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「退屈貴族」とは、フジテレビで2003年10月〜2004年3月の毎週月曜深夜24:58〜25:28に放送された深夜番組。
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退屈な貴族達 (お笑いタレント・ココリコ2人とゲスト2人の計4人) が「退屈をしのぐVTR」を 1つずつ鑑賞する。 退屈な貴族たちは「世界のありとあらゆるものに飽きてしまった」ので、どんなVTRにも無表情を維持しなくてはならない。笑ったり驚いたりなどの顔を変えることをしてしまったら、罰を受けるというバラエティ番組。
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この会議の6年前、97年5月に放送された日本テレビの番組「投稿!特ホウ王国」を見たリサーチャーが、「火渡りと幽体離脱ができる老人がいる」とネタを上げてきた。
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「投稿!特ホウ王国」に投稿された経緯は不明だが、老人がリンゴ箱をばらした板を燃やし、その上を裸足で歩く姿が放送されていた。
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企画会議では、まず老人の言う幽体離脱をさせ、答えられない質問をして老人が困るところを撮り、視聴者を笑わせる。 その後で、火渡りをさせ、凄いと驚かせる、という構成を決めた。
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日本テレビの 「投稿!特ホウ王国」 の安直な二番煎じと、老人のボケぶりを笑う、TBS 「さんまのからくりTV・ご長寿クイズ」 のパクリである。
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「退屈貴族」の社外スタッフSは11月下旬、早速、老人に電話し出演を依頼、承諾を得た。
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ネットでは、このSは、NET WEB のディレクター佐藤裕司と見られている。
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■ 撮影 老人の自宅 2003年12月4日 東京都府中市 老人の自宅 |
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12月4日昼、フジテレビのディレクター・金子傑、社外スタッフ Y の二人は電車で老人の家に向かった。
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社外スタッフの Y は特定出来ていない。
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老人の家の軒先で、幽体離脱の話等、2時間程度の撮影を行い、河川敷に移る。
撮影されたこの映像が、老人の、自宅で暮らした最後の穏やかな姿となった。
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 |
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■ 撮影 河川敷 2003年12月4日 東京都府中市是政5-9周辺の多摩川河川敷 |
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日本テレビで放映されていた投稿画像では、ミカン箱をばらした木の板に火をつけ、くすぶる板の上を同老人が裸足で歩くものだった。
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老人が持参したのはダンボールだけだったが、派手な演出を考えたフジテレビ・スタッフは、灯油 3リットルを用意した。 灯油の火は 1000度にもなる。
むろん、老人は過去、灯油を燃やした火渡り等、一度もしたことはなかった。
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灯油 3リットルに対して、消火用に用意したのは、バケツの水 1杯だけ。 消火器等の用意はなく、消防署への届け出もしなかった。 管理する府中市にも許可を取っていなかった。
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これは、誰かが河原で火渡りをすると聞いて、それを撮影に行くという話とは全く違う。
初めから、フジテレビが制作するテレビ番組の撮影であり、企画から構成、日時などのセッティング、出演者への手配等、スタジオ内における撮影やドラマの撮影と同様、全てフジテレビの責任で行われたロケ撮影である。
バラエティであれ、ドラマであれ、河川敷のロケ撮影には、その管理者である市の許可が必要。 ましてや火を使った撮影である。 消防署への届け出も、消火器の準備もしていなかった。
撮影の内容を届け出ていれば、この内容では当然、許可は下りず、事件は起きなかった。 無届け、無許可のもぐり撮影。 フジテレビの無責任さには呆れるばかりである。
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ディレクターの金子傑は、「本当に歩くんですか? …とか言って、ちょろっと横っちょ歩いたりしてw」 と小バカにした物言いで老人を挑発した。
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老人が持参したダンボールに、スタッフが用意した灯油 3リットルを撒き、同じくスタッフが持参したライターで老人が火をつけると、高さ 1メートル以上の火炎が長さ10メートルほど続いた。
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動画には老人が灯油の一部を撒く様子が写っているが、灯油 3リットルを撒いたのが老人なのかスタッフなのか、フジテレビは 「答えられない」 としている。
どちらが撒いたとしても、灯油を燃やすことは番組の演出であり、その責任はフジテレビにある。
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金子傑らは燃えさかる猛火を前に、ビデオを構え、「お願いします」 と、老人に火渡りの実行を促した。
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白いパンツで裸足の老人は、燃えさかる灯油 1,000度の猛火に飛び込み、火の上を歩くが、数メートルを歩いて、熱さに耐えられず途中で脇に抜ける。
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独り暮らしの老人は、久しぶりの訪問者に喜んで、無理をしたのだろうか…… やると言ってあとに引けなくなったのだろうか…… 今まで一度も失敗したことはないと、運を天にまかせて飛び込んだのだ……。
しかし、一度も失敗することのなかった、くすぶる木の板の炎とは違い、灯油の火は1,000度の高熱地獄であった。
