7.09.2014

断片的なものの社会学 第7回 他人の手


岸 政彦


第7回 他人の手


他人が嫌いで、ひとりでいることが好きだが、たまに、人の手が恋しいときがある。

*  *  *

見ず知らずの他人との身体的接触は、たいていの場合は苦痛をともなうものだ。都市で暮らしていると実感するのだが、人がいない空間というものがいちばん金がかかる。個室、グリーン車、ビジネスクラス、あるいはただ単に、テーブルとテーブルとのあいだにじゅうぶんなゆとりが確保されたカフェやレストラン。人がたくさんいるところで、人のいない空間を確保することが、いちばん金がかかるのだ。やっぱりみんな、他人の身体と一緒にされることが辛いのだ。

ときどき東京に出張したときの、あの電車の混み具合には、ほんとうに驚かされる。みんなよく我慢してるな、と思う。我慢しないと暮らせないので、我慢しないとしょうがないのだが。




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実際に身体的に触ることのほかにも、身体の動作を他人とむりやり合わさせられる、ということもまた、たまらなく不快だ。それはほとんど、むりやり身体的に接触させられることの嫌悪感と変わらない。

もう25年以上前のことだが、大阪でひとりで、いろんなジャズのライブハウスに通っていたとき、いちどだけ間違えて「シャンソン」の店に入ったことがある。演奏が始まってから、ああしまった、やってもうたと後悔した。しかも客が私ひとりしかいなかった。

それでも、客がひとりのこの状態で演奏の途中で店を出るのは失礼だと思って、しばらく我慢して聴いていると、あの独特のヒラヒラしたドレスのボーカルのおねえさんがマイクを持って、歌いながら、こちらに近づいてきた。そして、

「おー、シャンゼリゼ」

と歌ったあと、マイクを私に向けた。私にも「おー、シャンゼリゼ」と歌えと言っているのだ。まだ18そこそこだった私は、若すぎて、そんなことができるはずもなく、おそらくは顔を真っ赤にして、無言のまますぐに店をとびだした。

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もう46歳になって、そういう無駄な自意識とはようやく無縁になれたので、いまだったら恥をかなぐり捨てて大きな声でわざと楽しそうに演技して歌っていると思う。

その前に、もうシャンソンの生演奏をする店も、ほとんど残っていないのだが。

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沖縄で長いこと調査をしたり、ただ飲みに行ったりしているのだが、いまだに「カチャーシ」という習慣が苦手だ。宴会のときに、三線(さんしん)をもちよって、泡盛を飲みながらみんなで沖縄民謡を歌っているうちに、自然とみんなで立ち上がり、輪になって踊る、ということが沖縄の飲み会ではよくあると言われていて、この踊りの輪のことをカチャーシと呼ぶのだが、これがほんとうに苦手だ。

それは沖縄の伝統的・民俗的な、長く受け継がれてきた文化だと言われているのだが、私が地元のふつうの人びとと飲んでいるときに、カチャーシになんか、なったことがない。おそらくもうそれは、よっぽどのお祝いの場か、特別の場所でしか見られないものになっていると思う。

いままでそれを見たのは、ほとんどが観光客向けの居酒屋か、「多文化共生」をうたうような人権イベントでしかない。そういうときのカチャーシは、人工的な、「お約束」としておこなわれるもので、参加者たちはなかば強制的に踊らされる、とても辛いものだ。みんな楽しそうなフリをしているが、ほんとうは苦手なはずだと思う。でも「せっかく沖縄に来ているのだから楽しまないと」とか、「沖縄文化を尊重しないと」という真面目な気持ちでやっているのだろう。

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このように、他人と一緒になる、ということは、とても嫌なものだ。

だが、しかし、他人に身を預けること、他人に身体を触られることの嫌悪感を強く感じながら暮らしていても、あるとき偶然に差し伸べられる他人の手に、救われることがある。

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すでに何度も書いているが、とてもささやかなものではあるが、私はひとの生活史を聞くことを仕事にしていて、ときどきインタビューをする。インタビューと、息をとめて海に潜ることは、とてもよく似ている。ひとの生活史を聞くときはいつも、冷たくて暗い夜の海のなかに、ひとりで裸で潜っていくような感覚がある。

