鳥人間コンテスト事故の深層 第5回:新証言が明らかにした事故の全貌

しばらく間が空いてしまった。私自身の都合もあるがもうひとつの理由は、新情報が大量にもたらされ、その分析に時間を要していたからだ。
情報をもたらしてくれたのは、事故当時の九工大チームのメンバーだったA氏だ。A氏は事故後、川畑さんとはほとんど連絡を取ったことがなかったが、今回の事故報道を見て心配になったのだという。そして、このブログを含む裁判情報を知って、こう感じたのだと私に話した。
「平木先生は、こんな嘘をつき続けているのか」

そして、本当のことを知ってほしいと、DVD-Rにして3枚分の画像や議事録などのデータと、多くの証言を頂くことができたのである。なお、A氏は当初実名での告発を考えてくれていたが、これまでの川畑さんへのバッシングなどの経緯もあり、今回は匿名での掲載とさせて頂くこととなった。

行われていた事故原因調査

チーム側の準備書面では、古賀氏が川畑さんの母に宛てた手紙に書かれた事故原因について「同書は、被告古賀の一個人としての意見であり、KITCUTSが検討協議のうえ出した結論ではない。そもそも、本件人力飛行機は残存していないのであるから、同書が、科学的データに基づいた分析ではないことは明らかであって、被告古賀自身が、結果論的に推測を述べたものに過ぎないことは明らかである」と記している。そして、チーム側からは図面や写真などの具体的証拠は出さず、原告側の主張は根拠がないと切り捨てる主張をしている。確かに、証拠がなければ事故原因を特定することはできない。

しかしA氏は当時、機体の調査と事故原因調査を行ったことを覚えていた。そして、調査で用いられた多数の写真と、設計図のCADデータを保管していたのである。私は、このCAD図面と機体の写真を照合し、当初設計図の通りできているかを確認した。その中で、主翼折損部付近に若干の設計変更があることを含め、事故機の詳細な構造を把握することができた。
その結果、A氏から聞いた「当時の事故報告」と「被告古賀氏の手紙に書かれた考察」、そして私が推測した事故原因は完全に一致した。いや、鳥人間コンテストに出たことのある者なら誰でも、同じ結論に達するだろう。原因は、主翼桁が細すぎたことと、主翼桁にワイヤーを取り付ける方法が不適切だったことである。

他チームの半分以下しかなかった強度

チーム側は「細くても、厚みがあれば必要な強度を得られる」と強弁して原告主張を否定しつつも、それを証明する証拠は一切提出しなかった。しかし、A氏の資料によれば、主翼が折れた部分の桁は、直径50mm厚さ1mmのCFRPパイプであり、それはCAD図面からも写真からも確認することができた。
厚さ1mmというのは人力飛行機の桁としては一般的なもので、チーム側が主張する「厚ければ強い」というようなものではない。問題は50mmという直径だ。同時期の同規模の鳥人間チームの主翼桁は、直径が80~100mm。つまり、他チームの主翼桁が1.5Lペットボトルぐらいの太さとすれば、事故機の主翼桁は500mlのペットボトルより細いのである。強度を意味する値「断面2次モーメント」は他機の1/2~1/4程度しかない。

IMG_6872離陸前の写真。停止状態であるにも関わらず、向かい風だけで主翼が極端に曲がっている。

さらにもうひとつ、主翼のたわみを抑えるためのワイヤーの取り付け方法が異常なものであったことがわかった。
人力飛行機チームの一部は、主翼にワイヤーを張っている。これは主翼の反りを抑えるもので、主翼を軽量化でき、またワイヤーの長さを変えて反りを調整することができる。ワイヤーの空気抵抗が馬鹿にならないというデメリットもあるため一長一短であり、上位チームでもワイヤーの有無はチームによる。ただ、張るほうが作りやすいので初心者向きではあるだろう。

事故機の主翼折損部の写真を見ると、ワイヤーをスピードキャッチという金属製のリングに取り付け、それをホースバンドで主翼桁に括り付けていることがわかる。わずか1mmの厚みしかなく割れに弱いCFRPパイプに、このように金属をごりごりと押し付けて力を加えれば、パイプは簡単に割れてしまう。もともと細くて半分以下の強度だったパイプは、それよりさらに弱い力で折れてしまうだろう。

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事故後の写真。細く、薄いパイプに無造作に巻き付けられたホースバンド。これでは折れるのも当然だ。

[追記]東北大の写真へのリンク←鳥人間で一般的なワイヤー取り付け方法。パイプに板を接着し、そこにピンを通す穴を明け、ワイヤーを接続する。この写真では先にパイプにカーボン布を巻いて補強したうえ、上から樹脂を盛って補強しているが、こういった補強はチームによって違う。

直径わずか50mmのパイプに括り付けられたホースバンド。これは鳥人間経験者が見れば、計算するまでもなく一目で「折れないはずがない」とわかるくらい、あり得ない構造だ。これほど酷い機体がどうして飛行に至ってしまったのか。そして、その原因調査が行われていたのに今まで秘匿されてきたのは何故なのか。それも、A氏が保存していたチーム内の打ち合わせ議事録と、証言から判明した。

機体製作、試験飛行、そしてハイブリッドトレーニング

チーム側の準備書面では、試験飛行は安全確保には不要なものだと断じている。しかしA氏の証言によれば、当時リーダーであったチーム側被告の学生達は、製作の遅れで試験飛行の時間が減っていくことに焦りの言葉を口にしていたという。さらに、製作が進むにつれて機体重量が設計値をオーバーすることがわかってきた。機体が重くなれば飛行に必要なパワーも増える。逆に言えば、パイロットは設計値以上のパワーを出さなければ、飛行機は飛べない。
計算上、当初設計の240Wから、300Wに引き上げる必要があるとわかった。これは無茶な話だ。わずか2、3か月でこれほど筋力を増やすことができるのか。

ここで、「ハイブリッドトレーニング」が登場する。ハイブリッドトレーニングは電気刺激により筋肉量を飛躍的に増加させるというもので、九州工業大学などで研究が行われていた最新のトレーニング方法だ。まだ臨床段階の研究、いわば人体実験であるため病院の倫理委員会の判断が必要で、実際にトレーニングが始まったのは6月末だった。

機体の完成が遅れ、ようやく試験飛行が準備されたのは鳥人間コンテストのわずか2週間前だった。しかし機体を走行させると、離陸する前に主翼ワイヤーが切れてしまい、試験飛行は失敗に終わる。修復作業が行われたものの大会本番まで日数がなく、再度試験飛行を行うことはできなかった。結果としてこの機体は1度も、飛行中に受ける荷重に耐えられることを確認していない。

また、本来なら試験飛行前に行わなければならない、機体の重心測定を行う余裕がなかった。そこで試験飛行の後、機体を組み立てての重心測定が行われた。ここで機体の総重量も改めて確認されたわけだが、鳥人間コンテスト直前の木曜になって、川畑さんの体重が思いのほか増加していることに気付いた。

パイロットの出力は当初の240Wから、目標の300Wを達成していた。一方、体重も当初設計時の47kgからある程度増加することは予想していたようだが、実際に測ってみると54kgだった。それでも、重量増が設計総重量(機体とパイロットの合計)の8%なのに対して、パワーは25%も増加したのだから、トレーニングは成功である。しかし、機体の重量も増えているし、前回の試験飛行では主翼構造も破損している。重くて弱い機体で、本当に安全に飛べるのか?パイロットの川畑さんとチームリーダー達は愕然とし、大会出場辞退を考え始めていた。

「責任を取って飛べ」という選択

川畑さんは動揺し、体重管理を怠った責任は自分にあるとして、自分から大会出場辞退を申し出ると言い出した。しかし松本氏らは川畑さんを制し、川畑さん抜きで顧問の平木准教授に相談へ行った。

このとき彼らが何を考えていたのかは、本人に聞かないとわからない。しかしもし私なら、こう考えただろう。パイロットの体重を試験飛行時に確認しなかったのは自分達の責任でもある。パイロットひとりの責任ではなく、チームの責任として出場辞退を申し出るためには、パイロットの川畑さんを連れていくわけにはいかない、と。

実際に平木准教授と松本氏らの間でどのような話し合いがあったかもわからない。しかし、そのあと平木准教授は川畑さんを電話で呼び出す。研究室を訪れた川畑さんは、平木准教授に説得された内容をこう記憶している。。

「体重管理の責任を取って出場を辞退しようと考えているそうだが、せっかく鍛えたのだから、出場して記録を出すというのも責任の取り方ではないか。強度は私が確認したから、安心して乗ってほしい」

自責の念に駆られている川畑さんにとって、責任を取って飛べという言葉は重かった。しかも強度確認を准教授がしたと言われれば、信じないとは言えない。翌金曜日の昼、読売テレビが開催するパイロット向け説明会に参加するため、川畑さんは新幹線で琵琶湖へ向かった。同日、パイロット以外のチームメンバーは機体をトラックに積み込み、バスで土曜朝に大会会場に到着する。

そして、大会当日。組み立てた機体の、主翼ワイヤーが再び切れて修復した。水平尾翼を操作するサーボモーターが故障したが、これは交換用部品がなくそのまま固定した。水平尾翼の固定は設計通りの機能を備えていないということであり、本来は大会本部に申告するべき重大なトラブルだが、申告はしなかった。これらのトラブルに、川畑さんは「飛んで大丈夫なのか」と疑問を発したが、担当者はその都度「大丈夫だ」と答えていたという。これほどの問題を大会本部に申告していたら、本部権限で飛行取りやめになっていたかもしれないが、申告することなくフライトは行われてしまった。

OBと学長が見ている前で

それにしても、飛行機を飛ばすうえで最も重要な責任は「飛ぶこと」ではなく「事故を起こさないこと」だ。にもかかわらず、飛ばなければならなかったのは何故なのか。

九州工業大学のOB会は、明専会という。その明専会からチームは資金の寄付を受けていた。そして鳥人間コンテストには明専会による応援ツアーが組まれており、そこには九工大の学長も参加していた。もし大会寸前に出場を辞退すれば、明専会や学長はわざわざ琵琶湖まで来て「九州工業大学が出場していない鳥人間コンテスト」を見せられる破目になる。

