とある青二才の斜方前進

経済とエロスのブロガーことTM2501です。いい機会なので、引っ越すことにしました。

ヤマノススメ一合目を見て

これから見る人には申し訳ないが、僕は先に結論を申せば「アンチ」だ。はてなにもゆかりがあり、同人誌も買ったことがある絵師さんに僕がこういうことを言うのも心苦しい話だが、このアニメ化は茶番じゃないかとさえ僕は思ってます。
はっきり言えば、アニメも漫画も侮辱してる。僕は才能がない人、センスのない人、ズレたことやってる人を散々作品について批判してきたが、今回のはその上を行く。僕を怒らせてきた人はいっぱいいるけど、これは怒ったとかそういうレベル以前の問題!怪奇現象のレベル!!

本当は年始からこんな記事書きたくもないが、やらないと俺の虫の居所の悪さが収まらなくて、直接対決でもやりかねないほどのボルテージまで行ってしまいそうだ。(あちらさんが直接対決がお望みなら僕は受けますが、そんなに僕は彼ほど大物でもないし、互いにジャンルが違う分野で知られてる人だから対決にもならないと思います。)

  • アニメ化するからには…

アニメや映画って安直に作られるべきじゃないと僕は思う。ヒットするようにリスクヘッジをかけられるだけかけて、リスクを取るにしてもそれだけの発言力を製作サイドがもった状態で作るべきだと思ってる。

アニメ化を安直になんでもかんでもやってはいけない理由は2つある。1つはアニメ会社側の事情。アニメを作ること自体にとんでもないお金がかかるの。お金だけならいいんだけど、人いっぱい巻き込むの。原作がアニメ側にあったり、アニメが原作を大きくいじって行けるだけの力関係があるならまだわかる。

原作は先にあり、かつ原作の量が少ない上に商業的に売れた痕跡も、アニメ制作会社が原作を改造するほどの放送の尺もない。端的にいえば、絵を書く作業とアニメっぽく構図を練り直すだけの作業をぶん投げただけ。

アニメは産業だ。企画そのものにリスクを回避できるだけの根拠がないといけない。原作をアニメ会社が作る能力と発言力があって、名実ともにリスクをマネジメントできる権利がある状態か、原作そのものの力が強いと数値的に証明できる実績(連載されている量や売上)がある事が必要となる。

今回の「ヤマノススメ」の場合は色々とツッコミどころがある。目玉が飛び出るような売上が報告されたわけでもないし、原作がそれなりに続いていたわけでもない。アマゾンのレビューは6件しかなく、最も信用できるとされたレビューは☆2つの批判的なレビュー、そしてその2冊しか原作がない。(アニメ化はなぜか1巻目の時点で決定していた。)

セーラームーンやエヴァみたいにアニメが原作よりも先に作りこんで、アニメと漫画を微妙に別物にするというほどの尺もこのアニメ化にはない。(たったの3分しかないんだから)

次に、マンガサイドから言える話。アニメ化は普通、信用や売上実績が積み重なってやっとできるものなんだ。それだけにマンガ家自身の箔も付くし、何よりも自分がリスクや手間暇をかけずして、何万人もの人に自分のコンテンツを紹介できるチャンスだからそうやすやすとみんなの作品アニメ化するわけにもいかないのよ。

名誉的な意味合いもそうだし、宣伝的意味合いもそうだし、経済的影響力考えてもそうなんだけど、「べき論」から言えば『本当に面白いもの、人気のあるもの、アニメ会社がリスクを取ってでもやりたいことでしかアニメ何か作っちゃダメ。遊び半分で商用アニメ作ったら、儲からない分を誰かが泣いて、アニメーターの手間暇は徒労に終わってしまうのに、なぜか漫画家だけにはなんの損もない話になるからダメ』というのが僕の意見。

賛否両論受け付けますが、僕はマンガ家のためにも、アニメーターのためにも、出版社から見ても、オタク(消費者としての顧客)から見ても功利を最大化できる環境がこうあるべきだという話をしてる。

出版社からの目線?そうそう。ヤマノススメは雑誌の宣伝としてアニメ化された側面がおおきく、動画の4分の1は宣伝に割かれているから、「雑誌の宣伝のためのアニメ」という立場についても語らないといけないね。

当ブログの読者には耳タコな話しだけど、僕は『宣伝という経済活動は諸刃の剣である』という島田紳助さんの理論を踏襲している。ダメなものは宣伝すればするほど、ダメであることを晒してコンテンツの寿命を縮めるだけであり、良いものならば広まるかもしれないが「良い状態を維持できる範囲以上宣伝すれば、悪循環を生む」という紳助理論やUDONという映画に出てくる経済現象こそが宣伝の本質だと考えている。

