コミュニケーションには人それぞれのパターンがある。
僕は人はなかなか変わらないと思う。幼い頃から変化していない自分を発見することは多々ある。しかし、他人から変わったと認識されるような変化は容易に起こる。その変化を起こすのがコミュニケーションのパターンの変化だ。
それは例えば、なかなか思ったことを言えなかった人がはっきりとものを言ったときだったり、普段はすぐに人にアドバイスをしたがる人が何も言わなかったときだったりする。それを見て、彼らを知る人は、変わったと思うだろう。しかし、本人は変わったという意識はない。コミュニケーションのパターンを変えたに過ぎないのだ。
コミュニケーションのパターンを変えることは、それまでしていたことを我慢することではない。それまでしてきたことを自分自身で認識することだ。自分の気持ちをなかなか言えないのだとしたら、その言えずに黙ってしまうプロセスを思い出して丁寧に観察してみる。すぐにアドバイスをしてしまうとしても、同じように、どのように自分が相手に何かを言いたくなってしまい、結果的に言ってしまうのかを観察してみる。
丁寧に観察されていないプロセスは、全てうっかりなされてしまう。それよりももっと観察されていなければ、うっかりとすら思わない。
パターンを変え続けていくことは大変だ。自分自身を観察する力が問われる。
その観察する力は、心身の一体感でもある。僕がパニック障害で精神科の薬を飲んでいたとき、この心身の一体感はほぼないようなものだった。目は虚ろ、歩き方もふわふわとしていて、ちょっとした大きな音が聞こえるだけでも、頭が真っ白になってしまう。他人の目を見ることは出来ず、話しかけられても反応が出来ない。いつもそうした自分のことを恥ずかしいと思っていたが、どうすることも出来なかった。
ナンパをし始めたときもそうだった。だから、フローチャートを書いて、普通の人の会話のスピードに追いつこうとした。少し予想外のことを言われただけで、頭が真っ白になって身体が硬直してしまう。だから、全部予想の範囲内になれば良いのではないかという単純な発想だ。
しかし、今から思えばそれは表面的な解決策に過ぎない。心身の一体感が欠如しているから、自分が相手の言葉や一挙手一投足にどのような感情を抱いたのかが分からない。だから、何も返す言葉が思い浮かばない。帰ってからようやく、そのときに何を思っていたのかがおぼろげに浮かんできて、後悔をする。
フローチャートよりも、そのときにどんなことを感じていたのかを、一人になってじっくりと思い返すべきだったのだと思う。今はそうしている。カウンセリングを終わった後、一人でじっくりクライアントとの会話を思い返している。再生された記憶の中に、そのときに拾い切れていなかった自分自身の感情、反応が見つかっていく。そうして、より繊細な自分の感性を発見し、発見されると、今度は対面でその感性、反応を発揮出来るようになっていく。
気功などはそのような反応出来る心身をより作り上げていくことに役立っている。気功は、動作は単純だ。腕を振るとか、手を回すとか、誰でも出来るようなことだ。しかし、その動きの中にどれほどの自分自身の心身の観察を込められるか。訓練すればするほど、そうした心身への観察力が上がっていく。それがコミュニケーションのパターンを観察する繊細さ、変化させる速度に繋がっていく。
全てのパターンを変えなければいけないわけではない。自分が上手くいっていないと感じたり、改善すればもっと相手との関係が築けるのではないかと思う部分を変えればいいだけだから、気になる部分を一つピックアップすれば良い。その一つを丁寧に観察して、変えることが出来れば、他人からは変わったように見える。変わるというのは、それまでの自分を捨てることではなく、自分自身を丁寧に観察出来るようになることなのだと思う。