もちろん、明専会が学生達に「安全に不安があっても飛べ」と圧力を掛けたわけではないだろう。しかし、こういった「上の人」への、現場の自主的な(愚かな)配慮が大きな事故に繋がった例は過去にもある。中でも有名なのは、スペースシャトルチャレンジャー号爆発事故だ。

スペースシャトルチャレンジャー号の教訓

チャレンジャー号の事故は予言されていた。爆発事故の日の朝、常夏であるはずのフロリダは異常な寒波に襲われており、気温は氷点下まで下がっていた。スペースシャトルのブースターを製造したメーカーは「こんな低温での打ち上げは、安全を保証できない。凍結したパッキンが硬くなってガス漏れを起こし、爆発するかもしれない」とNASAに進言した。しかしNASAは「爆発するとは限らない」と言って打ち上げを強行。その結果起きた爆発事故の原因は、まさにこのメーカーが心配していた通りのものだった。

NASAが打ち上げを強行したのは、その日の夜にレーガン大統領の演説が予定されていたからだった。演説の日にスペースシャトルが飛べば大統領がそれに触れないはずはなく、予算獲得に有利になると考えたのだ。しかし結果として、大統領の演説は追悼演説に変わってしまった。

九工大の鳥人間事故はまさに、チャレンジャー号爆発事故と同じだ。技術を軽視し、体面を重視した結果、乗員の人命を賭けていることを忘れていたのである。

行われていた事故調査

事故直後、チームのOBは現役学生達に「徹底的に調査しろ」と指示をする。それだけでなく、破損した写真の機体を大量に撮影して提供した。これがA氏が保存していたデータの一部となる。
事故の前まで、チームを指揮していたのは4年生であり、「チーム側被告」はこの代である。3年生はパイロットの川畑さんのみ。意気消沈していた4年生に代わって事故調査を指揮したのは2年生だった。彼らは翌年、チームを運営する世代であり、同じ失敗を繰り返さないための調査が必要だったのである。

そこで2年生は、それまでチームでタブーだった行動に出る。それは「他のチームに相談する」ということだった。

一般的に鳥人間チームは、チーム間の情報交換が多い。大抵の場合、見学に行けば何でも見せてくれるし、図面ももらえる。それは鳥人間の人力飛行機は単にコピーすれば良いというものではなく、試験飛行などの運用も含めた経験が重要だからだ。コピーしたぐらいで超えられるものではないのである。逆に言えば、他チームに相談することがタブーという九工大は、非常に特殊と言える。

彼らは他チームの図面と比較することで、事故機の主翼桁が細すぎたこと、ワイヤー取り付け方法がずさんであったことにすぐに気付いた。古賀氏の手紙にそのことが書かれていたのも、事故調査の結果を反映していたのである。

「他チームに相談しない」タブー

なぜ九工大チームだけが、他チームに相談してはいけないというタブーを有していたのだろうか。この点についても、川畑さんとA氏の意見は一致している。それは「他チームに聞くなんてみっともない」という意識と、「うちはISAS出身の先生が顧問をしているのだから」という認識だったという。

川畑さんは高校時代、九工大のキャンパスツアーに参加した際、鳥人間チームを訪れてこう説明された。「うちのチームはISAS出身の先生が指導してくれている。こんなチームは他にない」と。キャンパスツアーで訪れた高校生に説明するのだから、彼らにとってそれは重要な誇りだったのだろう。ISASとはJAXA(宇宙航空研究開発機構)の宇宙科学研究所のことで、平木准教授は九工大に転属する以前はISASで小惑星探査機「はやぶさ」の開発に従事しており、九工大への転属は「はやぶさ」の打ち上げとほぼ同時である。

しかし事故機の設計図や写真を見れば、他のチームで鳥人間コンテストに参加した経験のある人なら誰でも唖然とする。あまりにも、鳥人間の常識から外れているからだ。つまるところこのチームは、人力飛行機の経験はないがISASという「錦の御旗」を掲げた顧問に率いられ、その指揮下で「他大学に質問するなどみっともない」と考える学生達が人力飛行機を作っていたのである。

しかし、彼らも反省がなかったわけではないのだろう。事故後A氏は、引退してOBになった松本氏らから「試験飛行を充分にするように」と口を酸っぱくして言われたという。主翼桁も、他チーム並に太いパイプに変更された。他チームとの交流も活発化した。失敗から得た教訓を受け継ぐことは、技術者として重要な責任の取り方と言えるだろう。

矛盾する平木准教授の発言

事故後、重傷を負った川畑さんは平木准教授に、事故原因を調査して欲しいと依頼する。しかし、平木准教授は「学生に責任を負わせられない」の一点張りで、事故調査を断り続けた。実際に裁判の準備書面でも、調査は行われていないことになっている。しかし現実には調査は行われていたのである。何故、チーム内では事故調査が行われていたのに、川畑さんにはそれを伝えなかったのだろうか。

一方で、川畑さんは事故の発生について鳥人間コンテスト主催者である読売テレビに報告して欲しい、と平木准教授に伝えている。しかしA氏は平木准教授から、読売テレビへ報告しないことについて「川畑さんも問題を大きくしないで欲しいと考えている」と聞いている。これも矛盾している。

さらに、最近わかった事実がある。川畑さんには入院治療費に関する保険金が支払われているが、この保険金は大学が学生に加入させている保険で、大学の授業や研究活動でないと使えないものであった。平木准教授は裁判で「単なるサークル活動で、研究室の活動ではない」と主張しているが、サークル活動ではこの保険は使えないのだ。研究と無関係なサークル活動だという主張が真実であるなら、保険の支払いはできなかったはずだ。

そして、A氏は平木准教授から「保険が使えるのは3~6か月の治療期間だけで、以後は使えないので、寄付を集めたい」と説明されたと証言する。ところがこれは間違いだった。実際には保険は、後遺障害にも適用可能なのである。しかも保険は傷害保険だけでなく賠償責任保険もあるため、チーム側被告らはこの保険で川畑さんへの賠償を行うことも可能だ。にも関わらず、平木准教授は入院費だけに研究室の保険を使い、そのあとは「保険が使えない」と学生に説明していたのである。

後遺症に保険を適用すれば、「研究室の活動で、学生に後遺障害が残る重傷を負わせた」ということになってしまう。その責任をめぐって問題が大きくなるのは避けられなかっただろう。

「体重オーバー問題」の謎

ここまでに明らかになったように、事故後の調査で原因とされたのは「主翼桁が細すぎた」「ワイヤー取り付け部が杜撰だった」の2点であって、パイロットの体重オーバーは問題にされていない。たとえ体重が当初予定通りでも主翼が折れたことは明らかだからだ。A氏の記憶でも、パイロットの体重は原因調査の過程で無関係として外されたという。古賀氏の手紙にも体重のことは書かれていない。

しかし、川畑さんの母親が平木准教授のもとを何度も訪れて談判すると、平木准教授は毎回「パイロットの体重がオーバーしていたのだから仕方がない」と言って話を打ち切ったという。設計や製作に関しては「学生に責任は負わせられない」と言いつつ、パイロットの責任とも取れる発言をすることに母親は憤った。平木准教授がパイロットの体重にこだわり、設計や機体構造に関しては調査結果の報告すら拒んだのは何故だろうか。

大会直前に「強度を確認した」と言ったという川畑さんの証言が事実で、しかも事故原因が強度不足であれば、平木准教授にも責任が及ぶ可能性がある。しかし、体重が原因であれば、平木准教授に責任はない。

そして、もう一つ謎がある。この、平木准教授以外は誰も問題にしていない体重問題が、雑誌「女性自身」の記事掲載直後に2ちゃんねるに書き込まれ、「体重詐称パイロット」という非難が巻き起こったことである。雑誌記事中に書かれておらず、事故調査でも裁判の場でも一切話題になっていない、平木准教授しか問題視していないことが何故、誰の手で、2ちゃんねるに書き込まれたのだろうか。

起きなかったはずの裁判

川畑さんがもともと要求していたのは「事故原因を調査すること」であり、それに加えて「自分だけに負担を負わせて逃げるのか」という怒りが裁判に至った理由と言えるだろう。
しかし、これまででわかったのは「事故原因は調査されていた」うえ、「後遺障害やチームメンバーの賠償責任まで、大学の保険でカバー可能だった」という事実である。この2点を平木准教授が川畑さんに正直に伝えていれば、川畑さんが訴えを起こす理由がない。裁判はなかったのである。

もし、これから賠償保険金が支払われれば、そのぶんの金額はチーム側の賠償分から差し引かれるだろうから、結局彼らは賠償金を払わなくて済むのかもしれない。そのことは、川畑さんが自分で調べて判明したことなので、彼らチーム側被告は知らないのだろう。知っていたら、裁判の前にまず保険の手続きをすれば和解していたかもしれないのだ。

どうして、川畑さんと松本氏らは裁判で戦う羽目になったのか。私には、どちらも「引き裂かれ憎み合うように仕向けられた被害者」に思えてならない。

九工大と弁護士の立場は

こうして見てくると、平木准教授と九工大が同一の弁護士のもとで、同一の答弁書で主張しているのはおかしい。九工大は平木准教授はただの顧問であって責任がないという前提だが、それは平木准教授が九工大に報告した内容を信じた結果だろう。しかしA氏の証言は、それとは全く矛盾する。

複数の被告を1人の弁護士が同一の主張で弁護すること自体は問題がない。しかし、被告人の立場が異なっていて、利益が相反する場合は、1人の弁護士が両方を弁護することはできない。弁護士職務規定第28条で禁止されているのだ。もし被告同士の利益が相反していることがわかった場合は、弁護士は辞任しなければならない。

九工大は、こういった事情を改めて内部調査するべきだろう。公判が開始されてから大学側と平木准教授の利益相反が判明するような事態は避けるべきだからだ。

さらに言えば、チーム側の元学生達も、平木准教授の弁護士と同じ弁護士事務所の弁護士が代理人である。これも、利益相反があれば問題になる。チーム側はこれまで、責任は自分達に一切なく、読売テレビにあるという主張で一貫しているが、いくらなんでもその主張が100%通るとは考えにくい。一方で、平木准教授の責任に関することはひとつも主張していない。もし主張すれば、チーム側と平木准教授の間に利益相反があることになってしまう。

