第10回 福岡緩和ケア研究会 定例会(2001年11月)
「緩和ケア病棟開設半年をふりかえって」 |
講師:栗田 睦美(北九州市立医療センター緩和ケア病棟 看護婦)
1――北九州市立医療センター緩和ケア病棟の概要当センターは,市立病院の基幹病院として,これまでの高次医療や周産期センターのどの機能に加え,平成13年4月には,脳神経外科,精神科,さらに緩和ケア病棟を設置し地域の医療サービスに努めております。 当緩和ケア病棟は,平成13年6月1日に,全国で89番目,福岡県内では7番目,県内の公立病院として初めての緩和ケア病棟として認可されました。病棟は造設された5階にあり,病床数20床すべて個室で,内10室は無料個室となっています。その他に家族控室,談話室,屋上庭園,介助浴室などの設備を整え,少しでも患者・家族の過ごしやすい環境を提供できるように心掛けております。併設病棟なので総合病院としての機能をいかし,必要時はCT,MRIなどの検査や放射線治療を行ったり,皮膚科や歯科などの専門的な治療も行うことができます。 また,交通のアクセスもよく体力的に通院が大変なターミナル期の患者さんやご家族にも通院しやすい環境にあります。 患者の受け入れ状況 患者を受け入れるに当たっては登録制度を取り入れており,緩和ケアを望む患者はすべて登録してもらい,入院待機をしてもらったり外来通院を受け付けたりしています。登録は患者用,家族用と登録用紙に記入してもらうようにしており,それぞれが受領された時点で登録が完了するようになっています。 登録用紙から,患者・家族の病気に対する認識,緩和ケアへの希望,緩和ケアへの認識が確認できるようになっており,できるだけご本人の意思で緩和ケアへ来てもらえるように考えています。また,院内からの紹介の場合も同じようにしております。 登録後入院が必要な場合は入院判定会議を行い,がんの患者さんで癌性疼痛をはじめ諸症状の緩和が必要とみとめられる方で,ご本人が緩和ケア病棟への入院を希望されているという入院基準に沿っているかどうかを検討して,入院を受け入れています。入院の必要がない場合や退院後は,外来で経過をみています。 開設後6カ月の状況は,入院患者が59名(延べ入院患者数64名)の内,男性31名,女性28名で,このうち北九州在住は44名でした。また,紹介別では,院内紹介が42名でした。 入院期間で見ると,10〜20日未満が最も多く,次いで10日未満となっており,60日以上の方も5名おられました。平均入院期間は28.7日となりました。 退院患者では,52名が退院し,内44名が死亡退院,8名が軽快退院でした。疾患別構成では,肺癌が最も多く,ついで大腸癌,膵臓癌となっています。年代別では,50代,70代,60代となっていますが,大差はありません。 スタッフは,専任医師2名,精神科医1名,看護婦17名(婦長を含む),薬剤師1名(兼務),栄養士1名でチームを構成し,週1回の合同カンファレンス,日々のカンファレンスを行い,がんを主とした治癒困難な患者さんが自分の意思に基づいてその人らしく尊厳をもって生を全うすることができるようお手伝いする,また,ご家族の苦しみを理解し,困難を乗り越えられるよう支援するという病棟理念にそって援助できるよう努力しておりますが,実際はなかなか困難なことが多く,試行錯誤をくり返しています。 2――二人の患者【事例1】事例1の患者さんは,自分の意思にそって本当に穏やかな死を迎えることができました。 患 者:Yさん 男性 89歳 胃癌 家族構成:妻(87歳),次女。長男・長女は関西のほうに住み,介助は87歳になる妻とともに次女がしていた。キーパーソンは,妻。家族には厳しい人だったようで,子どもとの関係はよくありませんでした。 職 業:サラリーマン 性 格:温和。ただし家族には厳しかった。 緩和ケアに望むこと:吐き気を抑えて欲しい。家族も同じ。 ●現病歴 H10〜:胃癌を指摘。肝硬変の既往と高齢であることから手術は望まれず経過観察。 H13. 7:腹水貯留,食欲低下,貧血のために近くの医院に入院。腹水穿刺施行。 H13. 8:当センター消化器科へ入院。吐気下血をくり返し輸血施行。