負けるな、ただし勝つな:ウクライナの掃討作戦と変化するロシアの戦略

小泉 悠 | 軍事アナリスト

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ウクライナ軍の攻勢

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7月9日現在のウクライナの戦況図

2014年7月5日、ウクライナ東部での一時停戦終結を宣言したウクライナ政府は、大規模な掃討作戦を開始した。

これにより、ウクライナ軍はながらく東部親露派武装勢力の拠点であったスラビャンスクとクラマトルスクを解放し、スラビャンスクを拠点としていた「ドネツク人民共和国」のストレリコフ「国防相」らはドネツク市中心部への撤退を余儀なくされている(ウクライナ軍の攻勢についてはこちらの拙稿も参照)。

さらにウクライナ軍はドンバス地域(ドネツクとルガンスク両州の総称)の中心都市であるドネツク市とルガンスク市を包囲し、親露派武装勢力の一層に向けた最終的な攻勢を準備していると見られる。

ウクライナ国防安全保障会議のパルーブイ書記は7月9日、既にウクライナ政府軍はドンバス地域の3分の2をコントロール下に置いているとしており、多少割り引くにしても、すでに政府軍の優勢は明らかになりつつあると言えよう。

これに対して前述のストレリコフ氏は、親露派武装勢力を市内に集め、市街戦で徹底抗戦を図る構えを見せている。だが、ストレリコフ氏自身が以前、「モスクワの支援がなければ親露派武装勢力は1ヶ月しか保たない」と発言していたとおり、このままではじり貧に陥ることは明らかだ。

動画:クラマトルスクを解放するウクライナ軍

クレムリンのコントロールを離れつつあるストレリコフ氏

イーゴリ・ストレリコフ
イーゴリ・ストレリコフ

問題は、こうしたストレリコフ氏らの動きがどこまでクレムリンの戦略と合致しているかだ。

ストレリコフ氏(本名はギルキン氏)はロシア出身で、ロシアの情報機関員であったという以外にははっきりした経歴は不明である。

このためにストレリコフ氏はロシアが送り込んだ工作指揮官という見方もあるが、ロシアの安全保障に詳しいニューヨーク大学のマーク・ガレオッティ教授は、これに否定的な見方を示す。

「ストレリコフ氏が東部ウクライナに入ったのは、彼自身の意思ではなかったかと私は疑っている」とガレオッティ教授は『ニューヨーク・タイムス』紙(7月11日付け)の取材に答えている。「彼はロシアの“ゲーム・プラン”に沿わないことをやっているように見える」とガレオッティ教授は言う。

変化するロシアの戦略

では、現在のロシア政府がウクライナ情勢に関して抱いている“ゲーム・プラン”とは何か。

おそらくは東部での混乱状況を一定程度長引かせて交渉材料としつつ、しかしロシアの直接介入は招かない範囲にコントロールすることであろう。

つまり、東部諸州の「連邦化」にせよ、NATO加盟阻止などその他の目的を達成するにせよ、もはやロシアの直接介入によってこれ以上の西側との関係悪化は避けたいとの思惑があると思われる。

しかもロシア高等経済学院教授でクレムリンの対外政策ブレーンとして知られるセルゲイ・カラガノフ氏が「ウクライナのNATO加盟阻止という目標は既に達成された」と述べているように、2月以降のウクライナ危機で、ウクライナを中立地帯に保つという戦略目標はある程度、達成されつつあるとの見方がロシア内外には広がっている。

したがって、ここから先の目標は状況の沈静化を図りつつ、今後のウクライナのあり方に対する条件闘争に移りつつあると考えられる。

実際、プーチン大統領は6月24日、3月に上院から得ていたウクライナへの軍事介入の許可を返上する考えを示し、国境沿いに展開させていた4-5万人ものロシア軍を撤退させたことでロシアが当面、直接介入をオプションから外したことは明らかであろう。

最近の世論調査でもロシア国民の3分の2はウクライナへの軍事介入には反対と答えており、国内世論の支持という意味でもロシア政府が軍事介入を選択するメリットはすでに薄い。