明専会は救済の手を

なぜチーム側学生達は、チーム内の事情に口をつぐんだまま読売テレビだけを糾弾する無理な主張を続けているのだろうか。考えられるのは、明専会の存在である。と言っても、明専会が彼らに圧力を掛けているわけではないだろう。

彼らはいずれも一流の航空宇宙系企業に勤めており、会社の先輩には明専会の大先輩もいる。そもそも彼らに鳥人間の活動を支援してもらい、その縁もあって就職を掴んだのであろう。そんな立場で、大学側を糾弾するようなことは、裁判であってもできないに違いない。

しかし、明専会は彼らに危険なフライトを要求したわけではない。学生達のために支援の手を差し伸べただけだ。にも関わらず、このような状況で後輩たちが苦しんでいるのは、彼らにとっても不本意に違いない。もちろんここで言う後輩とは、原告の川畑さんだけではなく、被告の松本氏らのことでもある。被告の立場で苦しんでいる彼らに「先輩に遠慮するのは間違っている。何があったかを正しく証言するべきだ」と説得できるのは、明専会ではないだろうか。

鳥人間コンテスト事故の深層 第4回:九工大と平木准教授の主張

ここからは九州工業大学と、顧問である平木准教授の主張を見ていこう。

第1回で述べたように、九工大と平木氏は同一の弁護士を通じて、同一の主張書面で回答している。訴状では平木氏個人と九工大を別に記しているので、平木氏と九工大が同じ立場で主張する必要はないのだが、彼らはあくまで一体の立場で主張しているわけだ。以前にこのブログへのコメントで「教員個人の行為と大学を混同するな」という趣旨のことが書かれていたが、実は私も同意見だ。教員個人の行為と大学を一体視している九工大に疑問がある人は、私より九工大に文句を言った方が良いだろう。平木准教授の行為がサークル顧問として適切であったかどうかを確認する責任は、大学側にあるはずなのだから。

さて主張の内容だが、第1回の準備書面にその趣旨が端的に記されている。

「被告平木は、KITCUTSにおいて人力飛行機の設計・製作につき指導・監督する立場にはなく、実際、指導・監督したこともなかった。」
「被告平木の専門は宇宙工学及び機械工学であって、人力飛行機の設計・製作を専門とはしていない。」
「そもそも、人力飛行機の設計・製作の専門家ではない被告平木がKITCUTSの行う同設計・製作に対し、指導することなど不可能である。」
「被告平木にとっては、人力飛行機の設計・製作は、自己の研究対象ではないのであるから、KITCUTSはあくまで大学における通常の部活動と同等のものにすぎないのであって、その顧問である被告平木は、主としてKITCUTSが鳥人間コンテストに参加するための活動を支援する事務手続等をしているだけの存在である。
よって、被告平木は、KITCUTSの活動に際して、KITCUTSの構成員に対し、指導・監督する義務はない。」

つまり、整理するとこういうことだ。

  • 平木准教授は人力飛行機の設計・製作を研究しておらず、学生の活動に口も手も出していないし、する能力もない。
  • 平木准教授はサークルの顧問として、事務手続きをしていただけである。
  • サークルの顧問には、活動を指導監督する義務はない。

義務も能力もないから関与していない、というのが主張だ。しかし、義務も能力もない者が自分の意志で関与することは可能だ。関与すれば、起きた結果には責任がある。

学生鳥人間チームの顧問とは

学生鳥人間チームの多くは、顧問が活動に関与する度合いは少ない。大会出場までの活動計画、設計や製作、試験飛行などは学生達が自主的にやっている。顧問の関与は主に事務手続き的なことだが、大学によっては積極的に活動を応援するために補助金を出したり、大会に顧問が応援に来たりするが、あくまで応援だ。よほどのこと、たとえば未成年者の飲酒などない限り、顧問が口を挟むことはないだろう。その意味で、九工大・平木氏の主張は鳥人間に限らずサークル活動として一般的なものだ。

ただ、活動を指導監督する義務はない、というのはどうだろう。普通、事故を未然に防止するのは常識的な注意にとどまっても、大事故が起きたあとにも何の指導もしないものだろうか。

事故調査を拒否して機体を処分

チーム側の主張文書には、なぜ事故が発生したのかという具体的な説明は何一つ書かれていない。前回挙げたように、チーム側は手紙に書かれた事故原因について「そもそも、本件人力飛行機は残存していないのであるから、同書が、科学的データに基づいた分析ではないことは明らか」と書いている。機体の破損状況の写真も撮らず、どこが壊れたのかを調べもしていないのは、パイロットに怪我がなくても通常考えられない。なぜ設計担当者が「科学的データに基づく分析」を一切していないのか。

大学公認サークルの活動で、学生が入院を要するほどの怪我を負った。しかも事故現場には顧問も居合わせた。このような状況でサークルを活動停止にもせず、機体の調査も学生への聞き取りも行わず、事故調査報告書も作らせないというのはかなり異常ではないかと、私は思うのだが。

川畑さんの説明によれば、川畑さんは事故後、平木准教授に「事故原因をきちんと調べて報告させてほしい」と何度も訴えた。しかし、平木准教授は「学生達に責任を負わせることはできない」と断ったという。「私も学生なのに、私一人が責任を負うのは良いのですか」と食い下がっても聞き入れられなかったと。

事故後に何の調査も行われず、機体が処分されたのは何故なのか。あるいは、本当に調査は行われなかったのだろうか。

平木准教授は何をしていたのか

一般的な鳥人間チームでは、顧問には学内手続きの書類作成と挨拶ぐらいでしか会わないものだ。では平木准教授はどうだったのか。

前回も書いたように、チーム側は顧問の関与について、あるともないとも一言も触れていない。一方で原告側は、顧問としての責任を訴状に記しているが、それ以上のことは主張していない。顧問とチーム側の関係については、チーム側が主張するべきことだからだ。だから九工大・平木氏の主張は「顧問にはサークル活動に常時関与する義務はない」という簡潔なもので終わっている。

しかし川畑さんの弁によれば、「平木准教授は自分が鳥人間コンテストに出場したくて学生を集め、指揮していた」のだという。確かにサークルの顧問には常時関与する「義務」はないが、自分が「やりたくてやっていた」のであれば話は別だ。

チームのそもそもの発端については、九州工業大学の広報誌「九工大通信」に記載がある。発行は2005年10月なので、KITCUTSが初出場したときのものだ。その冒頭でこう書いてある

―鳥人間コンテストへの出場を思い立ったきっかけを。
平木 私自身が出場してみたかった、というのが理由の1つです。私の学生時代には、こういったコンテストに大学として参加するということが主流ではなく、出場機会がありませんでしたから。もう1つは、九工大を全国区にしたいという思いですね。私は2年半前に神奈川県から北九州に来ましたが、それまであまり九工大のことを知りませんでしたし、実際それほど知られていません。全国に広めるにはテレビで取り上げてもらうのが一番だと考え、学生に声をかけました。
井手野 僕は大学に入ったら鳥人間に挑戦してみたかったのですが、九工大の航空部はグライダーを飛ばすところで、ちょっと違っていました。先生が開かれたミーティングに参加して、ぜひやってみたいと。

普通に読めば、言いだしっぺは平木氏であり、平木氏が開いたミーティングに集まった学生(井手野氏は2005年当時のメンバーであって、今回裁判の被告ではない)がKITCUTSの初代メンバーだ。鳥人間コンテスト初出場は2004年で、平木氏が九工大に着任したのは2003年度だから、着任した年度に早速、学生を集めてチームを結成したことになる。

特殊な設計の「初出場機」と学会発表

同じ2005年10月29日には、日本航空宇宙学会西部支部において井手野氏、平木氏、そしてチーム側被告の1名である古賀氏の連名で「先尾翼式人力飛行機の飛行特性に関する実験的考察」という発表を行っている。これについて平木氏主張文書では「井手野の発表に協力しただけ」「平木の研究テーマである空力技術に資する考察であるならば、機体の形状を先尾翼式に限定する必要はない」「自分で人力飛行機の研究をしているなら翌年以後も発表を続けるはずだが、していない」と、実質的な関与を否定している。

ということなので、科学技術振興機構から論文を取り寄せてみたところ、こんなことが書かれていた。2005年のKITCUTS機の特徴は先尾翼と「winggrid」という構造を取り入れることにより、主翼幅を18mと短くすることができたとある。

このwinggridというものは、航空機に詳しい人でもあまり見たことはないだろう。世界的にも非常に採用例の少ないものだ。

winggridを紹介しているページ

私はこの機体が2004年の鳥人間コンテストに登場したことをよく覚えている。winggridを装着した人力飛行機など見たことがなかったが、この機体のwinggridは18mの主翼のうち、片側2.5mずつを占める巨大なものだ。winggrid部を除いた主翼は13mしかないという、きわめて挑戦的な設計だ。初出場でずいぶん思い切ったことをしたものだなと驚いた。(2004年は強風で飛行できなかったので、2005年が実質的初出場)

翼端の性能改善方法はウィングレットという小さな翼などがあり、鳥人間チームでもよく使われている。チーム側準備書面によれば、KITCUTSは航空力学をかじっただけの「素人集団」である。にもかかわらず、初めて人力飛行機を作る大学生が、こうも大胆にwinggridを採用するものだろうか。「空力技術」に詳しい人がメンバーにいて、チームをリードしたとしか考えられないのだが。

また、この井手野氏の発表の趣旨は先尾翼に関するものだけで、winggridはテーマではない。設計リーダーであった井手野氏にとって、winggridはあまり重要ではなかったのだろうか。ではwinggridという大胆なチャレンジは誰の発案だったのだろうか。

そして確かに、2005年のこの発表を最後に、学会での発表はない。次にKITCUTSが鳥人間コンテストに出場したのは2007年であり、まさに大事故が発生した年なのだ。離陸前に壊れてしまった飛行機では、論文を書こうにも書きようがないだろう。

事故4か月後に語られた「平木の野望」とは

ふたたび、事故が起きた2007年の話に戻る。事故の責任を巡って関係者が揉めているさなか、11月24日に平木准教授は講演を行っている。

明専会大阪支部総会

明専会とは、九州工業大学(創立時の名称は明治専門学校)のOB会のようだ。そこで平木准教授は「鳥人間コンテスト指導教官」として「九工大・平木の野望、そして迷い…」という題目の講演を行った。事務手続きを行っただけのサークル顧問が「鳥人間コンテスト指導教官」と名乗ったのだとすれば誇大表示の印象を受けるが、その内容が「平木の野望」となると、ただの顧問がどんな野望を持っていたのだろうかと大変興味深い。この講演を聞かれた方がいらっしゃったら、内容をお知らせいただければ幸いだ。

