サッカーの無限の可能性を示した2試合
喜び、痛み、恥、驚愕、緊張、涙…ワールドカップ(W杯)の準決勝2試合は、サッカーを取り巻くすべての世界にあらゆるものを見せることになった。ブラジルの崩壊は、本当にどう言葉で表せば良いのか分からない。幸運な状況に助けられて準決勝まで進んできたブラジルがつまずくことを願っていた者であっても、ピッチ上で起こったことを信じられない思いで見つめていたに違いない。
アマチュアサッカーの最下層レベルでさえも、片方のチームが6分間で4ゴールを奪われることなど滅多にない。だが今回はW杯で5度の優勝を飾っているチームのホームゲームだ。
すでに前半終了の時点で、世界のサッカーコミュニティー(ドイツとアルゼンチンを応援する者はおそらく別として…)の間に恥ずかしさと悲しみの感情が広がっていた。何かとんでもないことが起こっているという重苦しい感覚だった。
ネイマールの不在は大いに惜しまれるものではあったが、それ以上に大きな穴を空けたのがチアゴ・シウバであったことは明白だ。彼は凡庸なブラジルのディフェンス陣にある種のバランスをもたらすことのできる唯一の存在だった。
ダビド・ルイスは前の試合を終えたとき、敗れたハメス・ロドリゲスに対して観衆からの称賛を呼びかけるのは自分の役目だと言いたげな様子を見せていた。今回は涙を流し、ブラジルのファンと世界中に向けて敗戦を詫びることになった。
2つ目の準決勝はまったく異なるストーリーとなった。メッシやロッベンのような選手たちが何かを生み出してくれることを期待しつつ、2人の戦術家がチェス盤の上で注意深く自分の持ち駒を動かすような試合だった。
オランダのウインガーは組織の整ったアルゼンチンの守備にほとんど抑えられていた。アルゼンチンの天才も(完璧に決めたPKを除けば)輝きを放つことができず、キャリア最高の試合を戦ったフラールに封じ込められていた。
今回のW杯では何度もあったことだが、今回もまたGKたちの物語に注目が集まる試合となった。ファン・ハールはこの試合ではPK戦の前に3つの交代枠を使い切ることを選択したが、この決断は結果的に裏目に出た。
前回のコスタリカ戦では、これまでのキャリアで20本のPKのうち2本を止めただけというティム・クルルを、オランダの指揮官がなぜ送り出したのかと不思議に思った者も多かったことだろう。
この試合のPK戦で、その答えが明確に示されることになった。キャリアで1本もPKを止めたことがないというシレッセンは、クルルがコスタリカ戦で見せたように相手に揺さぶりをかけることもなく、自分のいる方向に飛んできたPKでさえもゴールから弾き出すことはできなかった。
2つのまったく異なる試合は、なぜサッカーが人類に最も好まれるゲームであるかを思い出させてくれるようだった。サッカーには無限のバリエーションがあり、もっと試合を観たいと思わせるような興奮を必ず提供してくれるということだ。
3位と4位を争うエキシビジョンマッチは別として、意味のある試合は残り1試合のみとなった。圧倒的な力を見せるドイツと、抜け目のない戦いで試合を物にするアルゼンチンとの決勝だ。
ブラジル対ドイツのようなゴールラッシュになってもいいし、アルゼンチン対オランダのような心理戦になってもいい。このレベルで、この選手たちが戦うのであれば、どんな試合であれ見応え十分となるのはこれまでにも見てきたとおりだ。ただ悲しいのは、この1カ月間にわたるサッカーのお祭りがあと1試合だけしか残されていないことだ。
文/チェーザレ・ポレンギ
GOAL JAPAN編集長。ツイッターアカウントは@CesarePolenghi