ヤマノススメ以外にも雑誌の宣伝のためのアニメを2つも作っているこの会社はいろいろ間違ってる。あまり頭がいいやり方だとは思えない理由はどれもこれも浅ましいコンテンツしかないんだ。ヤマノススメも然りだが、どれも原作が少なく、人気があるかどうかも不透明なうえに、挙句のはてにアニメーターに与えた尺も予算も少ないときた。

アニメ制作会社をなんだと思ってんだ!と憤りたいのは僕だけですかね?「納得してるならいいんじゃない?」と温厚な僕のフォロワーが消極的な擁護をしていたが、僕は彼ほど優しくはなれない!!アニメーターがアニメ作ることの納得なんてものは「今日明日食いつなげるほどの仕事だから」程度の納得なんだよ!キャリアにならない作品でもその産業構造の脆弱さゆえに仕事を請け負わねばならない現状が、アニメそのものの供給過多と質の低下につながっていることは多くの人が知っている事実ではないのかね?

安い企画、儲けが小さいうちに頭打ちしてしまうような企画なんていくら提供されても、誰も幸せにならないのよ!

これは視聴者とて一緒だよ!アニメをチェックする時間・話題だからと原作を買うお金を使う人がアニメ化という事実だけでどれほどいるか考えたことがあるか?僕はそれほど熱心でもミーハーでもないけど、マンガ本の帯に「アニメ化決定」とか書いちゃう時点で、それを使っておきながら「買えなんて頼んでねーし」「面白いと保障したわけじゃないし」と居直れると思う?屁理屈としては許されるだろうけど、それは自分たちの宣伝手法への自己矛盾になるよ?

  • しろってなんなの?

暴論を、聞こえが悪く人を煽るような暴論をいえば、限りなく詐欺に近いモラルの崩壊に絵師が手を貸し、結果的に最も恩恵を被っているんですよ!!それこそ出版社に企画をねじ込んだのは作者本人なのではないかと勘ぐりたくなるほど彼しか得しないのがこのアニメ化なんだ!

しろさんの実力はともかくとして人気はある方なんでしょ?人気だけはあって、実力については賛否両論の僕の立場から言わせてもらえば、僕が「こんな絵は認めない!」って言ってもしろさんのイラストが好きな人がいる人がいれば、それは人気だけは確かにあるんでしょ?実力だけで言えば、僕はかき分けうまい人も、綺麗な絵を書ける人も、背景も構図ももっと柔軟にかける人を何も見ずに名前を羅列できますけど。だから、なんでウケてるかさえ、僕はしろさんについて理解に苦しんでる。

あ、腹立てて俺のブログ見て「てめーよりも上がいる」と言うのは自由だけど、政治・経済・アニメ・炎上ネタ・オフレポ(実話)の全てでヒット作品を持ってるブロガーは僕以外に岩崎夏海と有村悠の二人しかいませんから。部分的に僕よりも上のことができる奴はゴロゴロいるのは知ってますが、すべての能力で僕を凌ぐブロガーは片手の指ほどしかいないです。…はい。


ちなみに、頭ごなしにしろさんを批判しているわけじゃないです。
一応、彼のサイト行って何年も前の絵から順番に見たんよ?それで判断してるんよ?僕がサイトの隅々まで見て、同人誌も1冊買って、このひとがなんで売れてるかわらんのよ!敢えて言うと色彩とかファッションなんだけど、これも意外と法則性があって、決して多くの技法を使いこなすトリックスターでもないし、誰が見ても受け入れられるような鉄板芸でもない。それに白黒にしたり、漫画にすると一瞬でこの人の絵の良さは死ぬ!

問題は絵もそうなんだけど、中身もなんだよね。

ヤマノススメというタイトルで作品を書くほど彼が山に精通しているかという事も僕には疑問なんだ。僕が買ったのは東京をサイクリングする同人誌だったんだけど、実用系同人誌のクオリティにははるか及ばないクオリティなんだ。だから、萌えがあるのか…と言われると、かき分けも構図も代わり映えしないイラスト郡に何を見い出せというのやら…。と僕個人的には思います。面白い人からすればいいものが安定して供給されるのだから感動モノなんだろうけどさ。

ちなみに、今回「ヤマノススメ」について僕がほかの同人誌で感じたとおりのことを僕以外の人もいっぱい言ってる。「山舐めんなよ」程度のニコ動のコメントもあるし、アマゾンの以下のようなレビューもある。