何も知らされない後輩達

実際の設計・製作に関してはどうだったのだろうか。川畑さんの弁では「平木准教授が指示し、平木准教授の許可がなければ何も決定できなかった」と言う。一方平木氏の主張では「指導・監督したこともない」「専門家ではないので指導不可能」としている。どちらが正しいのか。

2007年当時の状況については、チーム側が何も説明しないのでわからない。そこで2013年秋、私は現在の九州工業大学KITCUTSの複数の現役学生に、現状を聞いてみた。すると「いま、設計担当の学生が作成した設計案と平木准教授の案で対立していて、話し合いの最中」という答えだった。彼らの話を総合すれば、平木准教授は2005年以後「人力飛行機の研究をしていない」し、2007年の時点では「指導も監督もしたことがない」「研究していないので指導できない」状況だったが、2013年には「学生とは違う設計案を作成」して「学生は自分の設計案を平木准教授に交渉していた」ということになる。

そしてもうひとつ驚いたのは、KITCUTSが2014年の鳥人間コンテスト出場を目指して活動していたことだった。学生達によれば、平木准教授は「良い設計をして良い機体を作れば書類審査に合格する」と叱咤していたという。しかし、2013年から行われている裁判では、当時の学生が「責任は読売テレビにある」と主張し、平木准教授は「顧問には指導する義務はない」と主張している最中だ。

事故の後、2008年と2010年にKITCUTSは鳥人間コンテストに出場している。しかしこの間、読売テレビはKITCUTSから前年の事故の報告を受けていない。平木准教授との話し合いに業を煮やした川畑さんが読売テレビに協力を求めた後、驚いた読売テレビは事情聴取のため平木准教授を訪れている。

実情を「知っている」読売テレビが、現在も平木准教授が顧問を務めるKITCUTSを合格させるとは考えにくい。実際、2010年の出場を最後にKITCUTSは落選を続けている。大会がなかった2009年を除く6年間に5回も合格したチームが、その後4年連続で落選するのは異例だが、状況を考えれば当然だろう。KITCUTSの学生達は4年間にもわたって、出られるはずのない鳥人間コンテストを夢見て活動を続けてきたのだろうか。

サークル、研究室、就職の利害関係

ここまでの情報を総合すると、私には「平木准教授は手続き上のサークル顧問ではなく、自分が鳥人間コンテストに出場したくて学生を集め、自分の趣味でwinggridなど鳥人間コンテストでは特殊な設計を次々に取り入れ、自分が示した方針以外を学生に認めず、自分の考えの枠内で学生に鳥人間チームの活動をさせた」というように見える。少なくとも私が会ったKITCUTS関係者(川畑さん以外も)に聞く限りは、そうだ。

しかし平木准教授は、自分はKITCUTSの単なる顧問であって、実際の設計製作には関与していないと主張する。大学のサークル活動ではよくあることだし、鳥人間サークルでも一般的な状況だということは先に書いた。では、サークルの主要メンバーが卒業研究や大学院で、単なる顧問であるはずの教員の研究室に入るのは一般的だろうか。

今回の裁判の被告であるチーム側学生達は、鳥人間サークルKITCUTSの元メンバーであり、平木研究室の元学生でもある。そして現在はいずれも航空宇宙系の一流企業に勤めている。文系学生の就職活動と異なり、理系大学院生の就職活動は大学、特に教員の個人的パイプが非常に重要だ。

鳥人間サークルに入り、研究室に入り、一流企業への就職を斡旋されて、現在は旅客機などを作りながら裁判では「絶対安全な飛行機は作れない」「飛行機の安全確認のために飛行試験をする必要なはい」と主張する。そう主張しなければならない理由が、おぼろげに見えてくる。

鳥人間コンテスト事故の深層 第3回:チーム側主張の謎

※前回まで「答弁書」と書いてきたものは、答弁書以外にも公判準備書面を含むというご指摘を頂きました。そこで、今回からは答弁書や公判準備書面を含む、裁判に提出された被告主張を「主張文書」と表記することにします。

チーム側が書いた「お詫び」

前回書いたように、チーム側、すなわち事故当時にチームリーダーや設計担当者を務めていた学生達が裁判に提出してきた主張文書は、筋が通らないばかりか鳥人間コンテスト参加者を自ら愚弄するような、不自然な内容だった。そしてそれは、他の資料などから私が感じた彼らの「キャラクター」とは大きくかけ離れている。

彼らチーム側は一度だけ、川畑さんの母親に手紙を書いている。その手紙も証拠として裁判に提出されているが、本来私信ということもあるので、今回は原文の掲載は控えようと思う。ただ、この手紙から私が感じたのは、彼らは「真面目で誠実で気が弱い、どこにでもいる普通の理工系大学生」だということだ。彼らは彼らなりに責任を感じ、自分達の配慮や努力が不足していたことを反省していると、書面にしたためていた。

川畑さんの話によれば、事故後に彼らと直接会ったのは1回きり、入院中の病院に見舞いに来たときだという。その時はまだ病状が重く、絶対安静だったということもあってか、彼らは衝撃を受けた様子でずっと黙ったまま、花束だけを置いて帰ったそうだ。その後、川畑さんは「何故、このような事故が起きたのか説明して欲しい」と顧問の平木准教授に訴え続け、ようやく平木准教授を経由して母親宛として出してきたのが先ほどの手紙である。

このようなチーム側学生達の態度に、川畑さんは激怒していた。事故後ずっと対面を避け、いくら要求してもろくな事故調査もせず、謝罪文1通で済ませようとしていると。しかし私は強い違和感を覚えた。確かに、取り返しのつかない大怪我をさせてしまったことにショックを受けたからと言って、逃げて済むものではない。だがそれも、取り返しがつかない大失敗だからこその逃避と考えれば一応理解はできる。そのような小心者の連中が書いたにしては、主張文書はあまりにも攻撃的だ。

自分自身を罵倒する主張

主張文書を振り返ってみる。安全性確保のために試験飛行をするべきだった、という問いには「飛行試験の目的をはき違えた的外れなものと言わざるを得ない」と切り捨てる。機体の強度が不足していたと言われれば「人力飛行機の性質につき何も理解していないと言わざるを得ない」と返す。パイプの太さを指摘されれば「パイプの太さのみに基づく原告の主張は、あまりに脆弱な立論であり、人力飛行機に対する原告の無知を露呈したものであると言わざるを得ない」と罵倒する。私には、いくら裁判に勝つためとはいえ、あの謝罪文を書き、病室で何も言えなかった彼らと同じ人格が書いたとは思えないのだ。

しかしよく考えてみると、彼らの主張文書で罵倒されているのは原告の川畑さんだけではない。主張文書によれば、彼ら自身は航空力学を「独学でかじった程度にすぎない」のであり、「KITCUTSは鳥人間に関し、何ら専門性を有する団体ではない」という。さらに、事故報告書代わりに書いた手紙に関しては、こう切り捨てた。

謝罪文である同書は、当然、原告の感情を慰謝すべく、あたかも被告古賀らに本件事故の責任の所在があるような記載となっているが、客観的には、事実と異なる箇所、何ら理論的に裏打ちされたものではない被告古賀の推測箇所及び誇張した箇所が多数存在するのである。
また、同書は、被告古賀の一個人としての意見であり、KITCUTSが検討協議のうえ出した結論ではない。そもそも、本件人力飛行機は残存していないのであるから、同書が、科学的データに基づいた分析ではないことは明らかであって、被告古賀自身が、結果論的に推測を述べたものにすぎないことは明らかである。そして、鳥人間の性質上、機体の改良点はコンテスト後の反省を踏まえればいくらでも見つかるものであることは自明である。
したがって、同書記載の内容は、事実とかけ離れたものであり、何らの信用性を有するものではない。

改めて確認しておくが、ここに書かれている「被告古賀」とは、この主張文書を出したチーム側の1人である。主張文書では、「被告古賀」は川畑さんの怒りを鎮めるために、仲間と相談もせずに事実とかけ離れたことを書き連ねたのであって、そんな謝罪文は信用に値しないと断言しているのだ。もし気持ちが昂って不正確なことを書いたのだと言いたいのだとしても、古賀氏をこれほどまで貶める必要があるとは思えない。

これらを併せて考えると、この主張文書では一貫していることがある。KITCUTSという学生チームのメンバーが、原告被告に関係なく「無知で論理性がない」と罵倒されているのである。そしてこの文章を書いた人は、川畑さんもチーム側も「人力飛行機を理解していない」「航空力学の知識がない」と言っているわけだから、自分は理解しているのだろう。だから、知識がないはずのチーム側が、原告の知識を罵倒するという矛盾が生じてしまっているのである。

透けて見える「隠れた顔」

私はこの事件について最も多くの話を聞いた相手は、原告の川畑さんだ。当然川畑さんは、被告であるチーム側に対して強い怒りを持っているから、彼らに対しては強い口調で非難する。擁護するつもりで話しているのではない。しかしそれを第三者の目線で聞いていると、チーム側の彼らの違う面ばかりが見えてきてしまったのだ。

特に強い印象を受けたのは、彼女がチーム側の学生達のことを「顧問の言いなりで自分では何も決められない人達」と怒っていたことだった。彼女曰く、設計もスケジュール管理も顧問の許可が必要で、パイロットとの打ち合わせでも結論を出せず顧問に確認を取っていたという。事故後のやり取りも全て顧問経由で、冒頭の手紙も顧問を経由してのものだったというのだ。

通常、鳥人間コンテストの学生チームは学生の自主的な活動で、設計やチーム運営は学生の手で行われる。大学側からの活動の支援の程度によって顧問の関与度合いは様々だが、大抵は金銭面などの支援であって、日常的に指示を出している例はあまり聞かない。非常に異様な感じを受けたが、川畑さんは私からそのことを指摘されるまであまり意識していなかった。鳥人間チームが顧問から指導されることに違和感を感じないほど、川畑さんの主観では日常的なことだったようだ。

