンドトラック(非売品)を手に入れることができる。
車や通勤の電車で音楽を聴くおとなが、ゲームのわくわくをそのまま持ち運べるのがゲームのサントラというものだ。
とくにマリオ3Dワールドのサウンドトラックはビッグバンドアレンジなので、ゲーム未プレイの保護者であっても、楽器演奏そのものとして楽しめることは間違いない。こどもにお金をかけたようでいて、自分にこうして戻ってくるのも、おとなの役得ではなかろうか。
あるいは、「どうぶつの森カルタ」のようなゲーム外のおもちゃもある。
こどもにゲームでばかり遊んでほしくないというおとなの価値観があるのも、わたしは重々承知している。*5
そういうときは、カルタで身体を動かしつつ、しかしこどもの興味を引きつつ一緒に遊ぶということも、こどもとの接し方の工夫として備えていてよい態度ではかろうか。
まあ、そうはいっても最も実用的なのは、これ。
18枚のカートリッジを一度に収納できるケースというのは実は市販されていない。また、DS時代に買った収納ケースだと3DSが入らないといった欠点もあり、沢山ゲームを買ってあげてしまう甘やかし保護者さまにはぜひともこのケースをお勧めしたい。
我が家には、3つある。
パッケージの柄は複数枚専用の紙が入っているので、好きなものを選ぶことができる。
入れてみるとこのような感じ。
注文する時期によって柄も違うので、何度注文しても新鮮に楽しめるところも気に入っている。何より、自分の好きなゲームを思いのままにならべてこうして眺められるなんて、ゲームプレイヤーにとっては格別の喜びであることを、ゲームやらぬ保護者のみなさまには申し添えておきたい。
ということでおさらいすると
この紙捨てちゃ ダメ ゼッタイ!!!
わたくしからは以上です。
うんこって絡んでくださいって言ったらすぐにうんこって絡んでくれるから、わたしは愛してるんですよ、人ってもんを。
— mah(まー) (@mah_1225) 2014, 7月 13