~ プロフィール ~
島田洋七(しまだ ようしち)
1950年広島県生まれ。小学校・中学校時代は佐賀県で過ごす。1975年漫才コンビB&Bを結成し、漫才ブームの先駆けとなる。子ども時代の思い出を綴った、『佐賀のがばいばあちゃん』『がばいばあちゃんの笑顔で生きんしゃい!』『がばいばあちゃんの幸せのトランク』(いずれも徳間文庫)が人気を博し、1作目が映画化され初夏公開。


 

  「もみじまんじゅう!」などのギャグで一世を風靡。漫才ブームでお笑い界の頂点に立つが、その後事業に失敗、大病をするなど不運が続く。一時は引退も考えたが、「生涯一漫才師」を誓い、現在も活躍中の島田洋七さん。小学生時代、里子に出されて佐賀のお婆さんと暮らした思い出を『佐賀のがばいばあちゃん』として出版した。この本を読むと、本当の「生きる力」がどういうものなのかがよくわかる。そんな洋七さんの目に、今の子ども・教育はどのように映っているのだろうか? 全盛期のあの機関銃トークを彷彿とさせる、テンポのよい関西弁でお話いただいた。  

インタビュアー
高篠栄子
(学びの場.com編集長)


 

Movie_Data
先月13日、都内ホテルにて、映画の完成記者会見が行われました。島田洋七さんをはじめ
倉内均監督、主演の吉行和子さんらが出席。監督は「佐賀は葉隠れの里。ばあちゃんにはサムライの強さとかわいらしさが同居している。その魅力を表現したかった」そう。吉行さんも「ばあちゃんの『笑顔でいきんしゃい』などの語録には共感することばかり。こんな素敵な役を演じられて本当に楽しい撮影でした」と語り、終始和やかなムードで会見は終了しました。
MOVIE DATA
昭和30年代、広島から佐賀の田舎に預けられた8歳の明広は"がばい(佐賀弁ですごいの意)"祖母との極貧生活を体験。しかし、それは明るく奇抜なエコライフ。家にはいつも笑いが溢れていた…。文部科学省選定(少年・青年・成人・家庭向き)作品。原作:島田洋七/監督:倉内均/出演:吉行和子、浅田美代子、工藤夕貴ほか。4月22日九州先行公開、6月銀座シネパトスほかにて全国公開。
我が子をよその子と比べたらあかん

----『佐賀のがばいばあちゃん』の中で、最初に「今、世の中は豊かになっているけれど、欲しいものが買えないから、旅行に行けないから不幸、という若者たちは、本当の豊かさを見失っているのでないか」、というようなことを書かれていますが、わが身を振り返ってドキっとしました。洋七さんの目には今どきの子どもや若者はどう映っているのでしょうか。

わかりやすく言うと、昔の子は好き嫌いがなかった。ほかに食うもんないから、「嫌い」とかそんなこと言ってられへん。よくテレビで、野菜嫌いの子にニンジンをどうやって食べさせるか、とかやってるじゃないですか。昔はあんなことせんもん。「嫌やったら食うな」言えば食うよ。

引きこもりでも、親がご飯を持っていくやんか。そんなのあかん。ご飯をドアの前に置いとくんや。そしたら部屋から出てくるがな。次は台所。だんだん遠くに置くようしたら、しまいに職場行って働くがな。

----親の育て方にも問題があるということでしょうか。洋七さんは、父親として、子育てでこだわった点はありますか?

あんまりないけど、よその子どもと比べたらあかん、というのはありますね。「田中さんの子どもはこんなで……」と言ったら、子どもはカチンと来る。みんなが一等賞を取るのは無理だから、いいところを伸ばしてやらないと。

親だってエラそうなこと言えないじゃないですか。僕は学校であまり勉強できなかったから、子どもにも「勉強せい」とは言わん。「勉強した方が役に立つよ」とは言うけど。勉強したくない子に毎日毎日「勉強せい」と言ったら負担ですよ。勉強嫌いな子もおるて。勉強=人生とちゃうからね。それよりは、「何になりたいの?」のほうがおもしろいと思うよ。野球選手とか、夢があっていいじゃないですか。「じゃあ、やれば」、って。