しかしチーム側の主張文書には、顧問との関係は一切書かれていない。そもそも設計やチーム運営などがどのように決定されたのかというプロセス自体が一切書かれていない。書かれているのは、ただひたすら罵倒するように、原告主張も被告の過去の発言も切り捨てることだけだ。

では、顧問である平木准教授は、チームとの関係をどう主張しているのか。次回はその点を明らかにしていく。

鳥人間コンテスト事故の深層 第2回:チーム側の不自然な反論

この事件に関心がある方々で、チーム側(前回定義した通り、当時の学生チームのリーダー達)に同情的な意見を持つ方は、こんなふうに考えるのではないだろうか。

「鳥人間コンテストは最終的には湖に落下する競技であり、どれほど注意深く人力飛行機を作っても、パイロットが負傷する可能性はある。その結果、負傷の程度が予想以上だったとしても、パイロットはそれをもともと承知していたはずではないか」

もし私が彼らの側だったとしても、そのように主張するだろう。しかし、彼らの主張はそれとは大きくかけ離れていた。今回は、彼ら「チーム側」の主張を見てみよう。

「責任は読売テレビにあって参加者にはない」と主張

責任に関する、チーム側の主張はこうだ。KITCUTSは航空工学をかじっただけの素人集団である。鳥人間コンテストは素人が出場する大会であり、そのためにプラットホームを設けて離陸を容易にし、誰でも気軽に参加できるようにしている。また、うまく飛べずに落ちるチームも毎回放送し、プラットホームから落下する様を見せて楽しませるという面もある。読売テレビが「素人である参加者に代わって機体の安全性を十分に審査・確認する義務を負っているものであり、参加者が高度な注意義務を負うことはない」と主張した(以下、斜体文字は答弁書原文引用)。

つまるところ、原告である川畑さんが「責任の一端はチーム側にもある」と主張したのに対し、チーム側は「自分達は素人であり、鳥人間コンテストは落ちることも楽しんでいるのだから、責任は自分達にはなく、読売テレビにある」と主張したわけだ。

第三者がこういうことを言ったら、おそらく多くの鳥人間コンテスト出場者は侮辱だと感じるだろう。鳥人間チーム、特に設計やチーム運営に当たる者は、未熟な大学生ながら必死に航空工学を学び、先輩や他のチームに教えを乞い、全力で人力飛行機を作り上げる。それが時には、はかなくも落下するからこそ、本物の悔し涙を流すのだ。
素人が誰でも気軽に参加して落ちることを楽しむ大会なんだから失敗してもいいだろう、事故があったら読売テレビのせいだ、などと考える者はいない。いくら裁判での反論と言っても、そこまで自分達の過去の活動を貶める必要があるのだろうか。

設計は適切だったか

原告側は、機体の設計ミスが破損の原因であると主張した。まずこの設計について見てみよう。
人力飛行機の主翼は、「主桁」と呼ばれる頑丈な構造に、発泡スチロールやフィルムで肉付けして作られるのが一般的だ。翼が折れないように大きな力に耐える主桁には、炭素繊維強化プラスチック(CFRP)のパイプが使われる。航空宇宙分野やスポーツ用品で使われる材料で、「カーボン製」と言い換えた方が馴染みがあるかもしれない。

近年の人力飛行機は、翼の幅が30m前後と非常に大きい。大きくなるほど翼を曲げる力は強くなるので、頑丈なパイプを使わなければならない。しかし事故機の設計図を見ると、主翼が折れた箇所のパイプの直径は60mm未満しかない。一方、やはり30m前後の主翼幅がある多くのチームの図面を見ると、この付近のパイプ直径は100mm前後である。直径が6割程度しかないのだ。
丸パイプの場合、厚みが同じであれば強度は直径の2乗に比例する。直径が6割であれば、曲げに対する強度は1/3程度しかない。
念のため、複数の優勝経験チームの設計担当者に、この図面を見てもらった。彼らは絶句し、次に「この設計で、もつとは思えない」と口を揃えた。次いで、念のため設計プログラムを使って検証してもらったが、エラーが出てしまった。歪みを計算するためのプログラムなので、壊れるほど大きな歪みではプログラムの想定範囲を超えてしまったようだった。

「原告は人力飛行機を理解していない」と主張

チーム側の反論はこうだ。人力飛行機は、軽く作らなければ飛ぶことができない。パイプは細いほうが軽いのが当然だ。細ければ弱い、などということはない。細くてもパイプの厚みがあれば同じ強度は保てるのだ、と。

この反論も、鳥人間経験者や構造エンジニアであれば失笑ものだろう。「細いほうが軽い」「厚ければ強い」というのは正しい。しかし同時に「細いほうが弱い」「厚ければ重い」である。では「細くて厚い」パイプは重いのか、軽いのか。
先ほど説明した通り、厚みが同じならパイプの強度は直径の2乗に比例し、重量は直径に比例する。従って、厚みが同じで太さが6割のパイプは、強度が約1/3で、重量は6割となる。
次に厚みについて考えてみると、強度は厚みに比例し、重量も厚みに比例する。先ほどの「直径6割パイプ」の強度が元のパイプと同じになるようにするには厚みを3倍にすればよく、重量は約2倍になってしまうのだ。強度が同じなら、細くするとパイプは重くなるのである。軽く作るために細くしたのであれば、同じ材料で同じ強度を保つことは不可能なのだ。

さらに、チーム側はこう主張した。
鳥人間コンテストディスタンス部門の主目的は、当然に飛距離を伸ばすことに求められる。原告のこれまでの主張は、鳥人間を飛行させ、飛距離を伸ばすという本来的な目的を忘れた、ただ機体の強度のみに注視した主張であり、前述のような人力飛行機の性質につき何も理解していないと言わざるを得ない。原告主張のように、ただ壊れないことのみに注目した機体(=抗力の観点しか考慮していない機体)を製作するのは至極簡単であり、非常に頑丈な材質を用いて機体を構築すれば足りるが、そのような重い機体が浮くはずもない。
※原告側は「抗力」という観点での主張はしていないので、なぜ抗力が出てきたのかは不明。

「人力飛行機の素人集団」を自称する彼らがここまで言い切るのは驚きだが、およそ他の鳥人間チームの賛同を得られる内容ではない。誰も、絶対に壊れない機体を作れとは言っていない。鳥人間チームはいずれも、飛行前には壊れない程度の強度は備えるように設計している。なぜなら、飛行前に壊れてしまったら、飛距離を伸ばすどころか全く飛べないのだから。しかし人力飛行機は「浮くはずもない」どころか、滑走路から自力で離陸し、琵琶湖を往復することすらあるのだが、彼らは何を言っているのだろうか。

「試験飛行をしなくても安全確認は可能」と主張

原告側からは、チームが充分な試験飛行による確認を怠ったことも主張された。

一般的に、人力飛行機は鳥人間コンテストの前に試験飛行を行う。グライダーの滑走路などを借りて、まず地上を走行するところから開始。徐々に速度を上げ、プロペラや車輪、操縦装置などが正常に作動するか、主翼が設計どおりきれいにたわんでいるかなどを確認する。次いで、飛行速度まで速度を上げると、人力飛行機は滑走路から離陸する。このとき重心位置が悪いと急上昇して失速したり、いくら加速しても浮かなかったりするので調整する。最初は少し浮いたら下ろし、徐々に距離を伸ばして機体を調整しつつ、パイロットの訓練も行う。早朝の無風状態でなければできないため1日の走行・飛行回数は限られ、また天候にも左右されるため数か月かけて述べ数日間行われるのが一般的だ。

KITCUTSは、この試験飛行をほとんど行っていない。1回目は悪天候で延期。2回目は試験走行中に主翼が破損したため離陸に至らなかった。つまり、一度も「飛行中の荷重に主翼が耐えられること」を確認しないまま、本番に臨んだのである。前回説明した通り、この機体は鳥人間コンテスト本番で、車輪で滑走している最中に主翼が折れるほど弱かった。であれば、試験飛行で離陸を試みれば、その時点で主翼が折れていた可能性が高い。それをせずに「3回目の試験飛行をしなくても問題ない」と判断したことが重大だと、原告は主張しているわけだ。

なお、この点については読売テレビも関係している。読売テレビはKITCUTSの書類選考合格の付帯条件に「充分に試験飛行を行うこと」と明記している。この付帯条件は全チームに書かれているわけではなく、チーム個別に書かれたものだ。KITCUTSは読売テレビへの参加申請書に自ら「試験飛行を4回実施する」と明記しており、読売テレビはわざわざ合格通知で念を押している。もしかすると書類選考段階で主翼の強度に不安を持っていたのかもしれない。そして大会前日の機体検査(全チームに対して目視検査とヒアリングが行われている)で読売テレビはKITCUTSに試験飛行の結果を尋ね、「ふわっと浮いた」と聞いた、というのが読売テレビの主張である。

これに対するチーム側の主張は「試験飛行では浮いていない。浮いていないのだから『ふわっと浮いた』などと言うはずがなく、読売テレビは嘘をついている」というものだった。約束を守らなかったことを咎められたときの開き直りとして、これほど大胆なものを私は知らない。

そして、試験飛行を行わずに済ませた理由を挙げている。試験飛行をしているのは強豪チームが記録を伸ばすためであって、安全のためではない。安全性は設計で確認可能であり「原告が、飛行試験の意義・目的をはき違えていることは明らかである」と主張した。

何をかいわんや、である。現に機体は離陸前に自壊しており、設計だけでは安全性が確認できていないことは明らかだ。しかも試験走行の段階で主翼は壊れており、それで試験飛行を打ち切ったのだから、浮上しても壊れないことは確認できていない。皆さんは「ロープに試しにぶら下がったら体重で切れてしまった」のに、新しいロープを確認しないで登山に行くだろうか?問題は原告であるパイロットも含め、チームでどのような判断を行った結果、再試験なしで本番に臨むという意思決定がなされたかであろう。

さらに、チーム側はこうも主張する。「原告の主張は、費用も掛かり、物理的な場所を確保できなければ実施できない飛行試験を数回行うことが可能なチームでなければ鳥人間コンテストに参加してはならないと主張しているに等しい」と。しかし、鳥人間チーム経験者なら誰でもこう答えるだろう。「鳥人間に金と手間がかかるのは当たり前じゃないか」
ちなみに、東京都内の鳥人間チームはいずれも、静岡県や埼玉県の飛行場まで多額の費用をかけて通っている。大学と同じ北九州市内にある旧北九州空港の滑走路を無償で使用できるKITCUTSは、私から見れば羨ましい環境だ。

