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突然の「コノヤロウ」「バカヤロウ」/転載

朝日新聞デジタル
「日本は歴史を直視して」 オランダの人々の対日観は
2014年07月04日09時24分

 オランダで、日本に警戒感を持つ人々が目立ち始めた。
もともと、反日感情を抱く人が少なくない国だ。太平洋戦争中、オランダの植民地だったインドネシアを日本軍が占領。捕虜を強制労働に駆り出したほか、オランダ系の民間人を抑留したり、慰安婦にしたりした歴史がある。戦後69年。両国間で和解の努力が進められてきたが、河野談話の検証作業などで、疑念が生まれている。


■突然の「コノヤロウ」「バカヤロウ」

 オランダ南西部、北海沿岸に位置するハーグ。雨の中、アーサー・レオナルド・ファン・マーセフェィンさん(88)が、自転車にまたがり、日本大使館の前にやってきた。「日本から来た記者です」。そう伝えると、いきなり叫んだ。

 「コノヤロウ」「バカヤロウ」「イチ、ニイ、サン……」

 あっけにとられていると、大きな目をギロリとこちらに向けた。オランダ語で「覚えている日本語だよ」とニタリ。インドネシアで生まれ、現地で日本軍に抑留された。17歳だった。殴られるたびに投げつけられた言葉が、いまも記憶から消えない。

 大使館の前には、70代、80代の元捕虜や民間抑留者が続々と集まってくる。マーセフェインさんが、英語の横断幕を掲げた。

 「真珠湾攻撃がなければ、『ヒロシマ』はなかった」「原爆は、私の命を救った」

 オランダ人の元捕虜らが慰謝料を求めて、日本政府を提訴したのをきっかけに、ちょうど20年前から続く大使館前でのデモ。
主催するのは、日本政府に戦時中の日本軍の行為に対する公式謝罪と補償を求める「対日道義的債務基金」だ。毎月第2火曜に小1時間、横断幕を掲げ、代表が大使に面会して嘆願書を提出。
賛美歌を歌って散会する。記者が取材した日は、約50人が集まった。

 マーセフェインさんによると、抑留所ではのりのようなおかゆしか与えられず、父親は餓死した。「ナチスはガス、日本軍は飢餓で人を殺した。慰安婦問題など、実際にあったことを『なかった』という声が出てくるのが一番の問題。間違いを起こしたと認めるべきだ」。強い口調だった。

 長身の女性、エリーザベト・フィッセルさん(79)が近づいてきた。

「日本を恨んでいる」。
そう切り出した。父は捕虜にされ、母や姉らと3年間抑留された。10歳で解放された時の体重は18キロ、母は38キロだった。
「お金がほしいのではない。たった一つ望むのは、我々が抑留所で毎朝天皇のいる方角に90度のおじぎをさせられていたように、大使が出てきて我々に謝罪のおじぎをしてほしい」

■「いまは憎んでいないけれど」

 戦後補償は「サンフランシスコ講和条約で、政治的には解決済み」と考える人の間ですら、最近の日本の姿勢を危ぶむ声が上がる。

 オランダ北部に暮らすフェリックス・バッカーさん(88)は、生まれ育ったインドネシアで入隊し、16歳のとき捕虜になった。
収容所ではお辞儀をしないと、「ビンタ」された。捕虜5人が穴を掘らされた後に射殺され、埋められるのも目撃した。その後、タイとミャンマーを結ぶ鉄道の建設に従事させられた。

 日本軍が輸送路の確保のため、1942年6月から翌年10月に敷設した泰緬(たいめん)鉄道だ。
欧米の捕虜6万人以上、アジア労務者20万人以上を働かせ、10万人以上が死亡したとされる。映画「戦場にかける橋」の舞台にもなった。

 バッカーさんも栄養失調やマラリア、熱帯性潰瘍(かいよう)などの病気に悩まされたが、なんとか生き延びた。

 戦後しばらくは日本を憎んだ。だが、50代のころ、旅行会社の添乗員として日本を含むアジア各地を訪ねるうち、少しずつ変化が生じた。

日本人はなぜあんなに残酷だったのか。歴史や文化を学び、戦死が名誉だと教育されていたのを知った。若者の洗脳は、どの国でも起こりうる。

 地域の学校などで、戦時中の体験を話してきた。いつも、「日本人を憎んでいないのか」と問われる。

「いまは憎んでいない。憎しみは憎しみを生むだけ。日本人も私たちと同じ人間。いい人も悪い人もいる」。そう答えている。

 そんなバッカーさんだが、日本の政治家らが繰り返す、過去の戦争で起きた都合の悪い事実をなかったことにしようとする発言や動きを「全く理解できない」と切り捨てる。

「歴史は事実としてある。歴史は知ること、語っていくことが大切。日本の政治家たちは賢くない。人間も国も間違いを起こす。恥じるべきだが、繰り返さないことが一番重要だ」

 母親が慰安婦だったという男性(62)は「父も元捕虜として、つらい体験をした。両親はともにトラウマ(心的外傷)を抱え、僕ら子どもたちもその影響を受けて長い間苦しんだ。
日本をずいぶん憎んできた」。ただ、いろいろと学ぶうちに戦争の本質を理解し、「同じ状況なら、自分たちも日本人と同じことをしていたかもしれない」と考えるようになった。

 しかし、歴史を修正するような最近の日本の動きには反発を感じる。「やったことは認めるべきだ」

■警鐘「過去を直視しないと」

 20年以上オランダで暮らすライデン大学名誉教授の村岡崇光(たかみつ)さん(76)は2000年、「日蘭(にちらん)対話の会」を設立した。インドネシア帰りのオランダ人とオランダ在住の日本人たちが双方の話を聞くことで、太平洋戦争とその後の歴史について、お互いの理解を深める活動を続けてきた。

 4月、オランダの主要な新聞に、著名ジャーナリストの評論が掲載された。タイトルは「世界中を敵にまわす日本」。河野談話の検証など、安倍政権下での動きを批判する内容だった。

 村岡さんは「1ページ大での掲載だった。オランダの全体の流れは、基本的には日本に批判的だと考えるべきだ」とみる。「日本はまだ鎖国状態のように思えてならない。外国からどう思われているか、わかっていないのではないか」

 結果的に、河野談話は見直されないことになった。村岡さんは「歴史の厳正な事実を記憶にとどめ、非を真摯(しんし)に認めて反省し、若い世代にこの過去をきちんと教育していく姿勢を貫いてこそ、世界の信頼を獲得できる」と指摘。
「教育に対する中央からの圧力、統制が増大する兆候が見られるとき、過去を直視しなかったら、かつて来た道をまた歩み出すことになる」と警鐘を鳴らしている。(編集委員・大久保真紀)

     ◇

 〈日本軍によるインドネシア占領〉 

1942〜45年、日本軍はオランダ領だったインドネシア(旧東インド)を占領。
オランダ政府などによると、約4万人が捕虜として、さらに民間人約9万人が強制的に収容所に抑留された。

捕虜たちは強制労働に駆り出され、慰安婦にされた女性もいた。収容所では、栄養失調や病気などで2万人以上が亡くなった。

日本の敗戦後、インドネシアでは独立戦争があり、約30万人のオランダ系住民がオランダ本国に引き揚げた。

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