主治医より緩和ケアを勧められる。 H13. 9.6:緩和ケア病棟へ転棟。 嘔気に対して1日1回セレネースの点滴をしたところ効果がみられたので,少しずつ経口摂取を促していこうとしたのですが,10日に少しだけ鉄火巻きを食べることができました。 H13. 9.11:吐血1000ml程度あり。本人に相談して輸血を1単位だけする。 H13. 9.12:MAP1単位施行。 H13. 9.20:吐血800ml程度あり。Y氏の希望により輸血はせず,輸液停止。このときより心窩部の痛みがはじまったので,モルヒネの持続皮下注射を開始して疼痛コントロールをはかる。 H13. 9.27:永眠。(在院日数22日) ●入院時の問題点 1,幽門部狭穿による嘔気,経口摂取量の低下,吐血下血による貧血状態 2,貧血,衰弱によるADLの低下 3,介護力の不足 があげられる。 ●目標 Yさんは病棟で残された時間を過ごすことを希望。また,予後や介護力からみて在宅への移行は困難とみなして,病棟でできるだけいい時間が過ごせるように,症状コントロールとADLの拡大を目標にしました。 ●セルフケア 入浴や散歩を中心に気分転換をはかっていき,ご本人の希望で亡くなられる前日まで入浴することができました。経口摂取が困難になっていたが最後まで口から何かを食べてほしいという気持ちから,入浴後にかき氷を口に入れてさしあげたりしました。入浴後のかき氷は口渇感を潤し,とても喜んでいただくことができました。 また,家族にもケアの場に立ちあってもらったり,写真を撮ったりと少しでもY氏との思い出をもつことができるようにと努めました。最後の1週間は交替で付き添われたりといい時間を過ごしていただくことができました。 ●患者・家族の言動と実際の援助 1)入院時 患 者:悪くなりよるから今度が最後の入院かもしれん。緩和ケア病棟は姥捨山かと思いました。 死ぬ事は怖くないです。今までやりたい事はやってきた。ここでの生活が最期と思っています。自分の事は全部知りたい。 吐き気がっらいですね。胃のがんから出血して貧血が強いからふらついてね。トイレくらい歩いて行けるといいんですけど。 次 女:見学してここに入院したいと思いました。はじめは姥捨山かと思いました。兄嫁が緩和ケアのことをよく知っていて,緩和ケアがいいとすすめてくれました。 2)9/7〜9/10 患 者:吐き気はないですよ。散歩? 行ってみましょうか。お風呂もはいりますよ。 家 族:だいぶ調子がよくなったみたいです。動いて大丈夫ですか。少し食べられるといいんですけど。 3)9/11吐血時 患 者:こんなので慌てたらいけん。あと10日は生きられる。自分のことは自分がよくわかる。 もうしたいことはしたから覚悟はできている。輸血したら元気にはなるけど,また吐い てその繰返しよ。ここは輸血とかはできないと聞いた。できるならちょっとしてみよう。400は多い。その半分にしとこう。 私は子供の頃,養子に行ったりしてね苦労したんよ。戦争中も色々あったね。年寄りの話を聞いてくれてありがとう。 家 族:初めてあんなに吐血するのをみて驚きました。また吐きますか? 出血して苦しむだけなら輸血はしない方がいいんじゃないですか? 次 女:元気になるのなら本当は出来る限りのことをしたいと思っているが,自分たちの考えだけでは決められない。父はまだ頭もしっかりして自分で判断できるので,父に聞いてみてほしい。その考えにそってやっていきたい。 4)9/17 患 者:おしっこの管を抜いてトイレに行きたい。駄目ですか? 散歩にも行きます。氷が美味しい。 妻:今朝,心臓が止まったといって泣くんです。 5)9/20 吐血時 患 者:胃が痛いね。これががんの痛みなんかね。 (妻来棟時に)御臨終よ。水ちょうだい。これが末期の水よ。栄養はいらん。たまるばっかり。点滴したくない。 妻:びっくりしました。大阪の息子にも知らせた方がいいですか? 6)9/21〜9/25 患 者:大丈夫ですよ。お風呂? いいですね。気持ちいいね。 家 族:こんな状態でお風呂にはいれるんですか? 今日はお風呂で歌ったりして,あんな父は初めてみました。 7)9/26 家 族:患者の側で涙されながらも,思い出話などされ,静かに見守られる。 ●実際の援助 1)症状コントロール 1.嘔気……眠前にNS50ml+セレネース1/2A点滴 嘔吐……9/11吐血時のショックが強いようであったので,胃部膨満と嘔気の訴えから,嘔吐する前に間欠的に胃管挿入し,あらかじめ排液した。 2.疼痛……9/20より塩モヒCSC開始。 3.輸液……ラクテックD500ml+アドナ50ml 1A+トランサミン250ml 1A施行。9/18 より日中はヘパロックし,夜間のみ施行。9/20からは中止した。 4.輸血……9/21 MAP1単位施行。 2)セルフケアの援助 1.食事……牛乳の摂取<CODE NUM=00A5>かき氷の摂取,食べたい物があれば食べてよいことを伝える。 2.排泄……排尿はバルン留置,排便はおむつに。 3.清潔……リフト浴(入院中6回,最終入浴9/25) 清拭,足浴,手浴,マウスケア 4.移動……状況をみて,毎日庭園に車椅子で散歩する。できるだけ坐位をすすめる。 3)家族とのいい時間が過ごせる 1.散歩や入浴時は同席していただく。ケアに参加していただく。 2.写真を撮ったりして思い出を作る。 3.面会にできるだけきていただく。会いたい人にも早めに会えるように連絡していただく。 4.患者が希望されるとき,状態が悪化したときは,可能な範囲で宿泊していただくように依頼する。 ●総 括 Y氏は,入院時から死を覚悟されていたふうで,自分の病状をきちんと認識されていました。11日の吐血時もY氏がいちばん落ち着いた態度で,家族にも私たちにも対応されていました。病状について自分で認識されているようで,輸血や輸液についても自分の意見をきちんと伝えてくれました。スタッフは最小限の面談や説明ですみ,その分,ケアに時間をかけることができました。入浴や散歩はそれまで床上で過ごされていたYさんにとっていい気分転換になり,ADLの拡大につながったと思います。 Y氏の経過をみながら,家族も徐々に死を受け入れていったように見えます。入院中の22日間は,家族にとっても,いいグリーフワークの期間になったと思います。 退院後,一週間して家族が挨拶にみえましたが,「父がこんなに愉快な人とは知りませんでした」と語っておられました。 デスカンファレンスでは,改善点として,輸血をいったんしましたが,その時期が適切であったか。また,輸液につきましても,500cc/日を24時間キープしていたのですが,もう少し早い時期に中止すれば,ADLの拡大につながったのではないか,そういう観点からも,症状コントロールをもっと検討していかなければならない,という意見が出ました。 【事例2】 Y氏とは対照的に,最後まで病状認識が不十分であったため本人の意思を確認することが困難であった例です。 患 者:I氏 53歳 女性 乳がんが脳・肺・肝・骨に転移 家族状況: 夫――芦屋の自衛隊に単身赴任し,そこで重要な職務についていた。患者のことは全て知っていた。まめな性格。 長男――母親とともに住み,思いが強い。口数が少なく,自分の感情をあまり出さない。母親の病状はほとんど認識していない。 次男――遠方に勤務。あまり面会には来れないが,面会時には母親の面倒をよくみており,長男と比べても母親とよく話をしていた。病状はほとんど認識してない。 妹――看護婦をしていて,姉の病状,医療者のいわんとすることをよく理解し,協力的な存在。家族と医療者の橋渡し役。医療者側のキーパーソン。 I氏は夫が単身赴任しているため長男と暮らしていました。I氏の家族は,家族に何かあると計画を立て全員でサポートしていくというような結束が固い家族でした。 性 格:几帳面。はっきりとした性格で,良妻賢母型。 ●現病歴 H 5:乳がん指摘。手術施行。 H10:骨転移。化学療法施行。 H11:肺転移。 H12:脳転移。放射線治療、化学療法施行。 H13:肝転移。化学療法施行。 H13.8.15:緩和ケア病棟へ転棟。 23:脳圧亢進症状あり。低酸素血症による呼吸困難あり。 9. 7:セデーション開始。永眠。(在院日数 24日間) ●問題点 入院時の問題点としては,頸椎に転移があり,ペインコントロールはされていたが,痛みや痺れがとれず症状コントロールは不十分であった。 