不自然すぎる主張

ずいぶん長くなってしまったが、これがチーム側の主張だ。私が要約し、意見を書き加えているからバイアスがかかっていることは否定しないが、出鱈目を書いたつもりはない。基本的に彼らの主張は上記の通りだ。読んで下さった方々はどう感じただろうか。

私は「いくら何でも、こんな支離滅裂な主張が通るわけがない」と感じた。工学の専門家ではない裁判官に対しては丁寧な説明が必要だろうが、それでも異常性は理解されるだろう。また、事故当時の知識や経験が未熟であったために判断能力がなかったと主張するならともかく、現在も「飛行機の性能は安全性と相反する」「試験飛行しなくても安全性は確認できる」と主張する人物が、航空機メーカー等で仕事に就いているのは驚くべきことだ。そんなことはあり得ない。

…そう、そんなことはあり得ない。ここまで答弁書を読み進めてきて、私の脳裏に浮かんだのはそれだ。「いくら何でも、こんな支離滅裂な主張をするわけがない」と。そう考えて他の情報も併せて考えていくと、この答弁書への疑念がさらに深まっていくのである。

チーム側の答弁書は、チーム側の5人の元学生達の意見ではないのではないか、と。

鳥人間コンテスト事故の深層 第1回:何が起きたのか

雑誌記事にもなった鳥人間コンテスト事故裁判だが、実際に何が起き、どんな訴訟が行われているのか事実を整理した資料は少ない。そこでまず、この事故の経緯を事実ベースで整理してみよう。

まず、過去の報道や私の発言については以下のリンクを参照して頂きたい。また本ブログでの鳥人間関係記事は、鳥人間タグでまとめて見ることができる。

女性自身の記事

鳥人間コンテストの事故について、鳥人間の立場から考える

鳥人間コンテストはバラエティー番組

事故が起きたのは2007年の鳥人間コンテスト人力プロペラ機部門だった。ここで鳥人間コンテストとは何か、から整理する。

鳥人間コンテストは、読売テレビ放送株式会社(以下、ytv)が制作するテレビ番組であり、その収録現場のことである。関西以外では日本テレビ(以下、NTV)系列の各局で放送されるが、NTVとytvは読売新聞グループの別会社であって、NTVはytvが制作した鳥人間コンテストをネットワークに配信するだけなので、ytvと取り違えてNTVを批判するのは誤りである。

収録のことをytvでは「鳥人間コンテスト選手権大会」と呼び、会場では「テレビ番組の制作を目的とした競技会」と周知している。従って鳥人間コンテストには、他のスポーツのような「テレビ局以外の主催者」が存在しない。プロ野球やJリーグなどのプロスポーツ、オリンピックなどのアマチュアスポーツはいずれも、大会主催者がテレビ局に放映権を販売しているわけだが、鳥人間コンテストは大会運営自体をytvが実施している。
これは鳥人間コンテストがバラエティ番組だからだ。鳥人間コンテストの前身は「びっくり日本新記録」で、40代以上の方は懐かしく思い出されるだろう。現在で言えばサスケなどに似た、視聴者参加型のチャレンジ番組である。「湖に飛び込む」から「飛行機で飛ぶ」になっても、番組の趣旨はバラエティ番組から変わっていない。だからテレビタレントもレポーターではなく参加者として出場するし、お笑い芸人が学生や応援団をいじって笑いを取るフォーマットが続いている。

参加チームはいずれも、自費で飛行機を作って持ち込んでいる。機体製作費や輸送費はもちろん、会場までの旅費やギャラも支払われない。その点でバラエティ番組の「芸人」とは異なり、あくまで視聴者参加番組の参加者である。参加者は「晴れ舞台を無料で用意してもらい、テレビに映ることができる」というメリットを享受し、ytvは「会場にかかる経費を負担すれば参加者が自分で来てくれる」という、相互に利益のある関係になっている。ただし、それが「対等な関係」と言えるかは議論の余地がある。
1機の人力飛行機を作るには、材料費だけでも100万円以上かかるだろう。工具や飛行試験の経費、出場のための旅費や輸送費を含めれば数百万円に達する。鳥人間コンテストの優勝賞金は100万円だから、賞金目当ての出場はあり得ない。

出場を希望する人は、3月頃までに出場申請書類をytvに送る。この時点で必要なのは三面図と説明資料であり、機体が完成している必要はない。選考結果が発表されるのは4月末頃だが、そのときに選考理由は明かされない。実際、前年の大会で中位の成績のチームでも落選することはよくあるし、番組を見てもわかるように「よく飛びそうなチーム」ばかりを選んでいるとも思えない。
なお、学生チームに芸能人やスポーツ選手が搭乗することがよくあるが、これは100%、ytv側から「番組側で用意するパイロットを乗せるという条件で出場を認める」という通知が来た場合である。学生達にとっては、入学以来鳥人間コンテストを目指してトレーニングを積んできたパイロットを見捨てろと言われているに等しいし、パイロットは「自分が乗れないなら出場するな」とも言えないので、苦渋の選択である。もちろん、パイロット変更を拒否すればチームの合格は取り消され、不合格チームのどこかに「パイロット変更を条件に出場しないか」という連絡が入るのだ。

このように、単純な「テレビで放映されるスポーツ大会」でも「芸人が体を張って楽しませるバラエティ番組」でもないのが鳥人間コンテストなのである。

鳥人間でも異常な「離陸前に主翼折損」

2007年の鳥人間コンテストには九州工業大学の鳥人間サークル「KITCUTS」が出場し、パイロットとして川畑明菜さんが搭乗していた。この機体はプラットホーム上で滑走を始めると主翼が大きく上にたわみ、左主翼がほぼ中央部で折損。プラットホームから離れた機体はそのまま左に横転し、千切れた左主翼の破断箇所が水面に接触。このときの衝撃で川畑さんは振り落とされ、背中から湖面に突っ込んだ。
鳥人間コンテストを見たことがある人なら「離陸後に翼が折れるのはいつものことだろう」と思うだろう。しかしこのときの壊れ方は、鳥人間コンテスト経験者から見ても異様なものだ。この機体は「離陸前に翼が折れた」のだから。

離陸前の主翼に加わる力は、速度に応じた揚力(飛行機を持ち上げようとする力)だ。揚力は速度の2乗に比例して増加し、設計上の飛行速度に達すると、設計重量と釣り合う。プラットホームは下り傾斜が付いているため、先端に達する前後で飛行速度に達してまっすぐ水平飛行に入る。これが、正しく作られた人力飛行機の、プラットホームからの離陸だ。

揚力は飛行機を持ち上げる力だから、わかりやすいように風船の浮力に例えて説明してみよう。10kgfの浮力を持つ風船に、10kgfの力では切れない紐を付け、10kgのおもりを付けると、風船は上昇も下降もしない。これが飛行機が水平飛行しているのと同じ状態だ。飛行機の揚力は速度の2乗に比例するので、速度が遅いうちは飛行機は浮かばずに車輪で走るが、揚力が重力に釣り合うまで速度を上げると、飛行機は浮かぶ。

鳥人間コンテストでよく見られる主翼折損は、離陸後に起きている。ひとつめのパターンは、離陸の瞬間だ。それまで車輪に乗っていた荷重が全て主翼に掛かると、強度不足の機体では耐えきれずに折れてしまう。滑空機部門ではパイロットが自分の脚で走るため、飛び乗った瞬間に折れてしまうことがよくある。風船と紐に例えるなら、10kgfの風船に10kgのおもりを吊った瞬間に紐が切れるイメージだから、紐(機体構造)が弱すぎたことがわかる。

もうひとつは、急降下した機体を引き起こす時だ。離陸時に水平にバランスを取れなかった機体は急降下してしまう。これを引き起こそうとすると、機体重量以上の力がかかって主翼が折れてしまう。あるいは急降下時の速度増加に耐えられずに壊れることもある。これは、風船にガスを入れて浮力を12kgfに増やし、10kgのおもりを12kgfの力で引っ張り上げようとしたら紐が切れてしまったイメージだ。

しかし、この事故ではプラットホーム上での滑走中に折れている。プラットホーム先端へ向かって加速している最中だから、揚力はまだ設計値に達しておらず、主翼に加わっている荷重は設計値を下回っている。揚力が不足する分の重量は車輪に乗っているので、もし重量オーバーがあっても主翼には荷重はかかっていない。にもかかわらず、大きく上に反り返った主翼は、ぽっきりと折れている。これほど強度が低い機体が出場して飛ぼうとした例は、少なくとも近年は記憶にない。
風船に例えれば、風船の浮力が8kgfしかないのに、10kgf以上の張力に耐えるはずの紐が切れてしまったイメージだ。ちなみに一部で重量増が原因という説が出ているようだが、ここまでの説明で間違いだとわかるだろう。10kgで設計されていたおもりが実際は12kgあった場合でも、8kgfの風船を付ければ紐にかかる力は8kgfしかない。紐が10kgf以上の力に耐えられれば、この時点で切れるはずはない。

飛ばなくても、滑走するだけで壊れる人力飛行機。なぜそのようなものに人を乗せて飛ばしてしまったのだろうか。

何の裁判なのか

この裁判が、誰に何を訴えた裁判なのかについても、整理しておこう。よく見掛ける誤解として「読売テレビに4305万円を支払うよう要求した」というものがあるが、これは間違っている。

この裁判の原告は負傷したパイロットである川畑明菜さんだが、被告はytvだけではない。訴状にある被告は以下の通りである。

  • 松本憲典氏、古賀俊之氏、稲田安浩氏、菅原賢尚氏、佐藤喬也氏。この5氏は当時、九工大KITCUTSのリーダーや設計者を務めていた元学生である。5氏は同じ代理人(弁護士)がまとめて同じ書面で答弁しているため、今後はまとめて「チーム側」と表記する。
  • 平木講儒氏、国立大学法人九州工業大学。平木氏は当時(現在も)のKITCUTS顧問である。平木氏と九工大は、同じ代理人(弁護士)がまとめて同じ書面で答弁しているため、今後は「九工大・平木氏」と表記する。
  • そしてytv。

