そんな同氏に常に寄り添ってきたのが母親だった。
マザコンぶりはつとに有名で、落選した2008年の西宮市長選では母親と一緒に街頭演説に立ち、落選後の会見にも母親がついてきて、取材陣を驚かせた。11年4月、44歳で晴れて兵庫県議になったときには、当選証書の受け渡しに両親を連れてきたという。
「議会の傍聴席にも両親を呼んでいて、お母さんは5回ぐらいは見たことがある。議会が終わると、両親が控室にもやってくる。そんな議員はほかにいない。野々村氏は、お母さんに対して偉そうな口調で話すのが、意外だった」と丸尾氏。
一方、当選後は結婚を熱望。11年12月9日の本会議では、「当選し、議員として活躍する45歳独身、野々村議員の次の夢は甘い結婚生活です。そのために、婚活議員として運命の女性との出会いを求めて、県営お見合いのひょうご出会いサポート事業に登録し、文字どおり体を張って、実益を兼ねて体当たり調査をしております」と熱弁した。
議会ではたびたび婚活にまつわる質問をし、「公私混同」との批判もあがった。肝心の婚活は不発だったよう。
「実際に、県営のサポートセンターで県職員の女性など何人かとお見合いをしていたようだが、何回かデートして『ダメでした』と言っていた」(丸尾氏)
現在、自宅にも帰らず雲隠れ生活を続けているという野々村氏。大人として取るべき態度は、再度会見を開いて、疑惑を正面から説明することだ。