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ご相談
叱るとすぐ泣く最近の部下に、どのように接したらいいのでしょうか。(40代男性)
遙から
テレビは面白い、のではない。人間が面白いのだと思わせてくれるのが先日の兵庫県の号泣県議の記者会見シーンだった。昨年、城崎温泉へ出張105回。ふーん。どう答弁し危機を回避するか、のほうを興味深く眺めた。登場するなり記者たちの名刺を要求した。わかりやすい戦略だ。わかりやすすぎると言っていい。自分が「嫌だ」と思った質問相手には名前を問うことで、質問自体に心理的圧力がかかる。あるいは後に個人名に対して糾弾できる。つまり、最初から詰問される側がけん制として“脅し”を記者にかけた記者会見だった。だからまず名刺が必要だったのだ。巧妙な、と表現したいところだが、見え見えだっただけに、わかりやすすぎる防衛手段だった。だが、記者たちが質問したり追及するまでもなく、単に、県議を映して流す映像だけで、追及よりもその県議の本質を市民に届けることになるという、防衛どころか、自滅型の記者会見になった。
なぜ自滅したか。
それは“情感に訴える”手法を使ったからだ。これは常習犯だと思ったのはその“正義に訴える泣き方”にある。何かを糾弾されそうになったら、論点をすり替えて泣き叫び、「こんなことで、自分の高い志が否定されるなんて」とばかりに強く主張する。主張された側は、城崎温泉105回という不可思議さと、目前で「情けない」と号泣する姿を比べ、はて、と、思考が停止する。不可思議な現実を重視すべきか、“志の高い”青年の主張を重んじるべきか。これが、人を疑うことを知らないピュアなタイプだったり、田舎の人のいいお年寄りだったりしたら、後者を重んじるだろう。
「何をサル芝居しとるかっ」と抗議できるのは、情感ではなく、現実重視タイプだ。
例えば、浮気がばれた時にも
しかしこの“情感に訴える”防衛作戦、いろいろと使い勝手がいいのも現実だ。
例えば、浮気がばれた時にも利用できる。
「何この城崎温泉の領収書」と妻。
「俺はぁ!いったいどんな思いで君の実家に、反対する両親を説得して、いい家庭を作ろうと、一日のほとんどをその夢を実現しようとエネルギーを割いているか。ああ情けない。俺はぁ!君のことが好きでぇ!立派な、世間に誇れるぅ!家庭を作りたいとぉ!おおおお(涙)頑張っているのに。おおおお(涙)」
「何回も行っているね。城崎温泉」
「俺の目を見て見ろよぉ!どれほど真剣に君を愛しているかぁ!死ねるっ。家族のためなら死ねるんだ。そんな思いで結婚したというのに、情けないっ。おおおお(涙)」
「仕事の出張ではなさそうだね」
「俺はぁ!家族を養おうとぉ!精神誠意、会社にも、世間にも、自分自身の夢にも、人生を捧げつくしているんだぁ!あああああ(涙)」
私が“常習犯だ”と感じる所以だ。この防衛手段はいかに冷静に追及しようと情感で逃げられる。逃げてこれたのだろう。だが、テレビで流れるとなると見破る人が出てきた。その人たちが抗議の電話をした、ということなのだろうと推察している。