あと、金を渡さんことや(笑)。芸能人の子やからゆうて贅沢はさせません。少しは渡すけど、後は「自分でバイトせい」って。必要なら貸すけど、後はバイトして返してもらう。人の金で何か食ったって、うもうないやないですか。どっかの社長に「これひとり2万円くらいや」言われて食っても、うもうないですよ。それよりは自分で金払うて食うラーメンのほうがうまいもんね。

それと、最近の子どもということで言うたら、今は子どもが少なすぎ。子どもが4、5人おったら、一人ぐらい不良になってもかまへんもんなぁ。「もう不良になっとき。あと3人おるから大丈夫や」って。そんなもんやで。一人を育てて不良になったら、もう終わりよ。一生懸命育てて、渋谷で茶髪ですれ違ったら「うわぁ」思うやんか。3人ぐらいおったら余裕やがな。

ニートって、おかしいわ


ばあちゃん語録その1
「二股の大根も、切って煮込めば一緒。まがったキュウリも、きざんで塩でもんだら同じこと」

----最新作の『がばいばあちゃんの幸せのトランク』読ませていただきました。とにかく東京に出たくて、歌手になるために俳優座に行ってしまったと書いていますが。

昔、『平凡』かなにかに俳優座の「研究生募集」という広告が出てたんです。それで、「募集」というなら、人手不足に違いない、と思って(笑)。今みたいに情報がないから、田舎におったら芸能界なんて宇宙みたいなもんですよ。どっから入っていいのかわからんし。今こそ吉本でも芸能学校があるけど、昔は弟子につく、それすら知り合いがいないと、弟子にもつけないし。

----俳優座では歌手になれないとわかって、そのあと漫才を見てすぐ芸人になろうと。その切替の早さに笑ってしまいましたが、吉本に入ってからは長い下積み時代を過ごされたのですよね。今の若い人たちには、ちょっと働いては「思っていたのと違う」とあっさり仕事を辞めてニートになる人が多いと聞きますが、洋七さんには、甘すぎる、と映るのでは?

 


ばあちゃん語録その2
「今のうちに貧乏しておけ! 金持ちになったら、旅行へ行ったり、寿司食ったり、着物を仕立てたり、忙しか」
ニートっておかしいわ。まだ国が裕福だから家におれるけど、まずは働きながら自分のやりたいことを探さんと。仕事をすれば、米、みそ、醤油、友達、信頼がついてくる。よく若いもんに言うのは、まずは5時間バイトせえ、と。2カ月分の米買えるがな。1日働いたら、米、みそ、醤油買えるやろ。3日目ぐらいで、バイト先で友達できるて。1週間働いたら家賃が払える。基本をちゃんとやってから、「あの仕事ええな」とか言わんと。

吉本なんて厳しいよ。なんぼ家が良かろうが顔が良かろうが、おもろうないと金もらわれへんわけやから。売れなければ、楽屋もなければ何もない。それでも辛抱しているのは、そこには夢があるからや。


お金がなくても、どこでも生きていける

----最近「勝ち組」「負け組」という言われ方をしていますよね。なんだか、みんなが「勝ち組」でなければいけないような風潮があるような気がします。だから、「今は負け組でもがんばって勝ち組になろう」と、地道な努力をしている人には厳しい時代のように感じるのですが……。

「勝ち組」「負け組」と言っても、「負け組」のほうが楽しい生き方はいっぱいあると思いますよ。やっぱり、年収2000万越えたら大変です。会社なら責任も重いし、頭すり切れていると思うわ。だから考えようによっちゃ、万年平社員のほうが楽しいかもしれへん。
 

----漫才ブームの時に、レギュラーの番組を何本も抱えて、大病をされたときがありますよね。仕事を続けたら命が危ないと言われ、一時期アメリカを放浪されたとか。

車で気ままに走ってたら、たまたま出会った爺さんに昼飯をごちそうする言われて家まで行って、そのまましばらく居着いたんです。アイダホの牧場におったんやけど、毎日ご飯食べさしてもろて、広大な農場でジャガイモ掘り手伝うて。漫才ブームで急に売れて、自分が今何をやってるかわからんようになるほど仕事をしてた時も、ここの爺さんはジャガイモ掘ってたんか思うと、なんか漫才ブームのこともそれが終わったことも、別にどうでもええことや、いう気がしてきた。芸能界におると、みんなが芸能界に注目しているように感じるのよ。でも、自分が意識しているだけで、周りの人は全然気にしてない。

