ひっそりとスピリチュアルしています

えっ?と驚く不思議な体験、へぇ~っと唸る神秘な出来事。いろいろ詰め込んだブログです。


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書籍化に関して、心温まるお祝いメッセージをたくさんいただきました。

ありがとうございます。

自分のことのように喜んで下さる方もいらっしゃって、その優しい応援がとてもありがたく嬉しいです。

Amazonで、早速、予約をしました、と書いて下さっている方もおられ、もう本当に感謝感謝です。

皆様に心からお礼を申し上げます。

誠にありがとうございました。

まだまだ書きたいことも、書かなければいけないこともたくさんありますので、これからもブログは頑張ります。

今は仕事に慣れてなくて、たまにしか更新が出来ませんが、記事をアップした時には読みに来てもらえると嬉しいです。

すべては皆様のおかげです、ありがとうございます。

そして、今後ともどうかよろしくお願い申し上げます。

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ずいぶん前の話になりますが、赤穂 (あこう) に行ってきました。

JR を降りて、赤穂城跡に向かって歩きつつ、一番に思ったのは、都会にはないゆったりした時間が流れているなぁ、でした。

素敵なところだと思いました。

のんびり歩いて、まずは歴史博物館に行きました。

赤穂浪士の資料や遺品がたくさんあるのだろうと期待して入りましたが、メインは塩田に関する展示物や資料でした。

赤穂浪士関係もあることはありましたが、ものすごーく期待して行ったので、え? これだけ? と思ってしまう量でした。

博物館を出てから、城跡に向かいました。

本丸跡に入ると、現在、建物はないのですが、当時のお城の土台がコンクリートで作ってあり、かつてそこが何の部屋であったかという表示がされています。

詳しい名称は忘れましたが、使者の間とか、台所とか、書院とかそういう感じです。

(実はスマホで写真もたくさん撮っていたのですが、パソコンに接続した時にデータをうっかり全消去してしまい、1年半分の写真が全部消えてしまいました・・・(T_T))

土台の上を歩いていて驚いたのは、この城跡に浅野内匠頭 (あさのたくみのかみ) の家臣の気配がまったくない、ということです。

小さなカケラさえありません。

赤穂に行くまでは、赤穂浪士の恨みとか悔しさとか、殿様おいたわしやと思う気持ちとか、そういう念が赤穂城跡にはたくさん残っているのだろうと思っていました。

ですが予想に反して、まったく何もなく場がサラサラなのです。

へー、意外! と思いました。

大石内蔵助 (おおいしくらのすけ) の邸宅跡にも行ってみましたが、そこもすっきりキレイなのです。

他の家臣たちの家があったあたりの土地も、すべてそうでした。

お家断絶で赤穂を離れる時に、全員が未練など一切持たずに出ていった・・・、ということを感じつつ、 「大石神社」 へ行きました。

この神社は、大石内蔵助以下四十七士と萱野三平を主祭神とし、1912年 (大正元年) に社殿が竣工しています。

のちに浅野長直・長友・長矩の3代の城主、浅野家後の藩主森家の七武将も合祀されています。

大石神社、という名前からしてメインは大石内蔵助だろう、と思ってお参りしました。

本殿の正面に立つと、ここから中には入らないでね、みたいな感じで柵が置いてあります。

その前に立って手を合わせようとした時に、中から人が出てきました。 (あちらの世界の人です)

下級武士の正装である半裃 (はんがみしも) を着用している中年の男性で、背はそんなに高くなく、小柄です。

その人が腰をかがめるような感じで 「よう来なさった」 と言い、 「さ、どうぞどうぞ、中にお入り下され」 と私の真正面に来ました。

いや、中に入れと言われても柵があるんですけど・・・と柵を見ていたら、 「ああ、これがあるから入れぬか」 と困った顔をしていました。

とても真面目で誠意があってすごくいい人、という、その人の性格が、姿全体からにじみ出ていました。

誰だろう? と思いましたが、私に敬語を使うところをみると、大石内蔵助でないことは確実です。

とりあえず、そこで手を合わせ、大石内蔵助に向かって話をしてみましたが、反応はありません。

どうやらいないようなのです。

半裃の人は気配を消すようにして控えていたので、大石内蔵助の部下というか、身分がもっと低い人みたいです。

大石内蔵助が神様の修行中だとすると、波長が合うまでに時間がかかるので、いる可能性を考えて、少し境内をブラつくことにしました。

本殿の側面と裏には大きな絵馬が何枚か掛けられていて、そこに忠臣蔵のお話が順を追って描かれています。

それを見物しつつ、本殿をゆっくり歩いて一周しました。

そこで本殿内をもう一度見てみると、さきほどの半裃を着た部下がいません。

大石内蔵助のところに、報告をしに行ったのか・・・本人を呼びに行ったのか・・・目的までは分かりませんでしたが、大石内蔵助がいる所へ行ったようでした。

この半裃の部下は、大石神社の留守番というか、管理人のような存在みたいです。

戻って来たら話を聞いてみようと思っていましたが、なかなか帰ってこなかったので諦めて大石神社を後にしました。

神社には、留守を預かっているこの部下しかいませんでした。

いつも留守役の人しかいないのか、たまたまこの日がそうだったのか、それはまた行ってみないことにはわかりませんが、私の感じたところでは常時、留守役が神社を守っているようでした。

結局、赤穂城跡には (武家屋敷跡も含みます) 見事に、浅野内匠頭の家臣はいませんでした。

念も残っていません。

浅野家が改易となり、違う殿様が赤穂城に入ると、そこはもう ”他家の殿様のものである” すなわち、 ”自分たちのいる場所ではない” となってスッパリ割り切ったようです。

