1
日本語を使っている時間は夢のなかの時間に似ている。
使っている、と言っても、もう日本語を読むことはほとんどなくなったので、このブログ記事を書いているときか日本語アカウントのツイッタでいろいろな人と話している時間のふたつにほぼ限られている。
ツイッタのほうは、カウチに寝転がって映画やテレビ番組を観ながら、お腹の上にクッションを載っけて、その上に載せたMacBookAir(←日本語用)でサイトを巡回しながら、ピザやドライフルーツ&ナッツを食べながら、他言語のツイッタも相手にしながら、ながら、ながら、ながら、なので、「時間」というようなまとまりはなくて、頭がもぬけのからになっている時間で、楽しい時間ではあっても、「日本語の時間」とは言えないかもしれない。
ブログ記事を書いている時間だけが日本語の時間で、この夢に似た時間はとても楽しい。
日本語は書いているときが楽しいが、たとえばフランス語は、話しているときが最も楽しい。
理由ははっきりしていて「音」が良い言語だからです。
フランス人はラッキーなひとびとで、たとえば哲学上の議論に耽っているときですらフランス語という音楽にひたっていて、学問をするということは、それだけフランス語という広大な音楽の伽藍のなかのチューンが増えることにつながる。
言葉を話して聞いているあいだじゅう快楽に身をまかせていられる、というのは、たいへんに幸福なことだと思う。
この他の言語のことまで触れると言語マニアのヘンなひとみたいなので止すが、日本語は自分の意識を別の角度から見るのに適している。
いま考えてみると「神が存在しない言語の体系」という点で中国語でもよかった感じがするが、個人の好尚で、音があんまり好きになれなかった。
2
…..
掌の翳のなかで
物たちがうごきだすだろう
粉ふるいじゃかけまわり
火うちわの椰子の葉
ガスオーブンのなかで叫び
祭でなくても
紙袋の船団が空中をゆきかい
酒とミルクの対立は氷解し
貘とピューマが肩よせて剛造詩集をよみ
コーヒーと砂糖の夢と肉体に
星が降りそそぐ
火のダイアモンドの庭で
いずれ よろこびが毎日遊びまわって
すぐにたべものをねだる
炎帝あゆみやまず
海神へめぐりやまず
….
と述べる堀川正美の「剛造とマリリアの祝婚歌」は、日本語が到達した最高峰のひとつを示している。
「シュルレアリズムは、怪しい」という、いまに連綿と受け継がれている日本警察のオバカで浅薄な思想への理解力のために起きた神戸詩人事件で郎党というべき詩人14人が警察に検挙された西脇順三郎は、逼塞して、1930年代後半以降、1945年に戦争が終わるまで、この人らしい多弁で豊穣な「失語症」へ沈潜してゆく。
学問もやれず
絵もかけず
鎌倉の奥
釈迦堂の坂道を歩く
淋しい夏を過ごした
あの岩のトンネルの中で
石地蔵の頭をひろつたり
草を摘んだり
トンネルの近くで
下から
うなぎを追つて来た二人の男に
あつたこんな山の上で
大町の八丁目から浄妙寺へ抜ける道が目に浮かぶこの反戦の詩を書いたひとも、やはりまだ普遍語としての能力を宿していた頃の日本語のピークを示している。
これが「旅人かへらず」の、たしか28番だが、161番には、
『昔株屋をやってゐたが
此頃は百姓にもどった男
橋のたもとで大根の種を買って
つり銭を待ちながら
へっへっと笑って云った
女は男の種を宿すといふが
それは神話だ
女の中に種があんべ
男なんざ光線とかいふもんだ
蜂か風みたいなものだ』
と、後年、ずううっと後で、「だべ」言葉で、見事に宇宙的な夕暮れの光景を描いてみせた詩人の風貌もみせている。
「人間なんざまるでばかみたいな
いきもので自分たちが宇宙人だと
いうことをまるで知っていないんだべ
この生ぐさい天体に巣を食って
社会という新しい神の世界で
人間は自分たちの生存競争にすべての瞬間を
無意識に使っているんだよ
人間が住んでいるところは一つの
天体にすぎないがその天体は
宇宙に回転してのさばつている以上
人間は宇宙人だんべ…..
