[PR]

■男性(60代) 2001年冬に脱北(2002年10月に日本入国)

――なぜ北朝鮮に渡ることになったのですか。

 1972年8月に船で日本を出た。父親は在日韓国人、母親は浅草生まれの江戸っ子。私は北朝鮮に行く少し前、ちょっとした事件を起こして逮捕され、刑務所に1年9カ月服役した。その後、韓国か北朝鮮のどちらかに強制送還されることになった。当時の新聞に載っていたフランス人ジャーナリストの記事に「北朝鮮は素晴らしい国だ」とあったのを覚えていて、まあ、本当にそうなのか疑問もあったが、韓国よりはいいと思い、身寄りは無かったが送還先に北朝鮮を選んだ。船は北朝鮮北部の清津に入港した。その後は同じく北部の恵山にある製紙工場で働き、吉州(咸鏡北道南部)、平城(平壌北郊)の順で引っ越した。

――脱北を思い立ったのはなぜですか。

 私は妹と弟の計3人で北朝鮮に渡った。具体的に脱北を思い立ったのは帰国して25年たった時だ。妹が精神を病んで入院し、その病院で餓死した。病院でだ。80年代後半、徐々に給料が出なくなり、配給制が無くなっていた。みんな裏で商売をして、闇市場で食べ物を買って、何とか暮らしていた。近所には、真面目に会社で働き続けて餓死した人すらいた。