また,告知はされていたが,本人,家族共に十分に認識されていなかった。 ●目標 I氏本人が,痛みをとってほしい,という要望をもっていたので,症状コントロールを第一目標に設定しました。が,I氏は症状コントロールができたあとは,化学療法を希望していました。当病棟では,原則として化学療法を行わないという方針であるために,I氏と家族には病状を説明し,緩和ケアへの理解を促していきました。 疼痛に関してはモルヒネを中心に症状コントロールをしていき,加えてセルフケアの援助,そのほかに事故防止に努めました。痛みは2,3日で落ち着き,病室で過ごしていたIさんも談話室で過ごしたり入浴できる時間がもてるようになりました。しかし,その後は脳転移の症状が強く,倦怠感,呼吸困難感,ふらつきなど症状コントロールがむずかしくなり,亡くなる前はセデーションを行いました。 ●病状説明について 転棟前は,外科病棟で化学治療をしていたが,副作用と頸椎転移による痛み,しびれから不安が強くなり,それが原因でパニック発作を起し,精神科に診てもらっていました。その精神科から「緩和ケアが適応ではないか」と勧められ当病棟を紹介されてきた経緯があります。 この時点では,I氏はがん転移のこともきいており,積極的な治療を望んでいなかったが,実際には病状認識,緩和ケアへの認識が十分になされていなかったようです。当病棟では,残された時間をその人らしく過ごして,患者・家族にとっていい時間になるように,入院時に緩和ケア病棟に希望することや,症状コントロールができたあとの時間を本人の意思に添って過ごすことができるように目標を揚げています。6カ月の病棟経験を通してみて,本人が真実を知っている場合のほうがいい時間がもてることが多かったことから,病状認識に関しては,I氏がどこまで知りたいかを確認し,出きるだけきちんと説明していこうということをカンファレンスで話し合いました。 ●家族への説明 I氏に話す前に夫に病状説明をしたのですが,一応の説明は受けていたはずですが,きちんと認識されておらず,そんなに悪かったのかと驚き混乱され,前医に対する怒りや不満をぶつけられるのを聞くばかりで,その後の方針を立てるまでに至らず初回の面談時はそれで終わってしまいました。 夫の医療不信が大きかったので,食事や薬の変更などを含めたI氏のその日の状況を看護ノートに記したものを夫に渡すなどして,コミュニケーションを図る手段としました。 また,病状が厳しかったので,夫はI氏本人や息子さん達に病状説明することに難色を示されました。スタッフのほうは,I氏の予後が短いと予測し,できるだけ早くI氏の意思を確認したかったが,夫の気持ちに添ってI氏の援助と並行しながら,キーパーソンである夫の気持ちを受け止める一方で,緩和ケアについて理解してもらえるようにくり返し面談を設定していきました。 時間はかかりましたが,少しずつ夫は理解を示されるようになり,息子さん達にはご主人から病状説明をされました。 その間,Iさんは病状を説明を詳しくしていないこともあり,日々変化していく自分の体に,死に対する不安とよくなりたいという希望が交錯しているようでした。 8月29日,Iさん本人が自分がどうなっているか知りたい,と言われたことを家族も了解し,病状説明がされました。 その時に,Iさんは自宅に帰りたいと言われたのですが,病状的に難しかったので,病棟でできるだけよい時間を過ごしていただけるように方針を立てました。 その後,病棟の談話室で親族が集まって大宴会を開いたり,夫が病室に付き添って,病院から出勤するなど二人だけのいい時間をもつことがでいたように見えました。また,9月にはいって病棟の行事があったのですが,それにも自ら参加して楽しんでおられるように見えました。 亡くなる当日,症状がかなりつらくなってきて,「もうきつい,死にたい,殺して」などという訴えがあり,セデーションをかける時期かと判断したのですが,夫は話せなくなると躊躇していました。結局,本人が「お父さん,私が頼んでいるんだから」という訴えを聞くことで納得され,セデーションを行いそのまま永眠されました。 