☆2つ・もうちょっと描きこもうよ
登山漫画ながら、いかにも昨今の萌え漫画の日常系らしいゆるい雰囲気。
まあ、この系統の漫画を選ぶ人が登山に興味を持つのかは謎ですが
登山素人の主人公+登山薀蓄もほどほどにってことで、
一応登山入門書にはなるのかも。
ただ、一話一話が短いため、一話あたりの内容が薄すぎるなとも思います。

あと、絵もどうなの?と思う。
女キャラはみんな髪型が違うだけで同じ顔で同じ体型だし、
男キャラは描きなれていないのか
手抜きに見えるぐらい単純なルックス。
登山シーンでも背景(自然の風景)は写真加工ばかり。
やはり所詮は女の子キャラが可愛ければ良いという
人向けなんでしょうかね…。もう少し頑張ってほしいなと。


☆3つ・絵が可愛らしい
登山入門的なマンガです。
タフな山行を好む方には、「孤高の人」や「神々の山嶺」をお勧めします。
キャラがどうみても高校生には見えない…


出典・Amazon.co.jp: ヤマノススメ(1) (アース・スターコミックス): しろ: 本 Amazon.co.jp: ヤマノススメ(1) (アース・スターコミックス): しろ: 本

ちなみに、背景が写真合成だったというのは僕が買った同人誌もそうだったので、「ああ、やっぱり」の気分で見させてもらった。この2つのコメントが全てを物語ってるんじゃないでしょうか?絵が好きな人向けじゃね?でも、イラストや作画頑張ってるようには見えないよねという感想。僕も同じ感想です。

2巻についてはあのアマゾンにレビューがないんですぜ?どうなんすか?これ?

ここまで書いて絶対に読者から言われそうなことは「読んでから批判しなさい」論。いいの?みんながお粗末だと言ってて、僕もこの人の経歴からいってその程度のものしか作れないだろうし、実際アニメが「その程度」から出なかった。こういうぼやけた批判ならまだ作者もファンも逃げ道があるけど、僕が原作読んだら、本気で作者潰しに行くレベルで書くよ?それでもいいならこのブログで稼いだ楽天アフィリエイトが火を噴くけど、本気でぼくがしろさんに殴りかかるところ見て何が楽しいのさ?と。

しろさんについてあまり知らん人のために、しろさんのイラストギャラリーへのリンクを貼っておこう。僕の強気な物言いの根拠が少しはわかるだろうから、これを見てもらおう。

IllustGallery | longlongtime IllustGallery | longlongtime

ぼんやりと眺めながら上下してご覧。ミクからアリスからオリキャラまで全部が同じようなアングル・表情で描かれているこのハンコ絵空間の気持ち悪さを見てご覧。吐き気・めまいがするから。

最後に1つだけあるな。それは「漫画から始まる、メディアミックスコミック誌」というコミックアーススターへの批判。メディアミックスされることが嬉しいんじゃないんだよ!やっとつかんだメディアミックスがファンにもアニメ関係者にも愛されながらコンテンツが大きくなっていくことが嬉しいんだ。

それさえもわかってない人がメディアミックスありきでアニメとかマンガとかコンテンツ語らないで欲しい。汚らわしさすら感じる。

ここらへんがモラルの繊細さなんだ。特定の犯罪者・殺戮者の事を「正義の実行者」「愛国無罪」と思ってしまったり、性を必要なものだと知りながらも恥ずかしがるような矛盾に限りなく近い「生理的感覚」なんだなぁ。

マンガがあって、アニメがあって、キャラソンがあって。生産者側からしたらそれは同じことやってるんだけども、消費者側からすれば、メディアミックスするだけの理由とかプロセスはもっと大事なものなんだ。「盛り上がってる」という実感があるからこそそのアニメを見て楽しめる部分、二次創作やファンとしての愛情が増えていく部分があるんだという観点が欠落してる。

それに「声優のグラビア」というアーススターの戦略についてもそれは雑誌としては斬新かもしれないけど、声優という観点からしたら否定的。声優って元々は「声のイメージを大事にする」という観点からメディアへの露出を控えていた人種なんだよ。今でもそういう人いるけど。

不思議なのはアニメキャラと茶髪のねーちゃんの両方の顔が思い浮かんでもヌけると豪語する声優オタクって人種さ。「中の人などいない」という言葉に象徴されるように、声優がアイドル化、ブランド化しすぎるってことはそのキャラクターのイメージをぶっ壊してしまう危険性がつきものなんだよね。一時期の平野綾なんかがそうだけど。

長い?終わるよ。僕と同じ感覚の持ち主が多けりゃ、しろさんもアーススターも滅びるし、僕が少数派なら僕のブログ滅びる。そういう話だよ。

まぁ、僕がこんだけ言っても読みたい奴は読めばいいんじゃない?

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