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大火傷を負った老人は、持参したオロナインを真っ赤にただれた両足に塗ったが、足の裏の皮はめくれ、歩くことは出来ず、スタッフが背負ってタクシーに乗せ、自宅に送った。
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金子傑と Y は、大火傷を負った老人に2万円だけ渡すと、独り暮らしの家に、そのまま置き去りにして帰社した。 金子傑と Y は、足の裏の皮がめくれた状態も見て、大変な大火傷を負っていることも判っていたが、独りにしたまま放置し、その後、ただの一度も連絡を取らなかったのである。
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消火用として用意したのは、バケツの水 1杯であったが、灯油の火はどのようにして消したのか、燃え尽きるまで待ったのか、それも放置したのか、フジテレビの回答は、これについても、「答えられない」
ということである。
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2日後の12月6日、兄嫁が、家の前に停まったタクシーに向かって、玄関を這いずっている老人の姿を見つけた。
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兄夫婦は隣家に住んでいたが、事の経緯は知らず、老人は体の具合が悪いだけで寝ていれば治るとでも説明したのだろうか、救急車を呼ぶことはしなかった。
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老人は動けない状態が続いたあげく、事故から5日後の12月9日、容体がいよいよ悪化し、ぷるぷるふるえているところを兄が見つけ、救急搬送された。
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判明した火傷は、足裏から太ももにかけて、表面積の三割近くに最重度の三度という重篤なもので、多臓器不全に陥っていた。
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事件性を疑った病院は地元警察署に通報する。 警察は火傷を負った日時、場所と 「フジテレビのロケ」 であること、担当者名を聞き出した。
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翌日の12月10日、警察はフジテレビに、受傷者の氏名、日時、場所、担当者名を知らせ、ロケについて問い合わせた。
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その日のその夜、老人の体温は34度まで低下。 意識不明の状態が続き、危篤に陥った。
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5日後の12月15日、フジテレビは、担当者名が判っていたにもかかわらず、はたして本当に調査をしたのか、「調査したが、該当する様なロケは行っていない」
と回答。 警察はそれを鵜呑みにし、「フジテレビのロケ」は老人の虚言と判断。 事件性はないとし、自傷事故として処理した。
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「該当するロケはない」と答えた翌日、12月16日、フジテレビのスタジオでは、老人の映像を使用して、収録が行われた。 老人の映像には、老人を小バカにし、笑いものにする編集が行われており、ココリコ
(遠藤章造、田中直樹)、ラサール石井、熊田曜子が出演していた。
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病院では老人に表皮を移植する手術などが繰り返された。 しかし、呼吸の一時停止、胃の複数ヵ所からの出血、吐血。 肺には水が溜まり、臓器不全に陥るなど、重篤な症状が続いていた。
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■ テレビ放映 2004年1月19日深夜0時58分 |
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フジテレビスタッフは、大火傷を負ったまま独居に放置してきた老人の様子について、その後、一度も問い合わせすることなく、撮影から 1ヶ月半後、「退屈貴族」
内で、退屈をしのぐ映像 「東洋のランボー」 と題して放映した。 放映中も、老人は生死の境をさまよっていた。
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老人を茶化したり、小バカにしたナレーションと共に放映した画面では、高さ 1メートル、腰まで火が燃えさかり、老人が下半身に大火傷を負ったことは誰の目にも明らかだった。
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この世にも恐ろしい映像を放送することに、スタッフは誰も躊躇したりしなかったのだろうか? この時、老人は生死の境をさまよっていた。 あるいは死亡していたかもしれないのだ。
番組内では、その老人を茶化したり、小バカにして、笑いものにしていたのである。
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 |
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実際にフジテレビで放映された映像から |
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5日間の調査でも 「該当するロケはない」 と答えたフジテレビは、自社で放送したにもかかわらず、放映後もまだ事故を発見出来ていなかった。
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番組を見た視聴者から 「やりすぎ」 の苦情が相次いだことから、フジテレビは、ようやくロケの事実を認めることになった。
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1月21日、フジテレビは、同番組の放送 2日後になって、ようやく事故対応を始める。
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社内調査で金子傑は、「無理強いはしていない」と強弁した。
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フジテレビのニュースでも度々取り上げられている、老人を騙して必要のない高価な商品を売りつける、悪質な訪問販売の詐欺師と全く同じ言い訳である。
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1月23日、フジテレビは、バラエティ担当の制作2部長・港浩一、「退屈貴族」プロデューサー・石井浩二、金子傑ら5人に、親族である兄夫婦の元に謝罪に行かせる。
