ここ最近、SNS上では政治問題が盛んだ。
特に集団的自衛権は賛否分かれ甲論乙駁である。
正直言うと、私は皆様ほど政治に詳しくもないし、関心も薄い(ごめんちゃい)。集団的自衛権は右派、左派の双方に思惑や偏った見方があり、どれが正しいのか正直分からない。
ただ、私の中で一つだけ明確なものがある。平和の定義だ。平和とは「この世から武器と差別が無くなり、各国が自立して支援し合える状態」。
集団的自衛権があるほうが戦争は起きないとか、ないほうが起きないと双方それぞれ論はあるだろう。だが、私は戦争がない状態を平和とは呼ばない。大切なことなのでもう一度言う。「戦争がない=平和」ではない。
195か国が核兵器や武器を所有していつでも戦争できる状態を平和と呼びたくない。喩えるなら、人口195人の村で村人全員が武器を所有して互いに銃を持ち向け合い「打ったら撃つぞ」という状態だ。確かのその状態は“戦争は起きない”かもしれない。
世界の飢えが救えるほどのお金を先進国は毎年のように軍事に投入して「平和維持」と謳うことに、私は以前から違和感を覚えている。それが本当に平和なの?っと。
何度も言うように、私はそんな状態を平和と呼びたくない。このように、「戦争が起きない状態にする」と「平和にする」は、方向性も帰結も違う。
こんなこと言うと、「コイツなに平和ボケしたこと言ってんだ。そんなのは、頭にお花畑が咲いている奴の絵空事だ」と言われるだろう。その通りだ。究極の理想論だし、現実的ではない。だが、私は思う。政治が理想を失ったら終わりではいのか。
確かに現実的な問題に対処することは大切だ。しかし、それだけが政治の仕事なのだろうか 世界が目指すあり方だろうか。誰か一人ぐらい、馬鹿だと笑われるような究極の理想を掲げる人がいてもいいんではないか。まぁ、いまの政治家には見当たらないが。
「どうしたら戦争がなくなるのか」ではなく「どうしたら平和になるのか」と考えるのが大切かと私は考える。二つは似て非なるものである。
何か考える足しになれば幸いです。