3――考 察当病棟スタッフは,日々の援助を行う上で,病棟理念の「自分の意思に基づいてその人らしく尊厳をもって生を全うすることができるようにお手伝いをする。さらにご家族の苦しみを理解し,困難を乗り越えられるように支援する」ということを基本に取り組んでいる。しかし,実際はとても難しいことであると改めて実感している。病棟開設後6か月が経過し,40数名の患者様が旅立たれたが,その中でも,今回,事例として振り返ったY氏とI氏は,特に印象的な事例であった。Y氏に関しては,スタッフの方が「こんな最期を迎えたい」と思うような,とても穏やかな最期であり,緩和ケアとはどういうものか,最期の時をどのように過ごせばよいのかということを教えてくださった方であったと思う。 逆に,I氏の場合は,「自分の意思に基づいて,その人らしく」最期を迎えていただくために,私たちが何をしなければならないのか,また,家族ケアの難しさ,大切さを教えてくださった事例であったと思う。 患者と家族の思いが同じ方向を向いていた場合 Y氏に関しては,入院期間が22日と短い期間であったが,穏やかな看取りができたと感じられる。そのいちばんの要因として,Y氏が,残された時間をどのように過ごしたいかということをしっかり伝えてくださったことと,御家族がY氏の気持ちを最優先に考えてくださったことであると思う。Y氏は,入院時より,「死」に対してある程度の覚悟はされていたように患うが,9/11 の吐血が一つの転機になったと思う。 この日の夕方,はじめて,Y氏は子供時代のこと,戦時中のこと,奥様と出会った頃のこと,仕事をしていた時のことなど自然に話され涙された。今思うと,死を間近に感じ,人生のふり返りをされていたのだと思われる。 その後も私たちとは今までと変わりなく過ごされていたが,その間,遠方の親戚に会って形見分けをしたりされ,少しずつ死を受け入れられていたように思う。 私たちは,Y氏の気持ちに添いながら援助を進めていくことで,面談や,カンファレンスでの検討も最小限ですみ,貴重な時間をコミュニケーションやセルフケア援助に有効に使えたと思う。 2番目に,持続点滴の中止,バルンの間欠開放により入浴,散歩が可能になったことや,嘔気により食思が低下している中でかき氷をおいしく摂取できるようになったことが,些細なことではあるが日常性の維持につながり,結果としてQOLの向上にっながったのではないかと考える。 また,御家族も積極的にケアに参加してくださったことで,Y氏だけでなく御家族とスタッフの間でも良いコミュニケーションがとれる場になったと思う。 3番目にY氏,家族とのコミュニケーションが十分に取れたことであると思う。当病棟入院後,ほぼ毎日面会にみえ,9/20の吐血後は,関西在住の長男,長女も来られ,1週間ほど交替で付き添われた。今までは家族には厳しい父親であり,子供との関係はあまりよくなかったと聞いていたが,この期間の関わりを通して,関係の修復ができたように感じられた。また,ともに過ごされたことで,家族も,患者の自然な死の過程をみて受容ができ,グリーフワークにつながったと感じる。また,医療者にとっても,悔いの少ない看取りができたのではないかと思う。 緩和ケア病棟のケアの方針として,患者の苦痛の緩和をはかり,少しでも生活の幅を広げ,QOLを高めることが大切であると思う。当病棟では,平均査院日数が約1カ月と短い。その期間内で「自分の意思に基づいて,その人らしく」過ごしていただくために,早期に症状コントロール,コミュニケーションをはかり,患者が望んでいることが実現できるように,予後の予測にあわせ目標設定している。 ここで大切なことは,患者の思いと家族の思いが同じ方向を向いていることだと思う。しかし,実際は食い違っていることも少なくない。 患者と家族とスタッフ,それぞれの認識のずれ I氏に関しても,入院時の患者の認識と家族の認識がずれており,症状コントロール,日常生活援助,とくに家族ケアを行うにおいてとても難しかった症例であった。入院時,I氏は症状が緩和されたら化学療法を行うつもりでいたが,うすうすは自分の病状について感じており,前向きな中にも不安を感じさせる言動もみられていた。 