待ち合わせ場所で会って、カフェなら飲み物を注文して、どうもどうも、お忙しいところを、などと決まり文句の挨拶をかわし、世間話から始まって、あるところで、最初のひとつの質問が発せられる。

──「お生まれは?」

そこから、短ければ1時間、これまでもっとも長かったのは、3日間にわけて8時間、というものもあったが、たいていは2時間か3時間、ひとりのひとの生い立ちから現在にいたるまでの物語を聞く。




最初の質問はだいたい決まっていて、生まれた年や場所のこと、あるいはいまのお仕事やご家族の話から始めることもあるが、いずれにせよそれは、普通の、ありきたりな言葉から始まる。

最初の質問のあとに、それに答えるかたちで、最初の語りが生まれる。すると、その語りが、思ってもみなかったような次の質問を生み出す。そしてまた新しい語りが生まれてくる。

始まりはどれも似たような質問なのだが、5分と経たないうちに、すべての生活史が、はじめて聞く、まったく新しいものとして、姿を現してくる。2時間も経つころにはそれは、複雑なサンゴ礁のような、巨大な迷路のような、全体を見渡すことができないほど大きなものへと変わっていく。

そしていつか聞き取りは終わる。ありがとうございました、と挨拶を交わし、連絡先などの事務的なことをいくつか伝えて、カフェの支払いを済ませ、それぞれまた他人に戻って、別々に店から出ていく。

数時間ぶりに我に返ってまず感じるのは、いつも、強烈な孤独感である。数時間を他人と人生を共有したあとだから、よけいにそうなのかもしれないが、むしろ私は、この感覚は、人ひとりの生活史というなにかとてつもなく大きなもののなかを旅した後に感じるものだと思う。私は、我を忘れさせる長い旅のあとで、「この私」のなかに戻ってくるのである。

*  *  *

インタビューの最初の質問は、海に潜るときの、最初のひと息に似ている。シュノーケルで浮いている状態から、深く空気を吸い込んで息を止め、お辞儀する要領で頭を勢いよく水面下に潜らせて、足を後ろに高く反らせ、そのまま一気に下まで沈んでいくときの、あの感覚。私は語りに導かれて、深い海の底まで沈んでいく。息を止めて潜っても潜っても底が真っ暗で見えない。

そして、聞き取りが終わると、ゆっくりと水面に浮かび上がっていく。水面から顔を出して、大きく息を吸い込んで気がつくと、たったひとりで夜の海に浮かんでいる。こうして、私は「この私」に還ってくる。

そして、そのとき、とてもさびしい気分になる。

*  *  *

聞き取りが終わって、そういう気分のときに、たまにマッサージ屋に行くことがある。那覇と、地元の大阪で聞き取りをすることが多いが、大阪で聞き取りをしたあとは、いつも行く店が決まっている。それは私の家の近所にある、このあたりではいちばんの老舗の大手で、値段も安く、数多いスタッフも上手だ(たまにハズレがあるが)。いつも行くときはここと決めている。とくに、時間があえば、店長のHさんを指名して1時間半じっくり揉んでもらう。

Hさんは台湾人の中年の男性で、たくましい腕と禿げた頭と、そしてありえないぐらいふさふさに生えた鼻毛が特徴である。あれぐらい堂々と生えていると、鼻毛とわかっていてもまったく気にならない。そして何より、Hさんは、ゴッドハンドの持ち主である。下だけジャージを借りて履き替え、マッサージ台の上にうつぶせになって、バスタオルをかけられ、ぐいっと左腰と右肩を同時に上から押されただけでもう、ああこの人は上手いな、とわかる。

全身を揉まれながら私が感じるのは、この私の身体の、境界線である。マッサージというものは、外部の世界とこの私とのあいだにある「国境」を確定し、再確認する作業であると思う。頭の上からつま先まで、万遍なく人の手によって揉まれながら、私は私の身体の大きさや、形や、温度や、固さを感じる。それは自分ひとりの手によっては感じることができない。その作業には、どうしても他人の手が必要なのだ。




*  *  *

つい先日、短期間のうちにふたりの他人を抱きかかえた。

那覇で路線バスに乗っていたときのことだ。前方にむかって左側のいちばん前にいつも乗る。景色がよく見えるからだ。運転手の真横で、料金箱と出口ドアのすぐ後ろになる。

ひとりのかなり高齢のおばあ(沖縄でお婆さんをこう呼ぶ)が乗ってきた。沖縄のバスはのんびりしていて、ちゃんとおばあが席に座るまで発車しない。ずっと待っている。おばあがゆっくりと席につくと、ゆっくりとバスが発車した。