ロシアの世論調査機関として有名なレヴァダ・センターのレフ・グドコフ所長は、プーチンはもはや当初の「ロシア系住民の保護」という名目で支持を得る戦略から、ウクライナの危機を沈静化させることで自らを「ピース・メイカー(平和の創造者)」としてアピールする戦略へと転換したと分析している。

掃討作戦の開始以降も、ロシア政府のウクライナ政府に対する批判がある程度抑制されたものに留まっているのも、こうした背景があってのことだろう(ただし、後述するように、今後のウクライナ情勢如何ではこの限りではない)。

ドイツ大勝の意外な余波

さらにロシア政府は具体的な落としどころを探る動きにも出ている。

米国ではロシアへの追加制裁を求める声が議会で強まっているが、独仏を中心とする欧州諸国はプーチン大統領と頻繁に電話会談を行っている上、明日13日にはブラジルのワールドカップ閉幕式にはメルケル独首相やプーチン大統領が出席することになっている。

プーチン大統領の出席は、次回2018年大会の主催国首脳ということで以前から決まっていたが、メルケル首相については、7月9日に急遽決定されたものだった。

メルケル首相は以前から熱心なサッカー・ファンとして知られていたが、今回のブラジル行きが決まったのは、もちろんドイツ・ブラジル戦においてドイツが圧倒的な勝利を収め、アルゼンチンとの決勝戦に進出することが決まったためだ。

したがってメルケル首相のブラジル訪問はドイツが参加する決勝戦の観戦がメインということになっているが、ここでプーチン大統領との間でウクライナ問題に関する何らかの直接協議が持たれるとの観測が強まっている。

ドイツ・チームの奮闘がもたらした意外な「余波」と言えよう。

負けるな、ただし勝つな

ここで再びウクライナに視点を戻したい。

ロシアが緊張緩和に舵を切ったとすると、親露派武装勢力は半ば見捨てられた格好になる。

ロシアにしてみれば、親露派がしばらくは騒乱状況を作り出しつつも決定的な勝利も収めないという生殺しの状態が理想的ということになるからだ。

このため、当面は戦車などある程度の軍事援助を与えつつ内戦状態を引き延ばすという生殺し戦略に出ることになろう。

「負けるな、ただし勝つな」ということだ。

7月9日付けのNEW REPUBLIC紙が伝えたところによると、最近、ウクライナの親露派民兵300人がロシア国境を越えてロシア側へ逃れようとしたところ、ロシア軍からの発砲を受けて撃退されたという。

さらにプーチン大統領は。ロシアからの軍事援助が流れ込んでいるとされる国境地帯に国際監視団を受け入れる意向も示している。

このようなロシア側の冷淡な態度に対してストレリコフ氏ら親露派武装勢力は度々プーチン大統領への不満を表明するようになっている。このような状況が続いた場合、「親露派」がクレムリンのコントロールをますます離れていくことが懸念される。

さらにウクライナ政府軍が、親露派の立て籠もるドネツクやルガンスクに対して大規模攻勢を掛け、親露派が徹底抗戦に出た場合(その可能性は高い)、民間人を含めてこれまでにない規模の犠牲が出ることが懸念される。

このため、ロシアの思惑に反して、ウクライナ情勢がさらに混沌に陥るのではないかとの見方も出てきた。

この場合、ロシアが再び軍事介入をオプションとして検討し始めることも考えられる。

筆者関連記事

黒海でのロシア・NATO艦隊のつばぜり合いと露黒海艦隊の増強計画(2014/7/9)

ウクライナで何が起こっているのか:戦車、人間の盾、「コロモイスキーの壁」(2014/6/18))

小泉 悠

軍事アナリスト

早稲田大学大学院修了後、ロシア科学アカデミー世界経済国際関係研究所客員研究などを経て、現在はシンクタンク研究員。ここではロシア・旧ソ連圏の軍事や安全保障についての情報をお届けします。『軍事研究』誌でもロシアの軍事情勢についての記事を毎号執筆。

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