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国際
【硝煙の一世紀】(3)覆された中東秩序 軋む「押しつけの国境」
「正面から写真を撮るな!」。布で顔を覆ったパレスチナ人の若者が記者を怒鳴った。身元が特定されれば、報復を受ける恐れがあるという。
6月16日、ヨルダン川西岸のヘブロン。パレスチナ住民数十人が、ユダヤ人入植者を警護するイスラエル兵に投石を続けていた。
この数日前、ヘブロン近郊でイスラエル人少年3人が行方不明となった。イスラム原理主義組織ハマスによる誘拐だと指摘するイスラエルが、パレスチナ人の住居などを捜索する大規模作戦を展開し、住民の反発を増幅させた。
米国の仲介の下、イスラエルとパレスチナの「2国家共存」を目指す中東和平交渉は今年4月、成果がないまま期限切れを迎えた。6月には、分裂状態にあったパレスチナ主流派ファタハとハマスの双方が認める暫定統一内閣が発足し、ハマスを敵視するイスラエルは新内閣との交渉を拒否すると決定した。
1993年のオスロ合意を起点とするパレスチナ和平交渉は破綻が指摘されて久しい。
「誰もが、何が変わるのか分からないまま戦っている」。ヘブロンに住むナーフィズさんは現状をこう表現した。 列強の秘密協定
パレスチナ問題の遠因となったのが、第一次世界大戦時の矛盾とも取れる英国の態度だった。
英国の駐カイロ高等弁務官マクマホンは15年、ドイツ側に立つオスマン帝国への反乱を計画するメッカ太守フセインへの書簡で、パレスチナの扱いを曖昧にしたまま、戦後の「アラブ国家」独立を認めると表明した(フセイン・マクマホン書簡)。
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