「第二次世界大戦て何だったっけ」って言ってましたよ、爺さん。その程度にしか、向こうの人は覚えてないですよ。ヒロシマは知っているけど、「日本と戦争しましたっけ?」なんてね。そういうことはどうでもいいことだ、と。うちはジャガイモ作って、ウシ飼っていればいいと。戦争の話しても、「そんなこといいから、早く肉食え」って。

自分が気にするほど、周囲の人は何も気にしてないんやなあ、漫才で食べられへんかっても何やっても食べていける、そう思たら楽になりました。


 

「かっこいい」の意味が違う

----今、佐賀に昔風の家を建てて暮らしているそうですが、どんな暮らしをしていらっしゃるんですか?

別に、帰ったときに薪でご飯炊いたりしてるだけ。うちの婆ちゃんとやってたことをやってるだけ。だって楽しいもん。火を焚くと人がそこに集まるし、集まるとしゃべるやろ。炊飯器の周りに集まって「どや、今日の具合?」とか言うてたらおかしいやんか(笑)。でも、薪で炊いたら嫁はんも来て「お父さん、炊きすぎちゃう?」とか、なんやかんや言うて会話になる。

都会から来た人は「ご飯炊いて見せてよ」とか言うもんな。何十年か前は、全国民がやってたことやで。どんな田舎でも貧乏人でもやってたことが、珍しくなってる。テレビでそれが流れたら、「お宅は贅沢や」って言われた。

----別にロハスとか、そういう意識ではなくて……。

そんなんただのファッションやろ。
かっこいい、とか、おしゃれ、とかは、見た目だけじゃない。生き方とか、しゃべり方とか、もののとらえ方のセンス、そういうものが本当におしゃれに見えるんとちゃうんかね? 野球選手なんかは、一生懸命ホームラン打つからかっこいいし。若者は髪を染めて口の脇にピアスなんかつけたら目立つと思っているけど、目立ち方の意味が違う。あんなん、だれでもできんねん。だから「目立つとは意味が違うよ」と。スポーツでも勉強でも、何か成し遂げて目立たな。


 

大学出て、いきなり先生はなかろう

----最近は、学校の先生もいろいろ問題あるようですが、どう思いますか?

学校の先生もね、小学校低学年担当は50歳以上で、結婚していて、子育ての経験のある人とかにするべきやね。だから、お爺ちゃんやお婆ちゃんが孫に教えるようなもんや。日本みたいに、バイトばっかしとった23、4歳の大学出たばかりのが、いきなり先生と呼ばれても、そんなもん無理やて。子どもを育てたことのない人が、どうやって子どもと付き合うのよ。

今の先生は経験不足や。22で大学卒業したら、2年間は社会勉強せな。アルバイトでいいから10種類以上の職業を体験してこいとか、それでハンコをもらって初めて学校の先生になるテストを受ける資格が取れるとか。学校には、商売人やサラリーマン、いろんな家庭の子が来るわけや。経験せんと。大学出ていきなり先生はなかろう、と。

だいたいね、本見て教えるようなんは、誰でも教えられるのよ。だから、何を教えるか、といったら、人間を教えるわけでしょ。生き方を。そんなん教えられん先生はやっぱりダメや。1時間教える中に30分はちゃんと教科の話をして、あと30分は「どうやったらみんなが楽しくなるか」とか「どういう大人になったらいいか」ということを教えるのが勉強やと思うよ。


 

 
"がばいばあちゃん"
シリーズ3作

3/8より 「今月のプレゼント」でも紹介
 
 

佐賀の
がばいばあちゃん
著者:島田洋七
出版社: 徳間書店
価格:514円
(本体価格)
 

昭和33年、広島から佐賀の田舎に預けられた8歳の昭広。そこでは厳しい戦後を7人の子どもを抱えて生き抜いたがばい(すごい)祖母との貧乏生活が待っていた。しかし家にはいつも笑いが溢れ…。ビートたけし、黒柳徹子各氏絶賛、話題のロングセラー!
 