生きている時に、自分たちの殿様は赤穂藩主ではなくなった、ここは自分たちとは関係のない城・土地になった、としっかり心に刻んでいるので、死んだ後もブレないのでしょう。

かつて我が殿の城だった赤穂城が懐かしいなどと、たとえ死んだ後でも、のこのこ行ったりしないわけです。

改易だったので、我が殿様に恥をかかせないよう、お城明け渡しは毅然とすべし、見苦しいマネはするまい、と家臣一同で強く誓ったのかもしれません。

武士の潔さ、武士の心意気、忠誠心を見たような気がしました。

浅野家の家臣の素晴らしさを感じた赤穂への旅でしたが、後日、もう一度行くチャンスがありました。

2ヶ月後のことです。

元夫とのデート中、 「今日は天気がええし、電車に乗ってどこかへ出かけたくない?」 と、元夫が突然言いました。

「えー、今からぁー?」 と、面倒くさいアピールをしましたが、 「赤穂に行ってみたいねん」 と言うのです。

赤穂城跡にまだ一度も行ったことがないと言うので、しぶしぶ付き合いました。

元夫は前世で、赤穂浪士討ち入りに何らかの関係があった人物だと思われます。

以前にも書きましたが、元夫の誕生日は松の廊下事件の日 = 浅野内匠頭の命日であり、結婚披露宴という人生の晴れ舞台が討ち入りの日でした。 (会場の都合で意図せずにそうなりました)

忠臣蔵が大好きで、子供の頃から武士に興味があり、アニメよりも時代劇を見るのが楽しみな子供だったそうです。

赤穂に着いて、まず博物館に行ったのですが、私のようにガッカリすると可哀想なので、赤穂浪士関係の資料は少ないよ、とあらかじめ教えておいてあげました。

元夫は塩田の展示物を見て、2階の赤穂浪士コーナーへ行きました。

私は一度、それも2ヶ月前に見たばかりなので、適当にブラブラしていました。

ふと気づくと元夫は、ガラスに頭を押し付けるようにして、何かを必死で見ています。

そんなに興味を引くような物があったかなぁ、と思いつつ、私はお城の模型などを見ていました。

元夫はその状態のままで、さらに5分ほどそこにいました。

さすがに気になって、そばへ行くと・・・なんと元夫は泣いています。

えーっ? 何を見て泣いてるの!? と展示物を見ましたが、涙を誘うような物はなく、不思議でなりません。

すると元夫は 「これ、泣けるなぁ」 と一枚の書状を指しました。

どれどれ? と見ると・・・それは ”切腹申渡しの書状” でした。

何故・・・こんなものでそこまで泣けるのか・・・? と疑問に思いましたが、さすがにそれは口に出せません。

「たしかに可哀想だよね~」 と言うと、元夫は 「は? 可哀想? なんでやねん、これ、めちゃくちゃ嬉しかった思うで」 と言うのです。

へ? 嬉しい? と思いましたが、元夫の考えを聞きました。

その ”切腹申渡しの書状” には、松の廊下事件のこと、その処罰が不平等だったこと、それで家臣は仇討をやったこと、しかし公儀を恐れぬその行為は不届であり、ゆえに切腹、と書かれていました。

この書状は、浪士がやったことを ”こういう正当な理由・・・、大義名分があった” と幕府が証明してくれたことになる、と元夫は言うのです。

はぁ・・・、なるほど・・・ね・・・。

幕府が、先の処罰は不平等であったと非を認め、しかもこの者たちは主君の仇を討った忠義の士である、とこの書状が認めてくれた、というわけです。

つまり切腹もこういう理由からで、死にゆく者はつまらない理由で殺人を犯して処罰されるわけではなく、悪いことをして殺されるわけでもない、犬死にではない、そのことを書状に書かれることによって未来永劫証明される、と言うのです。

「これを読みあげられた時の浪士は、報われた! と思ったやろなー。心の底から ”我が人生に悔いなし!” と晴れ晴れとした気持ちで切腹したんちゃうかな」 とあふれて止まらない涙を拭きながら解説してくれました。

やっぱりこの人は赤穂浪士と何らかの関係があった人だったんだな、と思いました。

その心情に思い当たること自体、普通ではなく、仮にそうだっただろうと想像が出来たところで、これほどまでに泣いて感激する人は少ないと思うのです。

歴史のその場にいたのだろう、と思います。

元夫は、しばらくの間、ハンカチを握ったままで、その資料を見ては涙を拭いていました。

歴史博物館を出て 「次は城跡に行く?」 と聞くと 「うーん、俺的にはさっきの資料で満足したから、もうええけどな」 などと言うのを、いや、それでははるばる赤穂まで来た意味がない、それは許さん、とムリヤリ本丸跡に連れて行きました。

が、本当にお城には興味がないようで、さらっと写真だけ撮っていました。

赤穂に行こうと電車に乗ったのが遅かったせいで、この後、大石神社に行くと、すでに閉門の時間になっており、神主さんが門の所に立っていました。

結局この日は、大石神社には入れずで残念でした。

元夫のように、前世を一切覚えていなくても、自然とあふれ出る魂の記憶というものはやっぱりすごい、と実感しました。

赤穂浪士の潔さ・美しさを教えてくれた赤穂での出来事でしたが、浅野内匠頭と赤穂浪士の墓がある東京の泉岳寺にもいつか行ってみたい・・・と思いました。





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