わたしが『べ』言葉をぎこちなく
使うのわたしらがまだ
太陽を拝んでいる部落の
宗教を表したかったのさ
でも太陽系の宇宙は
どうして出来たのかどういう
自然現象として出来たのか
そういう自然の現象は
どういう存在の現象であるか
その目的があるのか
そういう思考はいくらつづけても
はてしがなくわしらの脳髄では
どうにも歯がたたないわ
いつもモナカをつくりながら
こんな思いをならべて
いくぶんのなぐさめにするだけ」
と述べて、宇宙の銀河から銀河へ大股で闊歩する巨人の長大な呼吸のような、「壌歌」と呼応している。
くだらないことを書くとツイッタで政治家であるという三宅雪子さんという人に話しかけたら、「べ」言葉を使う人間とは話しません、と言われてびっくりしたが、この詩句が述べるとおり日本語が「だんべ」「べ」とつぶやくたびに、つるりんとした日本語の端っこが少し壊れて、その壊れたところが宇宙へとつながってゆくところに日本語の普遍性の保障はあった。
それを否定して「だべ」言葉を使う人間は拒絶する言語の感覚では、結局は人間と言語への理解力をおおきな前提としている政治のような世界には向かないだろう。
学級委員と衆院議員では拠ってたつべき語彙の深みが異ならなければならないのだと思う。
閑話休題。
http://gamayauber1001.wordpress.com/2012/02/29/日本の古典_その3%E3%80%80岡田隆彦/
で書いたように、日本語はたくさんのすぐれた抒情詩人も持った。
雨の東京の街を歩きながら、
「降りしきる雨の日に
あるいはまた干からびた冬の日に
私は変ってしまった
と言ってくれ
君の青白い額に唇を重ねると
唇が青くなってしまうのだ
こんなものが愛だとは
どこかの賢人さえも
僕らの所へやってきて叱咤するだろう」
というこの詩人の詩をよく思い出したものだった。
もう背広を着てネクタイをしめていたはずの、勤め人だった詩人の、しかし肉体のなかで小さなまま凍えていた、ふるえているような魂が述べる「こんなものが愛だとは」という言葉は、
言葉が理解できるものには誰にでも、「ここにも仲間がいる」と思わせる。
実際、その言語が文明を感じさせるかどうかは、その文明がつくった町を散歩しているときに、その文明の言語で書かれた詩や文章の一節が頭のなかでなり始めるかどうかにかかっていると言ってもよい。
たとえばバルセロナのランブラを歩いてパブロ・ネルーダの詩を思い出さない人はいないだろう。
冬のロンドンの荒涼とした街角にたつ人が、いつも頭の中でT.S.エリオットの「蛎殻がちらばった料理屋」や「黄色い霧」
「窓から首を出して煙草を吸っている男」を思い浮かべるのも同じ理屈によっている。
茶沢通りを歩いてのぼって三軒茶屋へ歩いてゆくと、自動的に、
三軒茶屋でつかれはて
ミョーガをにた汁をかけ
ウドンをたべるころは
という「壌歌」の一節を思い出すw
あるいは、義理叔父の実家があった西原へ向かって歩いていると、
またセタガヤのフイフイ教会の
ミナレットにムーエゼンと一緒にのぼり
太陽の沈む時
アラの神にぬかずく人たちを
呼ぶある夕暮もあつた
を思い出す。
(そう呼称すると本人は嫌がるだろうが)わが弟ミショのブログ記事を読むと、
「ミショーは偉大なメスカリンだ」
という1行をただダジャレた音だけで反響させている。
または、くだらない政治ブログを読んで、
「こんなせりふはカツシカの
金町のお経にすぎないわ」
と知らないうちにつぶやいている。
この言語は全体が死語化しているのではないか、と疑いながら、いつも日本語に帰ってくる理由は、要するに、日本という文明に張り巡らされた、美しい竪琴の弦のせいであるに違いない。
3
日本語は楽しい。
このブログあてに、
「おまえのブログは日本語が目もあてられないくらいひどい上に内容がないから、どうしてもやりたければ広告チラシの裏にでも書いておけ」という人たちがよく来るが、(あれはなぜ罵り文句が判で捺したように同じなのだろう?)、残念ながらニュージーランド人はケチなので、広告は必ず両面に印刷するので余白がない。
折角の恫喝なり、嫌がらせだが、本人には当面やめる気はないよーだ。
ふだん使わない外国語で、ものを考えて、いろいろ書いてみて、書くことを通じて、また考えがみちびかれてゆくくらい面白い時間の過ごし方は、他にはちょっと見あたらない。
古典的な言い方をすると「億万長者」(←自分で平然と述べるこの鋼鉄の神経を見よ)で、遊びという遊びが手に入る人間が言うのだから、間違いはない。
きみも亀ロイド語かなにかでやってみたら、どうでしょう。
おもしろいよ。