バスはしばらく、那覇の街をのろのろと進んでいた。あるバス停で、そのおばあが降りようとした。前方の降車用のドアから降りようとするのだが、足が悪く、旧型の車両の高いステップを降りることができない。

降車ドアのすぐ横で座っていた私は、席を立って、先に降りていって、下からおばあの腕をとって補助しようとしたのだが、それでもそのステップを降りてくることができない。

私は無意識のうちに、まごまごしているおばあの両脇の下に両腕を差し込んでよいしょと持ち上げ、バスから降ろして路上に立たせた。

おばあは目を丸くして笑っていた。

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それから数日後、ある街の(おそらくかなり重大な規則違反なので、どこの街かは伏せておく)地下鉄のホームで、乗客の男性が線路にスマホを落とし、それを駅員のおっちゃんがマジックハンドで拾おうとしていたが、小さくて薄っぺらくてツルツルしているスマホは、そのマジックハンドで掴めない。

かなり長いあいだ駅員さんは格闘していたが、業を煮やし、マジックハンドを捨てると、電車の到着案内の電光掲示板を見た。そして、次の電車はしばらく来ないと判断したのだろう、とつぜん自ら線路に飛び降り、そのスマホを拾って、驚いている男性にホームの下から手渡した。

ところが、そのあと、ホームに登って戻ってくることができない。ホームに手をつき、何度もジャンプしているのだが、足が届かない。

私は反射的に走って近寄ると、ホームの端にしゃがみこみ、駅員のおっちゃんの両脇の下に両手を差し入れて、うりゃあ、と駅員さんを持ち上げ、ホームに引っぱり上げた。

一週間ぐらいのあいだに、二人のひとを抱きかかえ、ひとりは抱え下ろし、ひとりは抱え上げた。幸せな体験だった。

身体接触はもちろん、他人と身体の動きを同期させる程度のことにすら、ふつうは強い苦痛をともなうのだが、予期せぬかたちでふと他人の身体に触ってしまうことがあり、そしてとても不思議なことだが、それが強い肯定感や充足感をもたらすという経験が、ごくたまにだが、ある。

*  *  *

誰の本だかマンガだかブログだか、どこでいつ読んだかも忘れたが、高齢者が「病気でもないのに」医者に行くことの理由のひとつに、「触診で肌を触ってもらえるから」というのがあって、「病気でもないのに」というのはよくあるラベリングで現実と異なると思うが、それでも「高齢になってくると、医者でもいかないと、肌を直接触ってくれる他人がいなくなってくる」というのは、なるほどそういうものか、と思った。

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昭和の子どもだったので、小学校のときに習字やらそろばんを無理やり習わされていたのだが、習字の先生が後ろから手をもって一緒に書いてくれるのが好きだった。いつも頭皮に鳥肌が立つほど気持ちよかった。もちろん性的なこととはまったく関係がない。ただ、他人からやさしく触ってもらえるということの、根源的な気持ち良さを感じていたのだ。

くり返すが、他人との接触は基本的には苦痛だ。しかしたまにそれが、とても心地よいものになることもあり、そのことをほんとうに不思議に思う。




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中学校のときに市民プールで溺れかけたことがある。あっと気がついたらもう足のつかない深いところまで来ていて、泳げない私はパニックになり、必死に手足をばたつかせたところまでは覚えているが、あとは記憶がない。意識が戻ってみると、プールサイドで横になっていて、まわりには心配そうに私を見下ろす大勢の大人のひとたちの顔があった。

ライフセーバーのスタッフが助けてくれたそうだ。真夏の青い水の底に沈んでいく私の身体に手を差し伸べてくれたひとがいたのだ。それで私は、あの夏に死なずにすんだ。あのとき私は、泡が弾ける音だけがくぐもって聞こえる水の中で、誰だかわからない命の恩人から、「土偶と植木鉢」を手渡されたのだと思う。





写真:西本明生( http://akionishimoto.com/


著者紹介
岸 政彦(きし・まさひこ)

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(続く)