いつにもまして鬱陶しい、ある梅雨の出来事だった。
A男はバスを待っていた。
停留所の看板に付けられた時刻表を、不良が因縁でも付けるかのように睨んでいたが、おもむろに人差し指で17の数字を指し、そこから右へなぞっていった。26へたどり着いてから、再度その数字をトンと叩き、今度はその人差し指を、自分の腕時計へと移し、つぶやいた。
「あと10分…。」
周囲を見渡すA男。鬱蒼とした林の中にアスファルトの1本道が通っている。もう久しく手入れされていないのだろう、道路は白くがたがただ。もうかれこれ1時間ほど、こうして時刻をチェックしては周囲を見渡しているが、先程から車はおろか、人っ子一人通らない。
「ホントに時間通り来るのかよ?」
寂しさと不安と焦りで、つい独り言が口をつく。看板が赤錆でまだら模様になっている様や、その傍らに建てられた古い木造の、風が吹いたら壊れそうな停留所も、A男の猜疑心を煽っていた。
A男はひとまず落ち着こうと停留所に腰掛け、スーツのポケットから何気なくスマホを取り出して、しまったと思った。この辺り一帯、電波が入らないのだ。習慣とは恐ろしい物で、昼間から何度この無駄な行為を繰り返したことか。そのたびに、疲れと不安が蓄積してきた。
ため息を吐きながらポケットに戻し、ネクタイを緩めると、力なくうなだれ、目を閉じた。
「あーーー、やばいよなーーー。どーすっかなぁーーー。」
「どうされましたか?」
「やー、今日彼女の両親に挨拶、……!?」
突然の何者かの問いかけに驚いたA男が目を開けると、隣に男が座っていた。
「そうですか。ご両親にご挨拶に。それはそれは、うまくいくといいですねぇ。」
「や、…あの、」
「何でしょう?」
謎の男は、頭にトトロの被り物をしていた。自作だろうか?トトロ人形のお腹部分をくりぬいて、被っているように見える。それにしてもヒゲが青いし、ハッキリわかるぐらいのケツアゴだ。やはりケツアゴの割れ目部分は剃りにくいのだろう、カミソリでついたであろうキズが見える。そして上半身は裸。下半身は黒の革パンだ。青い傘を持っている所を考えると、きっとあのジブリのトトロだろう。トトロだろうか?トトロ部分がは被り物と傘だけだが、トトロなんだろうか?
「あ、…いえ、なんでもないです。」
A男は爆速で、とにかく関わらないと決めた。と、同時に、その男をトトロおじさんと名付ける事にした。
「ところで、先ほど何やら深刻な面持ちでしたが…」
「あ、や、大丈夫です。全然。大丈夫なんで。」
すぐさまA男はカバンの中から適当な書類を取り出し、仕事中ですオーラを出すことにした。流石に、こうしてしまえば、おいそれと変な事にはならないだろう。
「………実は私、トトロなんですよ。」
瞬間、時間まで凍りついたようだった。数秒の沈黙。A男はただひたすら、何かの聞き間違いであることを祈った。自分に話しかけられたのではないと言い聞かせた。
梅雨のジメジメとした空気が、急速に重みを増して皮膚にのしかかってくる。
額のあたりから一滴の汗が、首筋へと滑っていくのがわかった。
「知ってるでしょ、トトロ?T、O、T、O、R、O、トトロ。」
A男の思考はもはや、バスよ来いバスよ来い早くバスよ来い、と繰り返すだけになりさがっていた。するとふいに、トトロおじさんがA男の太ももを傘の先で突いた。
「あてっ!ちょ、なにすんですかっ!」
「…………トトロ、知ってる?」
何なんだこの人は!?A男は心の中で叫んだ。しかし、変に刺激して、殺されたりでもしたらたまらない。腕時計をチラリと見て、バスの到着予定時刻までもう5分も無いことを再確認し、数分乗り切ればいいんだと意を決して応答することにした。
それが、すべての始まりだった…。
(続く…。か、どうかわかんない。)
北斗の拳のケンシロウみたいな男がやってきて、生理用ナプキンを買って帰った。
— 水輪ラテール (@minawa_la_terre) 2014, 7月 11