しかし、兄夫婦が、詳しい事件の経緯を知らず、番組も見ていないのをいいことに、また、老人が持ちかけたと思い込んでいたため、その誤解に乗じて、事実を説明することはしなかった。
5人揃って、「シメシメ…」 とほくそ笑んでいたのだろう。 あとは一切、知らん顔を決め込んだ。
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親族である兄夫婦は、今回、取材で訪れたジャーナリスト・中川一徳氏から、初めて、事件の経緯を聞いた。 兄嫁が中川一徳氏に語った話 「日渡りを申し出たのは義弟でこちらにも落ち度はあると思っていたので、逆だと知って驚きました。当時、それを知っていたら違う考えを持ったと思う。誠意がないと思います。私たちも高齢でいまさらどうしようとは思わないが、同じ人が同じような番組を作って事故が起き、他の方が同じ思いをするのは本当によくないと思っています。」
(「週刊文春」より)
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フジテレビは、警察から問い合わせがあった以上、隠しておくわけにはいかず、事故として届け出た。
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1月末、フジテレビは、同局に顧問 (事件もみ消し要員?) として天下りしていた元警察幹部が警察署を訪問し、もみ消し工作。 このフジテレビ顧問は、都内で複数の警察署長を務めており、その顔に物を言わせ、警察は、担当スタッフの事情聴取さえすることなく、ただ、老人の自傷事故として処理した。
事故として公表することもなく、もみ消し工作は完了。 フジテレビは、世界に類を見ない大事件を隠蔽した。
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フジテレビは、社内においても、この事件のことはひた隠しにされ、主犯の金子傑をはじめ、管理責任者・港浩一、制作担当者・石井浩二らの懲戒処分は一切なされなかった。 事件が表沙汰にならなかったことで、番組が打ち切られることもなかったが、石井浩二(プロデューサー)、金子傑(ディレクター)、渡辺剛(ディレクター)、飯村徹郎(ディレクター)の4人は 2月23日の同番組から外れている。 渡辺剛、飯村徹郎のこの事件との関係は不明。
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フジテレビは、中川一徳氏の質問書に対して、事故の事実だけは認めたものの、経緯はほとんど明らかにしていない。 フジテレビが払ったと答えた、老人の治療費についても、全て公金で賄われており、どうやら、それすらフジテレビは払っていないようなのだ。
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老人はその後も手術を繰り返したものの、歩行もかなわず、救急搬送以降、一度も帰宅することさえ出来ないまま、2007年 9月、火傷による腎不全で死亡した。
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2010年8月22日、処分を逃れた石井浩二、金子傑は、そのままバラエティ番組の制作を続けていたが、特番を放送予定だった「オレワンスペシャル」では3人のケガ人を出し、同番組は放送中止となっている。
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「オレワンスペシャル」は、ディレクター:金子傑、チーフプロデューサー:石井浩二。 収録中に、「我が家」の杉山裕之が左肩関節脱臼骨折、全治2か月の重傷、
陣内智則が肋骨にひび、「ハイキングウォーキング」松田洋昌が肋骨を骨折して、放送中止となった。
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2012年2月2日、フジテレビ 「とんねるずのみなさんのおかげでした」 で、お笑いコンビ「ずん」のやすがスキー場での収録中、ゲレンデを水上スキー用のゴムボートで走行、停止用の雪の山がジャンプ台となって飛び出し、小屋の屋根に激突。
そのまま 5メートル下に落下、第二腰椎破裂骨折、両下肢マヒの重傷を負った。 公式レースではフェンスを設置するので起こりえない事故だった。
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2012年3月1日、フジテレビがひた隠しにしていたこの事件は、ジャーナリスト中川一徳氏によって発掘され、「週刊文春」 3月 8日号に、同氏の署名記事として掲載される。
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「週刊文春」の同記事は、インターネット・2ちゃんねるのニュースサイトやブログ等の書き込みで瞬く間に多くの人々に知られるところとなる。
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当時、放送された同番組は、視聴者によって、動画サイト YouTube にアップロードされ、保存されていたため、今回の報道を知った有志によって拡散される。
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なんとしてでも隠蔽したいフジテレビは、著作権の所有を理由に、全ての動画を探し出してブロック要請。 有志らは、「検証のための動画」 であることを理由にそれらブロックを次々と解除。
フジテレビは更に今度は削除の要請。 フジテレビは 1枚の静止画にすら削除要請を出しており、知られてはならない大犯罪であることを証明している。
有志らは、「1つ削除されれば 2つアップロードする」 と、動画サイトで攻防が続けられた。
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フジテレビの株は、その28パーセント以上を韓国人らの外国人が保有しているが、韓国人の業者名でも YouTubeに動画削除の要請が行われている。
→ 画像
しかし動画は拡散され、一時は、YouTubeで、「フジテレビ」 を検索すると、公式チャンネルよりも、この事件の動画が上位に来るという事態まで起きていた。
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フジテレビは事件発覚後、老人の親族の兄夫婦に対してすら、まともな説明も謝罪もしていない。 週刊文春やネットで知った視聴者の問い合わせにも一切答えることはなく、今も徹底して隠蔽を決め込んでいる。
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「週刊文春」2012年3月8日号に掲載されている、この発掘スクープは、
中川一徳氏の署名記事です。
同氏は、フジサンケイグループの権力闘争を描いた第1作『メディアの支配者』で、
講談社ノンフィクション賞・新潮ドキュメント賞を同時受賞されているジャーナリストであり、
今回の記事もまた、信頼性の高い内容です。
このサイトは、広く、多くの方に、この事件を知って頂く為に、
同記事を元に構成させて頂きました。
この事件を明らかにされた中川一徳氏、並びに 「週刊文春」 編集部の方々に、
深く感謝致します。
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