ひとみのブログ

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私と姉との山あり海ありの奉仕場所の思い出を書く前に私の思いも、語りたいと思います。私は

小さな頃からエホバの証人の母に育てられましたから将来は開拓奉仕を するんだと思っていました。


しかし未信者の父は教育者なので私も高校は進学高に行き大学に進み先生になる夢もありました。

でも協会や会衆の長老兄弟に進められて商業高校に進みました。 いまでもこの決定は後悔はしていませんが最近、協会の真実の姿をしり 私の夢も追い求めても良かったのかもと思います。


別な話しになり、申し訳ありません。私と姉は海がとても綺麗な島での生活に順応していきました。

しかし、このプログを読んでくださる方は不思議なのではと思います。23歳と25歳の女の子が辺鄙な

場所で危ない事は無かったのかと? 男性や他の危険な事はとおもいでしょう。


私の姉は妹の私が自慢して、どうすると思いますが細身で目が綺麗なロングの髪の姉です。私がみても可愛いです。 こんな私達が例えば 男の人の危険とか 古い家での虫とか他の生き物はと思いでしょう


でも、その点は長老兄弟の研究生の方が島一番の人でした。島特有の石の加工をする方で、もし

私達に変な事をすると島に住めないようになるように長老兄弟の配慮がありました。

このように私達は恵まれていました。


私達は朝は交代で炊事をしてから奉仕の準備をして集合場所にいきました。以前いた会衆と違い2人

3人での奉仕です。私は姉と自転車で奉仕です。


海の近い場所では魚市場が沢山あります。私達は買い物を済ませて帰られる人達に雑誌から証言

をしていきました。またおおきな市場では海から帰られた漁師さん達に証言です。


漁師さん達は「この辺では見かけないべっぴんさんじゃのう」と言って雑誌を受け取ってもらいました。

私達は海沿いの砂浜の小道を姉と自転車で走る爽快感を味わいました。


姉と二人で松林の木陰で瀬戸内海の静かなキラキラした海を見ながら、お握りを食べたことがらは懐かしい思い出です。 人の良い漁師の 奥様と研究も、とり決まり嬉しくて自転車を踏むぺタルも軽く感じました。私達は最初の2年は幸福でした。


しかし主催監督の長老が病で倒れられて 代わりに来られた兄弟によって私達の運命「運命は相応しく

ないですが他に言葉が見当たらなくて」は変わって行きます。 


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