この3つのグループが被告であって、訴えは「被告が連帯して」支払うこと、である。つまり「責任はチームにあるのではないか」という疑問に対しては「チームも訴えられている」と言えるし、どの被告がいくら払うかの比率は裁判で決まる。
また、4305万円というのは、障害の程度に応じて自動的に算出される損害額であって、この金額をまるごと支払うということではない。もし、パイロットの自己責任が99.7%、チーム側と九工大・平木氏とytvの責任がそれぞれ0.1%という判決であれば、各者の支払額は4万円ずつである。つまり、この裁判で争われているのは「パイロットに責任はないか」ではなく「パイロット以外に責任はないか」なのである。

それでも、事故の責任はチーム側にあってytvにはないのではないか、という疑問もあるだろう。
被告の主張の要点を要約すると、こうなる。チーム側は「安全確認の義務はytvにあり、我々にはない」である。ytvは「安全確認の義務はチーム側にあり、我々にはない」である。つまり、1つの裁判で「責任はチーム側にあるのか、ytvにあるのか」を争うにはytvを訴えるしかなかった、と川畑さんは言った。私は「いや、ytvには証人として、チームの責任を証明する証拠を出してもらえば良かったのではないか」と聞いたことがある。しかし、ytvは証人を引き受けるのを拒否したうえ、チーム側に対する指導なども断ったため、責任があると判断したということだった。

かくして、訴えられた各者は「自分に責任はない」という主張を展開するわけだが、その内容は次回から述べていきたい。

鳥人間コンテスト事故の深層 第0回:何故この件を問題にすることにしたのか

鳥人間コンテストの事故について、裁判の手続きが進められている。この件については様々な立場の人から様々な意見が出ているが、そろそろ裁判で明かされたことや、鳥人間の内部事情について詳しく述べ、多くの方に鳥人間の実情について議論を喚起したいと思う。そこでまず、なぜ私が鳥人間の問題を広く知らせようとまで考えるに至ったか、その理由から説明することにした。

事故について知った経緯

私が初めて事故について詳しく知ったのは、2012年の後半のことだ。私は1992年に初めて学生チームで鳥人間コンテストに出場し、2005年に社会人チームで出場して以来、鳥人間コンテストに対してはあくまでOBという立場でいた。宇宙開発を仕事とするようになってTwitterで意見やニュースなどをTweetしたりしている中で偶然、事故の当事者である川畑明菜さんと会話になり、川畑さんのプロフィールから事故について知った。その前にも何かひどい事故があったという噂は聞いていたが、詳しくは知らなかったのだ。
話を聞いてみると、それは想像以上に酷いものだった。事故の内容とその後の経過については他の回で書くが、それだけで済まされなかったのは、彼女にアドバイスをした第三者の鳥人間経験者達の発言が問題を悪化させていたことだった。彼女は私より前に、他の鳥人間経験者に相談をし、助けを求めていた。彼らの発言内容については川畑さんの記憶に頼るしかないため個人名は明記しないが、多くの経験者は「事故を起こさないようにするのが当然で、事故を起こしたのは自分の責任だ」という意見に終始し、議論は「今後どうすれば事故を防げるか」という技術的な視点でのみ進められたという。
未熟な鳥人間チームが事故を起こしたのは確かにチームの責任だが、そのチーム内で負傷したパイロットが放置されているのはおかしい。後遺症に苦しんでいるパイロットに助けの手を差し伸べるべきではないのか。そう主張し反発した若手も幾人かはいたが、聞き入れられなかったようだ。そんな中で川畑さんの鳥人間経験者に対する不信感を決定的にしたのは「事故について騒ぎ立てて、鳥人間コンテストが開催できなくなったら君の責任だ」という言葉だったという。いや、正確にはそうは言っていないかもしれない。もっと別の言い方だったのかもしれないが、彼女はそう理解してしまった。また、「鳥人間コンテストで怪我をしても自己責任だから、裁判に訴えても無駄だ」と言われたという。

時効まで隠された「刑事事件」

それはおかしい。私は趣味でパラグライダーをしているが、パラグライダーの製造者やフライトエリア管理者が原因になって事故が起きた場合でも、「自己責任」を理由にパイロットだけが責任を負うことはない。負傷したパイロットや、死亡したパイロットの家族が訴えを起こすこともある。場合によっては業務上過失傷害罪になることもあるのだ。このことを川畑さんに話すと、彼女は「犯罪ではないから訴えても無駄だと言われた」と驚き、信じられないという口ぶりだった。そこで、スカイスポーツの事故事例に関する資料を見せたりして説明したところ、彼女は東京都内の警察署を訪れて事の次第を話した。
警察官の答えはこうだった。飛行機が壊れたせいで怪我をしたのであれば、業務上過失傷害罪の可能性がある。また、ルールに「参加者の都合で辞退できない」と書いてあれば、強要罪の可能性がある。もしこの事故が東京都内で起きていたら、警視庁は告発を受けて捜査を行っていただろう。事故現場は滋賀県内だから、実際は滋賀県警でないと捜査できない。そして、業務上過失傷害罪の時効は5年だ。
事故が起きたのは2007年の夏、私が事故の詳細を聞いたのは2012年冬。この時点で既に5年が経過しており、時効が成立していたのだ。しかし、彼女が相談した鳥人間経験者達は彼女に「訴えても無駄だ」と言って、彼女にそれ以上の行動を思い止まらせてしまった。刑事事件になる可能性があった事故を、時効まで隠し通してしまったのである。
このことは川畑さんにとっても非常に残念な結果を招いた。もしこの事故が警察の捜査対象になっていれば、証拠として機体の残骸や設計資料などが差し押さえられ、関係者は事情聴取を受けていただろう。しかし川畑さんはずっと話し合いだけを模索し、民事訴訟に踏み切ってもチームから証拠が出ない中で、ほとんど機体の三面図とテレビ放映のDVDだけを手掛かりにした立証をせざるを得なくなっている。また、もしも刑事裁判で有罪となっていた場合、被害者の立場から民事訴訟を起こしても、バッシングを受けることはなかっただろう。

鳥人間が法律論を避ける理由

何故、鳥人間経験者はそうまでして事故を穏便に片付けようとしたのだろうか。以前のブログ記事で、読売テレビのスタッフは「事故が公になれば番組が打ち切りになる」と言ったと書いた。そして女性自身の記事後、私がこの件を話題にするたびに鳥人間の内輪では「大貫は余計なことを言うな」という声が上がり、改革を訴えれば「貢献していない大貫に資格はない」と声が上がる。第三者から見れば、触れられたくないことがある閉鎖コミュニティの典型的リアクションであることに容易に気付くだろう。
鳥人間コンテストのアキレス腱は、人力飛行機が法的に非常に厄介な立場にあるということだ。航空法では、人が乗る飛行機は国土交通省に届け出て許可を得なければならないことになっている。そして、届け出なくても良いという例外がいろいろ定められているが、人力飛行機はその例外規定のどれかに当てはまるようにも見えない。つまり、人力飛行機がまともに飛ばなかった頃は「飛行機ではない」と言えたのが、だんだん飛ぶようになってきたことで違法性が出てきてしまっているのだ。
こうして、鳥人間の間では法律の論議はタブーになった。まして裁判になどなれば、航空局の審査を経ずに飛ばしたことの是非も論点になりかねない。その結果として、鳥人間というコミュニティは後遺症に苦しむ仲間を見捨て、第三者の批判を受けないことを優先してしまったのだ。
ここで私も、懺悔しなければならない。私も川畑さんに相談を受けたとき、まず「法的手段に訴える前に話し合いで解決できないか」と話してしまった。そのため一時、川畑さんに「この人も、裁判を起こさないよう説得するのが目的だ」という誤解を与えてしまった。私も同じ鳥人間の常識に浸かっていた人間だったのだ。その誤りを正してくれたのは、スカイスポーツだった。

鳥人間はスカイスポーツか

スカイスポーツはいくつかあるが、飛行機で空を飛ぶスポーツで日本でメジャーなのは、大学の航空部などが飛ばすグライダーと、ハンググライダー、パラグライダーの3つだろう。
このうちグライダーは、航空法に定められたれっきとした航空機だ。だから国土交通省に機体、飛行場、飛行計画などさまざまな内容を届け出ている。学生団体であってもそれは変わらない。そして公益財団法人日本学生航空連盟(JSAL)などを中心に、OBらが協力して学生の指導や大会運営を行っている。
ハンググライダーとパラグライダーは、航空法上の航空機の扱いから免除されている。その代わりに、公益社団法人日本ハング・パラグライディング連盟(JHF)などの団体がパイロットやフライトエリアなどの安全管理を自主的に定めており、機体の安全審査はヨーロッパの業界団体が行っている。
これらのスカイスポーツに共通するのは、パイロット達の自主的な努力により安全を守っているということだ。団体も大会もパイロットが運営するものであり、パイロットの安全を守ることはすべてに優先する。事故が起きればその情報は広く周知され、みんなで対策を考える。それは自分達の命を守ることであると同時に、自分達の手で「空を飛べる日本」を守り続けることでもある。事故を他人事として放置すれば、スカイスポーツに対する国民の視線は厳しくなり、より厳しい法制度を作られたり、フライトエリア近隣住民の反対を招く可能性もあるのだ。ちなみに私が所属するJHFの会員証には、このような「フライヤー宣言」が記載されている。

  1. 自分の意思と責任でフライトします。
  2. 自己の健康管理を行い、健全なフライトをします。
  3. 社会のルールを守り、第三者に迷惑をかけません。
  4. 自然を大切にします。

鳥人間はチームと読売テレビの全員が利益を享受するものだ。だから、基本的に自分だけのために飛ぶハンググライダーやパラグライダーと異なり、自分の意思と責任だけで飛ぶことができない。にもかかわらず、パイロットだけに責任を押し付け、負傷したパイロットを皆で援護しようとしないのが鳥人間というコミュニティだった。現在も少なからぬ鳥人間関係者からは「無関係な我々を巻き込むな」と声が上がる。こういった実情を知ったスカイスポーツ関係者からは「鳥人間はおかしい。どうしてこんなことが続けられているのか」と驚きの声を浴びせられた。そしてこうも言われた。「大貫はスカイスポーツをしているのに、どうして鳥人間の異常性に気付かないのか」と。