それに反してキーパーソンとなる夫は,病状についてはっきり聞いておらず,初回の面談で現在の病状を知り,前主治医に対しての怒りをスタッフにぶつけられた。I氏の予後は,短い月単位から週単位と考えられたので,キーパーソンである夫に少しでも早く現実をとらえてほしかったが,夫は,前医に対する怒りからなかなか抜けられず,現在の患者に目を向けることができない状況であった。また,I氏,息子たちへの病状説明に関しても難色を示され,短い残された時間をご家族と共に有意義に過ごしていただきたいというスタッフの思いとは,病状認識の面でずれを感じた。 3回目の面談,転機 スタッフとしては,どのように介入したらよいか迷う点が多く,カンファレンスなどで検討した。まずは,夫,息子たちに現状を把握していただくために病状説明を行っていき,最終的には,I氏の気持ちに添って少しでも家族で過ごす時間を作っていただけるように,面談を通して働きかけていくこととした。初回の面談では,まず夫に今の思いをしっかり吐き出してもらい,スタッフもその時の夫の気持ちに寄り添うようにしていったことで,少しずつ現実の受け止めが出来てきたように感じられた。 その後も,夫の気持ちを大切にしながら面談を繰り返したことで,夫は徐々に私たちの働きかけを受け入れられるようになっていった。I氏にとっての転機は3回目の面談時であったと思う。I氏家族はとても結束の強い家族で,I氏は家族のために行事計画などを立て,妻として,母として家族を支えてきた。そんな背景もあり,自分の思いよりも家族の思いを優先するようなところがあり,夫に自分の思いを言われない方であったと思う。そこで,症状が急激に変化し,良くなりたい気持ちと死が近付いている不安が交錯する思いが,医療者に表出されたように思う。その思いを,3回目の面談時に,I氏に代わって,夫,息子たちに伝えることができ,この面談を契機に,やっと目標設定ができた。実際のところ,入院時の予後予測よりもI氏の病状変化が早く,いい時間は少なかったが,面談後,家族,親族がそろって談話室で食事会をもてたこと,仕事優先であった夫が病院に泊まり,I氏との時間を持てるようになったこと,行事などに家族そろって参加され,家族で写真を撮ったり,庭園でゆっくり過ごす時間があったことはよかったと思う。 当病棟でも,症状コントロールに関しては,ある程度スタッフが関わることで軽減することができるが,人間関係の調整に関してはとても難しい面があると感じている。患者と家族の間には長い歴史があり,その歴史を踏まえてスタッフが何かできるということは少なく,I氏の場合も,I氏の思いを家族に伝える程度であった。 しかし,今回のI氏に対する援助は,症状コントロール,精神面での援助,家族ケアなど,不十分な面は多々あったとは思うが,I氏の思い同様に家族の思いを大切にしながら面談の設定,援助を行ったことで,I氏,家族の思いが少しずつ表出され,短期間ではあったがいい時間がもてたのではないかと思う。I氏の死後,夫は息子たちのサポートを行いながら,今後,自分がどうしていったらよいのかという点についても前向な言動が聞かれており,時間はかかったが,現実を受け止め,未来に目を向け始めているように感じられた。 患者と家族がよい最期を迎えるための条件 この二つの事例に加え,今までに亡くなられた患者のケアを通して,終末期の患者が,家族との絆を深めながら残された貴重な時間を有意義に過ごすためには,以下のようなことが大切ではないかと感じる。 1.癌と診断された時,遅くとも根治治療が不可能と判断された早い時期に,今後の治療計画の 選択肢の一つとして緩和ケアもあるということを説明されていること。 2.患者・家族の希望が実現できるように,予後が月単位と予測され,ADLが保てている時期 に,緩和ケア外来を受診し,登録しておくこと。 3.1日も早く,症状コントロールをはかること。 4.患者・家族・医療者が,タイミングを逸しない十分なコミュニケーションをはかること。 これから,私たちも取り組んでいく必要がある課題が山積みであるが,がんばっていきたいと思う。 |
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