要旨
独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、脳内に存在するマリファナ類似物質である内因性カンナビノイド(eCB)※1が、脳の抑制性シナプス※2の機能発達に重要な役割を持っていることを発見しました。これは、理研脳科学総合研究センター(利根川進センター長)大脳皮質回路可塑性研究チームのビン ジャン(Bin Jiang)研究員、津本忠治チームリーダーらと米国ジョンズ・ホプキンズ(Johns Hopkins)大学のアルフレド カークウッド(Alfredo Kirkwood)博士らの共同研究による研究成果です。
脳内で作られるeCB は、eCB受容体を介して情報伝達を調節する物質で、マリファナはeCB受容体と作用して、薬理作用や中毒作用を引き起こすことが知られています。最近の研究によると、eCBはシナプス後部※3で神経活動に応じて作られ、シナプス間隙を逆方向に移動し、シナプス前部※3の受容体に結合することで神経伝達物質の放出を抑え、情報伝達を調節していることが明らかとなってきました。また、この作用は長期に持続し、伝達効率を長期持続的に低下させるというシナプス長期抑圧※4に関与することも知られています。しかし、脳の発達におけるeCBの役割については、これまでまったく分かっていませんでした。
抑制性神経伝達物質ガンマアミノ酪酸(GABA)※5を伝達物質とする抑制性シナプスは、強い信号の入力後、長期抑圧を示します。長期抑圧は、一見情報の通りを悪くすると予想されますが、研究グループは、2細胞スライスパッチ記録法という電気生理学的手法を使用して、長期抑圧がシナプスの疲弊を減少させ、伝達効率の安定化に役立つことを発見しました。例えば、出生直後の未熟なシナプスは、連続して信号の入力があると、2発目、3発目の反応が弱くなるといった伝達疲弊が起こりやすく、情報伝達が不安定ですが、長期抑圧後はこのような疲弊は少なくなり、機能が安定化します。eCBはこの長期抑圧に必要で、抑制性シナプスの正常発達に重要であることが判明しました。また、ラットを暗闇飼育して視覚刺激を遮断すると、抑制性シナプスの成熟が遅れますが、これはeCBが産生されず長期抑圧が起こらないためであることも分かりました。
抑制性シナプスの機能発達障害は、てんかんの原因やさまざまな発達障害に関与することが示唆されています。今後、eCBの作用機序の解明により、これらの障害の予防や治療薬の開発につながることが期待されます。
本研究成果は、米国の科学雑誌『Neuron』(4月29日号)に掲載されます。
背景
2001年に、東京大学の狩野方伸教授らや米国カリフォルニア大学のロジャー・ニコル教授らが、内因性カンナビノイド(eCB)は主に小脳や大脳で抑制性神経伝達物質ガンマアミノ酪酸(GABA)の放出を抑え、抑制性シナプスを抑圧することを明らかにしました。一方、抑制性シナプスは、生後の機能発達が興奮性シナプス※2に比べて遅いとされ、その発達は大脳皮質視覚野において両眼視可塑性※6の感受性期(臨界期)の発現を制御しているとされています。特に、暗闇で視覚刺激を遮断した状態で動物を飼育すると、抑制性シナプスの機能発達が遅れ、両眼視可塑性の感受性期も遅延することが知られています。従って、eCBが抑制性シナプスの機能発達に関与している可能性が考えられますが、その作用がシナプス伝達を抑圧するということから、機能発達でもブレーキの作用をするだろうと想像されていたため、抑制性シナプスの機能発達にeCBが促進的な役割を持っていることはまったく想定されていませんでした。
研究手法