ちなみに鳥人間には、JSALやJHFような競技団体の法人は存在していない。法人といえば、鳥人間コンテストの主催者である讀賣テレビ放送株式会社ぐらいだ。

鳥人間は持続可能かを問い掛ける

鳥人間コンテストは、スカイスポーツとは似て非なるものである。今後、このブログでは鳥人間の実情を取り上げ、より幅広い方々に考えて頂きたいと思っている。鳥人間コンテストが果たしてきた役割は大きく、鳥人間チームの活動は素晴らしいものだが、現状を放置するのは非常に危険だと私は考えているからだ。
もし私の考えが「余計なこと」であり、鳥人間コミュニティが充分に健全で社会常識に沿ったものであれば、このブログに何が書かれようと鳥人間コンテストはこれまで通り続いて行くだろう。もし私の考えが正しく、今の状況のまま鳥人間コンテストが続いていけば、いつかまた参加者が事故の犠牲になり、鳥人間は大きな非難を浴びて継続不可能になるだろう。では第三の可能性はあるのか?それを問いかけるためにブログを書いていきたい。

鳥人間コンテスト、あの報道後

※タイトルがわかりにくかったので変更しました。一部のリンクと違っていると思いますが内容は同じです。

ご存知の方も多いと思うが、鳥人間コンテストは今、訴訟のただ中にある。そのことが雑誌記事になり、その内容について私がTwitterに書いたことをかなり多くの人に読んで頂くことができた。なので、そのあたりの話は当該ページを見て頂く方が早いので、繰り返しここには書かない。

女性自身の記事

鳥人間コンテストの事故について、鳥人間の立場から考える

さて、この裁判については一部の関係者の間では当然、雑誌報道前から知られていた。そのとき、関係者が懸念していたのは次の2点だった。

  • 被告側の主張である「スカイスポーツはパイロットの自己責任」が今回は間違いであることを、うまく伝えられるか。
  • 読売テレビが慎重に進めてきたことを「テレビ局は番組収録中の事故を隠蔽した」と非難されないか。

前者は想像通り、現実に炎上した。しかし後者はほとんど見掛けなかった。これは非常に意外だった。
わかってきたのは、鳥人間コンテストという「大会」と、それを伝える「番組」は別のものであって、主体的に行動した大会出場者が番組制作者を訴えるのはお門違い、という理解が一般的だということだ。実際は大会運営全体が読売テレビの「視聴者参加型番組」の制作であり、大会参加者にはほとんど自主的な権限がないにもかかわらず。おそらくこれは、読売テレビ自身にとっても予想外だったはずだ。なぜなら、読売テレビは鳥人間コンテストでの事故が公になることをずっと恐れてきたからだ。

今も闇の中のMeister事故

今回、訴訟になっているのは2007年の九州工業大学チームの事故だが、その前年にも大事故は起きている。2006年、Meister(東京工業大学を中心とする学生チーム)の機体が護岸に激突し、パイロットは足首を複雑骨折する重傷を負った。後遺症も残った。
この後の経緯は、九工大とは対照をなす。Meisterのチームメイトは破損した機体を調査し、また写真や動画を検証し、まさに事故調査報告書と言うべき見事な文書を作成した。この真摯な対応にパイロットも納得したのだろうか、パイロットがチームを訴えることはなかった。言うまでもなく、パイロットは事故のリスクを承知の上で、最高の舞台に立たせてもらっているのだ。その結果が悪いものだとしても覚悟はある。
しかし、読売テレビの対応は芳しくなかった。事故を起こしたのはMeisterであって読売テレビの責任はない、と言ったのだ。これに怒ったのは東工大の顧問だった。「うちの学生に大怪我をさせておいて、責任がないとは何だ」と怒鳴り込んだ。驚いた読売テレビは、Meisterに見舞金を払う。そして、事故を公表しないように「お願い」した。
Meisterはこの報告書を公表するつもりだったようだ。報告書の内容は鳥人間の参加チームがどのように安全を配慮するべきだったか、どうやって責任を負うべきかについて論じた第一級の資料だ。全ての参加チームが読むべき貴重な記録だ。しかし現在もこの資料は、公式には秘密扱いとなっており、Meister関係者以外は閲覧できない。

事故が公になれば番組打ち切り

Meisterの事故報告書が九工大に渡っていれば、翌年の事故は起きなかっただろうか。それはわからないが、九工大とMeisterでは事故後の対応が全く異なっていたことは容易にわかるだろう。九工大では、チームはパイロットに対して何の対応もせず、事故報告書もパイロットの再三の要求でようやく簡単なものを作成しただけだった。大学側も読売テレビに噛みつくどころか、パイロットを放置して被告になった。しかし読売テレビの対応は、別の意味でMeisterのときと異なっていた。
チームとの交渉に業を煮やしたパイロットは2011年になって、読売テレビに仲介を依頼した。読売テレビが事故のことを知ったのはこれが最初だった。九工大は読売テレビに事故を報告していなかったのだ。読売テレビの鳥人間コンテスト事務局は即座に面会を求めた。そしてパイロットの話を聞き、顔面蒼白になったそうだ。若いアシスタントは気分を悪くして退席したという。彼らは事態の重大さと自分たちの責任を即座に理解したのだ。パイロットの川畑さんが私に話したところによると、読売テレビの担当者はこう言ったそうだ。「君のためにできる限り協力する」と。同時にこうも言ったという。「裁判になれば事故のことが公になり、番組は打ち切りになる」と。何とかして裁判をせず円満に解決してほしい、という痛切な願いだった。

そして、何も起きなかった

その後、読売テレビは対応を硬化させる。大学の責任を云々すれば自分達の責任も問われることになると気付いたのだろうか。「鳥人間コンテストは番組制作を目的とした競技会」であって、責任は参加団体にあるという主張に落ち着いた。大会開催に当たっても、参加チームに「安全を自分で確認するように」という通達を回した。事故が明らかになっても読売テレビの責任を問われないように、立場を修正したのだ。
だから、裁判のことが雑誌報道されても、読売テレビは何も動かなかった。読売テレビ側から参加チームに対しての説明もなかった。「公になったら番組打ち切り」にはならなかったのだ。あれほど公表に怯えていたにも関わらず、いざ公表されたら「それは自己責任だから」と流して大会を決行、今日は放送だ。
参加チームにしてみれば、自分達の我を通して番組が打ち切りになったら大変だと思うから、読売テレビの言うことには従ってきた。しかし、それが参加団体に言うことを聞かせるためのハッタリであることに、ようやく気付き始めている…いや、社会人チームはみんなわかっていたけれど、学生はまんまと信じ込んでいた。

報道後の鳥人間達の反応

一般論を思い出してみよう。こういう不祥事を告発した事例でまず起きることは「個別のトラブルを一般化して騒ぐことで全体に迷惑を掛けるな」という、内輪からの非難だ。今回、鳥人間の内輪ではそこまでの過激な反応はなかったが、「九工大は異常だ。普通のチームではこんなことは起きない。だから騒ぐ必要はない」という反応は、主に社会人に多い。
一方で学生チームからは、「安全策に関心はあるが、いま安全策を対外的に論じて読売テレビに睨まれたら、鳥人間コンテストに出場できなくなる」という声を複数聞いた。読売テレビが聞いたら逆に驚くだろう。読売テレビは各チームの責任で安全を考えてほしいのに、これまでの経緯から「事故の話をするのはタブー」というイメージを強固に植え付けてしまったのだ。
そして関係者全員に共通するのは、35年間開催された鳥人間コンテストに依存する構造だ。これほど巨大化し、確立し、そして唯一の存在である鳥人間コンテストが打ち切りになった時、どうしていいかわからない。テレビに依存しなければよりコンパクトな大会も可能、という発想に頭が回らない。だから、番組打ち切りにならないように臭い物に蓋をする。柔道の不祥事や学校のいじめ対応と同じく、問題の存在はわかっていても、みんなで目を背けざるを得なくなっているのだ。

正念場は来年か

今年の鳥人間コンテストは間もなく、無事に終了する。裁判が始まり報道された時点で、今年の鳥人間コンテストは準備が進行していたから、中止という選択肢はよほどのことがない限りなかっただろう。社会的に大きな騒動にならず、むしろ非難がパイロットに向いたことで開催に踏み切ったと思われる。
しかし来年はどうだろう。今年の大会でも、大事故にはならなかったものの事故寸前の危険な状況はあった。それも鳥人間コンテストの一般的なチーム水準から見て、当該チームの安全対策に特段の問題があったわけではなく、読売テレビ側も大きな問題はなかった。あったのは、あとから分析することで来年に活かすべき反省点という性質のものだ。しかし逆に言えば、鳥人間コンテストは手抜きをしなくても大事故を起こす可能性のある、リスク前提のチャレンジだということが改めて確認されてしまった。
人力飛行機と鳥人間はイコールではない。しかし、日本では35年かけて、この2つが一体化してしまった。誰もが鳥人間コンテストという番組を前提にしかものを考えられなくなっている。白紙からものを考え直して鳥人間コンテストが変革できるか。あるいは鳥人間コンテスト以外の選択肢を模索するか。それとも、見なかったことにして来年もそのまま続けるか。または…鳥人間コンテストの歴史が今年で終わるか。鳥人間は正念場を迎えるかもしれない。

放送後追記

本文中に書いた「大事故寸前の危険な状況」は、そのチームの出場自体が丸ごと放送されませんでした。そのこと自体の是非は判断が難しいところですが、後日この危険なフライトについても詳細にレポートしたいと思います。

2014年3月9日追記

本文章に対して「当時、Meisterは事故の報告書を秘密にしていないので、その点は事実誤認である」というご連絡を頂きました。私が秘密と表記したのは、2013年の時点で私に報告書のことを教えてくれた人が「本当は部外秘の資料だ」と説明したためです。

どちらか一方が正しく、一方が間違っているというよりは、報告書を作成した当事者は秘密にするつもりはなかったが、その後私に伝わる過程のどこかで秘密になってしまったのだろうと考えます。なお私はこの件について、たとえ秘密であったとしてもそれを理由に作成者を問題視するつもりは全くなく、このような報告書を作成した努力と見識に最大級の賛辞を贈るものです。