選んでよかったもの。
まぁよくよく考えてみれば、今の私というのは選択に選択を重ねた結果なわけですから、今の自分のことが好きならそれは選んでよかったというものだよねぇ〜とか思ったりしました。
選ぶのは好きだけど選ばれる側になるのは苦手です。試験とかさ、面接とかさ、選ばれなかった人の気持ちを考えてしまうではないですか。
例えばペットショップでこのわんこ可愛い〜♡なんて言ってね、愛嬌のあるキャピキャピわんこが選ばれているその脇で、あまり自己主張しない大人しわんこがいたとするじゃないですか。そしたらそのわんこの人生(犬生)はどうなっちゃうんだろうって想像したりします。
うちのわんこ17歳は動物愛護センターという捨てられた動物の里親を募集する施設で引き取ってきた子なんですけどね、ケージの隅っこでただ座ってただけのわんこだったんです。
実は別に狙ってた愛嬌たっぷりのわんこがいたんですけど抽選に落ちてそのわんこは引き取れなくなってしまって、そのときまだ小学校低学年だった私が
「ぞれでも!!いぬが!!がいだいんでず!!クリスマスプレゼントも誕生日プレゼントも一生いらないがら!!」
って泣き喚いた結果、お父さんがその隅っこに座っていたわんこを引き取ってきてくれたんです。(その後も私はプレゼントをもらい続けました)
最初は人に触られるのが怖くてビクビクしていたんですよ。捨てられる前に虐待を受けていたのかどうかはわからないけど、クークー鳴いて心細そうにしていたのを今でも覚えています。
初めてうちに来たときのことは忘れもしません。来て早々に炊飯器の前でう○ちをしました。
う○ちをした瞬間に私達は家族になりました。
なんか話がそれてしまったけれど、今ではそのわんこが私にとってかけがえのない存在であり、愛おしい存在であることを考えると、この子を連れてきてくれたお父さんにありがとうという気持ちと、うちに来てくれてありがとうわんこよ、という気持ちでいっぱいになるんですね。
だから選んだ結果がどうなるのかは誰にもわからないけれど、選ばなければ「良かった」という気持ちも幸せな気持ちも味わうことはできないのだと、選んだからこそ今の幸せがあるのだと思うんですよ。
自ら選ぶことの幸せは選んだ人にしかわからないからね。
里親という幸せもあります。
ヒュー!!同窓会嫌だって言ってたら大学時代の同級生カップルが婚約したっていうFacebookの投稿見ちゃってヒュー!!
— ポンコつっ子 (@ponkotukko) 2014, 7月 12読んでくださってありがとうございました。
ポンコつっ子