韓国が中国にこれほどもてなされ、中国の前でこれほど大きな声を上げるのは、高句麗滅亡以来初めてのことだろう。隋・唐のけんかを受けて立った高句麗が7世紀中盤に滅んだ後、韓半島(朝鮮半島)は常に、中国からいじめられる「弱者」の立場にあった。中国は韓半島に対して覇権国として君臨し、軍事的に侵略することもしばしばあった。6・25(朝鮮戦争)当時、目前に迫っていた南北統一を台無しにしたのも中国だった。
中国の習近平国家主席が韓国に対して積極的にアプローチするのを見て、韓国は随分大きくなったと実感した。長い歴史の流れから見ると、最近の韓中関係は極めて異例といえる。韓中関係2000年史の中で、両国がこのように対等な蜜月関係にあった時期はない。現在、韓国は「檀君(伝説上の古代朝鮮の王)以来初めて中国より豊かになり、経済力・技術力や文化・ソフトパワーの質的水準で中国を上回った。また韓国は、北東アジアの地政学ゲームのバランスを左右する重要なプレーヤーになった。習主席の「求愛」も、韓国を必要としているからだ。
習主席が1泊2日の滞在期間中に振りまいた友好・親善の修辞は、韓国人の心を捉えた。習主席が韓国を「親類の家」に例えたのは、本心だろう。しかし、両国関係に関する習主席の歴史観については、あまりにロマン的だとか、便宜的なものという指摘もあった。習主席が韓中関係史を「数千年にわたる厚い情の歴史」と解釈したところまでは良かった。しかし、自分にとって都合のいいことばかり取り上げて話をしたせいで、韓国人の平均的な認識とは少なからぬ隔たりを見せた。
習主席は、ソウル大学での講演で「歴史的に、危険が発生するたび、両国は共に苦難を克服した」と語った。習主席は、壬辰倭乱(じんしんわらん、文禄・慶長の役)や植民地時代の韓中共同抗日抗争を例に挙げた。間違ってはいない。しかし韓国人の記憶の中で、中国は味方だったことより、侵略者だったことの方がはるかに多い。高句麗は隋の煬帝や唐の太宗から侵略され、高麗は元の支配を受けた。丙子胡乱(へいしこらん、1636-37年の清の朝鮮侵略)のとき、清は朝鮮の国王に、膝をつかせ拝ませるという「三田渡の屈辱」を強いた。6・25戦争の際も、中国は韓国に銃口を向ける主敵だった。
ここまでは、遠い昔に起こった過去の歴史ということで済ませるとしよう。問題は、中国の「歴史侵犯」がまだ終わっていないという点だ。高句麗を自国の歴史に編入しようとする、中国の「東北工程」は、現在もなお進められている。アリランや端午の節句、オンドルを「中国のもの」と主張し、キムチの縁故権まで主張している。こうした中国の歴史膨張主義は、いつか爆発して、韓国に刃が飛んでくるかもしれない。「厚い情の歴史」と簡単に片付けて済ませるには、危うい状況だ。