研究グループは、ラットやマウスの大脳皮質視覚野を薄く切り出して、人工脳脊髄液を満たした記録槽に静置し、2個の神経細胞の活動を同時に記録する「2細胞スライスパッチ記録法」という最新の電気生理学的方法を主に使用しました(図1)。電気生理学的方法で、抑制性神経細胞※7と同定した神経細胞に、試験刺激として20秒に1回電流を流し、活動電位(出力信号)を発生させた後、近くの興奮性神経細胞※7に向けて放出されたGABAによって生じる抑制性シナプスの反応を記録しました。この反応を指標として、eCB受容体を薬物で刺激したり、機能を阻害したりした時に、抑制性シナプスの伝達がどのような影響を受けるか観測しました。また、薬物の作用が生後発達に応じてどのように変化するかも観察しました。
次に、生後3~5週目のラットを約2週間、暗闇飼育して視覚入力を遮断した場合に、長期抑圧がどういう影響を受けるか、eCB受容体の機能やeCB受容体タンパク質の発現がどうなるかも調べました。さらに、eCB受容体を欠損したノックアウトマウスでは、抑制性シナプスの機能発達が遅れるかどうかも観察しました。
研究成果
生後2、3週目の幼若ラットに100ヘルツ(1秒間に100回の割合)で4発の高頻度刺激を間欠的に2秒間与えると、その後、抑制性シナプスの伝達効率が持続的に減弱する長期抑圧を示しました(図2左○)。この長期抑圧は、eCB受容体の阻害薬を投与すると起きなくなり(図2左●)、逆にeCB受容体を活性化する作動薬を投与すると、高頻度刺激を与えなくても、試験刺激を与え続けることで長期抑圧を再現しました(図2右●)。一方、同じ条件でも(作動薬を投与し、高頻度刺激は与えない)、試験刺激を中断した場合は、長期抑圧を示しませんでした(図2右○)。つまり、長期抑圧にはeCB受容体が関与していること、長期抑圧が生じるためには神経細胞の活動(刺激)が必要であることが分かりました。
この幼若ラットの抑制性シナプスは、連続して刺激が入ると伝達効率がすぐに落ちて、刺激の反復に伴い反応が小さくなるという「シナプス短期抑圧※4」を示します(図3上:黒波形)。しかし、高頻度刺激を与えた後(長期抑圧が起きた後)は、反応の減弱はほとんど起きませんでした(図3上:赤波形)。また、高頻度刺激の代わりにeCB受容体の作動薬を幼若ラットに投与すると、高頻度刺激で長期抑圧を起こした後と同様に、短期抑圧を消失させシナプス伝達を安定化させました(図3下:赤波形)。一方、eCB受容体を欠損するノックアウトマウスではそのようなシナプス伝達の安定化は起きませんでした。
また、生後5週目のラットになるとシナプス伝達が安定化し、長期抑圧も生じず、作動薬も効果がありませんでした。しかし、生後3週目から2週間、暗闇飼育した場合は、生後5週目でも長期抑圧が生じ、eCB受容体の作動薬が有効であることが分かりました。つまり、生後5週目頃にeCB受容体は減少・不活化しますが、そのためには、生後3~5週目の時期に、視覚入力が必要であると考えられます(図4)。
eCBは、興奮性神経細胞に強い入力が入った場合にだけ、シナプス後部で産生、放出されることが知られています。従って、これらの結果は、暗闇環境下では強い入力が無いためeCBが産生されず、抑制性シナプスの機能発達が遅れることを示しています。つまり、ラットが正常視覚環境下で育った場合には、目から強い視覚入力が入るためeCBが産生され、抑制性シナプス(図1では緑の二股に分かれる突起の先端にあるシナプス)が正常に機能発達することが分かりました。
今後の期待
研究グループは、eCBによるシナプス長期抑圧が、抑制性シナプスの機能発達を抑えるのではなく、高頻度刺激に対するシナプス疲弊を減少させて情報伝達を安定化させる作用を持つため、機能成熟に重要であることを初めて明らかにしました。また、動物を暗闇環境で飼育し視覚刺激を遮断した状態に置くと、eCBが産生されないため、抑制性シナプスの機能発達が遅れることも明らかにしました。
抑制性シナプスの機能発達障害は、てんかんの原因や、さまざまな発達障害に関与することが示唆されています。今回、生後初期にeCBが不足したり、eCB受容体の機能が不十分になると、抑制性シナプスの機能成熟が障害を受けることを明らかにすることができました。今後、脳機能の発達障害のような障害の予防や治療薬の開発につながることが期待されます。