http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20140619/267128/
善悪や正邪とは別に、「本音」と「建前」という座標軸が現れた時、無条件に「本音」を神聖視する考え方が力を持つに至る。と、ここにおいて、「露悪的な人間ほど信用できる」という倒錯が生じる。つまり、より残酷で、より差別的で、より無遠慮で、より助平で、より欲望丸出しなご意見を申し述べる人間だけが「本当のことを言う人」として信用されるみたいな、黒魔術の秘密結社みたいなものが誕生する
あるタイプの人々は、邪悪な言葉の中にだけ真実を発見する。だから、理想を語る人間や正義を語る政治家を、嘘つきと見なす。ということはつまり、彼らは、理想を実現したいのではなくて、単に世の中をひっくり返したいのかもしれない。
露悪的なキャラをまとったり汚い口調でないと語れないホンネなど何の価値もない
要するに、そのタイプの男たちは、誰もが「本音」を最重要視しているということだ。彼らは「本音」が、まさに「本音」であるそのこと自体によって免罪されるはずのものだということを強烈に信じ込んでいる人々だ。
「だって、これはオレの本当の気持ちなんだから」「不潔もなにも、それが現実だろ?」「理屈はともかく、事実は事実だろうが」といった調子で、彼らは、世が世である「現状」と「帰結」を、その「悪辣さ」や「残酷さ」や「不正」や「不平等」も含めて、もののみごとに全面肯定してしまう。ついでに、自分の「欲望」や、「偏見」や「差別感情」にも、あっさりと承認印を押す。
http://fujipon.hatenablog.com/entry/2013/10/18/141348
それ本音なんかじゃない。
彼らは、本来なら、自分のような血も涙もある生身の人間が語るナマの本音は、もっと尊重されてしかるべきだと自負している。自分は自らの気持ちに正直なだけで、口のきき方やマナーにはもしかしたら若干の問題があるかもしれないけれども、人間として、男としての生き方について言うなら、それが間違っているなどということは、ひとっかけらもあり得ない、と、考えている。