事故報告書の指摘する金属疲労は230nm間隔であるが、これは230nmの紫光線で現場で一度に発生したものである。なぜなら、金属疲労の縞のところに安全姿勢をとる乗客のかたちが刻印されているからである。

金属疲労は230nm間隔であるが、これは230nmの紫光線で現場で一度に発生したものである。なぜなら、金属疲労の縞のところに安全姿勢をとる乗客のかたちが刻印されているからである。なにより、調査報告書の
http://gray.ap.teacup.com/123ja8119/img/1163572282.jpg
で人型がスタンプされているのが科学的な証拠であり長崎の惨状
http://sk.fox.ac/jal123/photo.htmそのものである。
上空からその場に垂直に近い角度落ちたことが分かります。
遺体の状況ですが、ほとんどの方が水分の箇所を失っています。一瞬にして殺されたことが分かります。見た目の損傷が少ない方も、中性子線を和らげる樹脂性シートからはみ出した部分、即ち、頭の部分の水分が昇華してしまい顔がないのが分かります。生き残った方も急性原爆症で亡くなりました。奇跡的に助かった4名は前列からの人間の水分、樹脂製のシートで核シェルターの中にいる状態となりました。
それに対して高い立木の上に引っかかった写真があります。これは重要な一枚です。その立木の周りの木々に葉っぱがはっきり写っています。針葉樹独特の燃えやすい葉です。引っかかっている遺体はまるで破裂したかのような損傷です。そして黒こげです。
これは落ちて来て木に引っかかる前からこの状態であったことを証明しています。出なければあの状態で木にひっかかる分けがありません。ほとんど身体の表皮だけが落ちてきたから案ようなことになったのでしょう。
このような写真の事実からあの場所に落ちる前から激しい損傷を受けた遺体があったことを証明しているのです。

垂直尾翼に何かの破片が多数激突したと考えるのが自然だと思うのですが・・・ 破壊箇所の縁取りは内側に向いています。左側の人物の見ている破片下の破壊箇所は何かの破片がぶつかって押しつぶされた感じになっています。小さいですが写真中央の何かの破片が当たってへこんだような箇所も外部からの損傷に起因することを示すことから注目に値します。よく見るとプロペラの形にプレスされています。
この細かい破片が当たったような黒色箇所は右水平尾翼にも認められます。
左側にはありません。
下の金網上に焼け爛れた箇所があります。これは外版のJAL文字のLA付近ですので実際には焼け爛れている方が上になります。プロペラ
(形の参考)のついたミサイルが当たるのを目撃した(テレビインタビュー報道)とする証言を考慮すると鶴のマークあたりの真上付近からつっこんだとすれば破壊状況と一致します。
金属疲労やAPU爆発等の内側起因では内側にへこんだり焼け爛れたり細かい破片でへこんだりしません。


写真をよく見ると斜め上から力が加わっています。また、上方向舵の跡が中央部に見られますが、右旋回時の位置にななめってスタンプされていることから週刊サンケイ1985年9月19日号元電気通信大学講師井上氏談話「フライトレコーダーを見ると既に18:24:10には方向舵が右に飛んでいる。」を裏付けています。衝突時には右旋回で回避行動をとっていたことを裏付ける損傷発生となっています。
再現画像↓

、JAL123便事故の1985年8月12日には、このEC−1は納入前のテストをしており、試験飛行をしていていたこと、それに護衛艦「まつゆき」も納入前の試運航をしており、EC−1、「まつゆき」双方とも厳密には国有財産として未登録であったことです。国有財産でない場合は、所有権は製造会社側にあるので、これらの航空機や艦艇が実際にやったことの報告義務から法的には免れることになります。実際に何が行われたかを究明するのは非常に困難になるのです。訓練支援艦「あづま」が8月12日に呉港にいたことによってJAL123便の垂直尾翼に衝突した謎の飛行物体は「ファイア・ビー」でないことは確かです。なぜなら、「ファイア・ビー」は、訓練支援艦がいないと飛行させることができないからです。そこで、謎の飛行物体として現在考えられているのは、1985年当時鋭意開発が進められていた沿岸防衛用国産巡航ミサイル「SSM−1」のプロトタイプ、すなわち、爆薬を搭載していない演習用ミサイルで鶴のマーク付近で自爆したのではないか――と考えられるのです。

プロペラのかたちがくっきりと残ってますね
赤いプロペラの付いた物体が、畑の上を飛んで行き、それがJAL123便に当たって飛行機が爆発した。{匿名・・テレビ取材、農家主婦と息子}
「最初のバシッという爆発音がどうしてもよけいなんです。そして私たちの耳に届いていたあの戦闘機のジェット音の正体は。」

圧力隔壁は客室側に変形。

非与圧側からの衝撃により客室過圧が起こりトイレ上の横長の壁が向こう側に吹き飛び、一度 1 秒間だけ離陸警報音が鳴り、過圧が逃がされたためひとりでに止まった。同時に、過圧を適正にするため一瞬で与圧が下げられ客室内の圧力が下がり耳がツーんとし、50センチ角の長方形の点検口がこちら側に開き、室内に霧が発生したが適正な与圧に戻ったためすぐに消えた。通常 客室与圧が 14000 フィートまで低下すると作動する酸素系統制御器のアネロイド機構が、客室与圧の一瞬の過圧を逃がした際に誤作動を起こし、酸素が供給されて酸素マスクが落下し、供給された酸素の圧力を受感して作動するプリ・レコーデット・アナウンスの作動スイッチがオンとなって PRA が開始されたものと推定される。
ところで分からない方も多いと思うので説明しておきますが。火薬類には花火に使うような黒色火薬と2時大戦前から使われ始められた無煙火薬を代表格に化学合成火薬があります。そしてさらにライフル弾はお尻に雷管が付いていますが、衝撃を与えると発火する炸薬というものがそこに入っています。昔はこの炸薬を小さく紙にロール状に並べたものを挿入するおもちゃのピストルがありました。本物のピストルはこの炸薬を雷管に仕込み撃鉄がそこをたたくとその火が薬莢の中の無煙火薬に着火して燃焼させ弾を押し出す仕組みになっています。
最初に聞いた破裂音は、音速を超えない花火の音のようではありません。明らかに音速を遙かに超えた燃焼速度を顕す破裂音だったということです。この高速の破裂音は音速を遙かに下まわる旅客機の墜落では生じ得ないものであることを知ってください。稲妻は音速を遙かに超えて空気を切り裂き近くに落ちたときは鋭い同様の音を発します。
いろいろな証言はありますが私は父親が大口径ライフルを所持し、火薬類の扱いも通じていたため、その知識を教え込まれました。イベントで発射される火縄銃の音も一般の狩猟用の散弾銃の音もよく知っています。それらの音は大口径ライフルの発射音とは異質なものなのです。
はっきり言って大口径ライフルの音は傍にいるのが苦痛になります。初速が音速を超えるため銃身の近くに身を置くとその衝撃波でみぞおちを殴られたようになってしまいます。近くにいるだけで気分が悪くなるほどの音だと言ったら分かるでしょうか。そうした音を知っている方にはその大口径ライフルの発射音に近い音といったら分かるかも知れません。
その最初の音だけを根拠にしても123便に何が起きたかを理解できるものは理解できるのだと言っておきましょう。





紫(230nm)のところが雑巾の水分で減速されて半導体に捕らえられた中性子線。一向に収まる気配がない。



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