 
 

がばいばあちゃんの笑顔で
生きんしゃい!

著者:島田洋七
出版社: 徳間書店
価格:514円
(本体価格)
 

「生きていることが面白い。なりふりかまうより工夫してみろ」昭和30年代、食べるものにも事欠く超貧乏生活を楽しみながら、孫を育て、大反響を呼んだがばいばあちゃん。毎日が楽になる、どんなときでも楽しく生きる、ばあちゃんとっておきの人生の知恵袋。
 

 
 

がばいばあちゃんの幸せのトランク
著者:島田洋七
出版社: 徳間書店
価格:533円
(本体価格)
 

「結婚は、ふたりでひとつのトランクを引いてくようなもの。ひとりじゃ重くて運ばれん」駆け落ち、貧乏漫才修行、東京進出、栄光と挫折……。どんなときも、ばあちゃんに励まされながら、律子夫人と歩んできた昭広の、爆笑と涙と感動の半世紀。

 
見栄を張らず、本音で生きないと

----ズバリ、洋七さんなら子どもたちに「どういう大人になったらいい」と教えますか?

「見栄を張らず、本音で生きる」いうことやね。一時期東京近郊の住宅地に住んどったけど、周りは銀行の支店長とか金持ちばっかり。それがバブルが崩壊して旦那の給料が安くなって、専業主婦だった奥さんがたは、みんなパートに行かんならんようになる。それでもパート行きよるて言わんもんな。わざわざ3つ4つ駅の離れた隣町まで行きよる。そういう「ええカッコしい」がものすごくマイナスやね。「いやぁ、もう大変よ」と言ってみんなが知っている近くにパートに行ったらええのに。

そん時に、婆さんがよく言ってた「世間に見栄張るのが最低や」いうのを目の当たりにしたね。「パートやってます」言うて、「いやぁ、頑張ってください」いう方がカッコええもん。働くのはカッコ悪い、て勘違いしてんのよ。人の物を盗んだりするのがカッコ悪いことで、働くことはカッコ悪いことやない。

若いときとかは、「これ高かったのよ」と言いたい時期があるのよ。それが、世の中よくわかったら逆になるて。「ナンボやと思う? ごっつ安かったんやで」って。これが自然に言えるようになったらすてきな人よ。


 

お婆ちゃんと孫が一緒に見てほしい


ばあちゃん語録その3
「悲しい話は夜するな。つらい話も昼にすれば何ということもない」
----さて、映画のお話をお聞きしましょうか。がばいばあちゃんシリーズの第1弾『佐賀のがばいばあちゃん』が映画化され、近々封切りということですが、ご覧になった感想はいかがですか?

そらぁ、本みたいにおもろうないよ(笑)。本の通り事細かくやろう思ったら3時間半くらいの映画になるもん。でも、何も知らんと見たらそらあ泣けますし、ジーンと来ます。かといって、あんまりにもお涙ちょうだいには作ってない。伝え方としては十分だと思いますよ。


インタビューを終えて。「映画は本当に幸せな作品に仕上がっています。ぜひ、皆さんに見ていただきたいと思います」と洋七さん。
----どういった方に見てもらいたいですか?

僕がいちばん思っているのは、お婆ちゃんと孫が一緒に見に行ってほしい。「婆ちゃん、昔はあんなんやった?」「そうやで。あんなやったんやで」という会話をしながら出てきてほしい。一緒に見に行く映画なんて、あんまりないじゃないですか。アニメだとお婆ちゃんは行かんし。映画館の前にお婆ちゃんと孫が並んでいる姿っていいでしょ?

ブームに乗っかるよりもブームの作り手でありたい、と洋七さん。シリーズで一番のお気に入り『がばいばあちゃんの幸せのトランク』は、自らが監督して映画化したいと意欲を燃やす。「今の若い人は絶対見たほうがええよ」とのこと。ぜひ実現して欲しい

 

(聞き手:高篠栄子/構成・文:堀内一秀/PHOTO:言美 歩)
(映画写真提供:フレスコ)写真の無断使用を禁じます