京都地方には江戸時代に「間口税」というものがあった。
家の間口3間(約5.4m)ごとに税金をかけるというもので、
いきおい間口を小さくして税金を少なくしようとするのは、
いつの時代も変わらぬ庶民の知恵。
京都の町屋が「うなぎの寝床」
《間口3間(約5・4メートル)、奥行き11間(約20・0メートル)》
のような細長い造りになったのは間口税っていう税金のせい。
中世のオランダでは、窓の数を基準とする「窓税」があり、
これが発展?して間口税へと。
やはり、オランダの家も、間口が狭く、奥行きが長い造りになっていった。
外から見ただけでは家の構造がわからず、
奥のほうに秘密の隠れ部屋を造ることができる構造に。
京都
鈴鹿市石薬師旧街道
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間口税(棟別銭・・・むねべつせん)
間口(家などの正面)つまり、玄関の広さに応じてかけた税金です。
江戸時代の天明年間(天明6年)に、幕府の歳出を賄う為、田沼意次により
全国御用金税という税を考え、百姓(百石当たり)、町人(家の間口一間当たり)、
寺社(格式に応じ)に満遍なく課税されました。
このため、町に住む町人はなんとか負担を少なくするため、
間口を狭くし奥行きが長い町家が各地にできました。
特に、京都ではそれ以前にも、このような間口税というものがありました。
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中世のオランダには、窓の数を基準として税を課す窓税というものがあった。
16世紀に、これが間口税という税になった。
そのため オランダでも うなぎの寝床 のような建物が建ち
中の構造が わかりにくくなった。
アンネ・フランクが隠れひそんでいたのもこのような部屋。
戦争の悲惨さを教えてくれる名作「アンネの日記」が誕生したきっかけのひとつは
窓税 という税金だったって訳。
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ベトナムでは今でも間口の幅で税金が決まるそう
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江戸時代、浪速の大阪より京都を嫌っていた三代将軍家光によって
店の間口の広さに応じて税金をかける「間口税」が導入されたことによる。
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フランスにも戸窓税が。
1789年のフランス革命後に創設された税金で、
戸、門、窓の数によって税金をかけたもの。
第一次大戦まで100年以上も続き、
一定の税収を確保し続けた。
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熊本県山鹿温泉
酒蔵では試飲や資料館見学を
幕末創業の木屋本店では、間口税の時代に建てられた商家の姿が愉しめる。
の記述あり。
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新聞記事文庫 道路(02-070)
時事新報 1920.5.2(大正9)
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沿道住民から間口税を徴収
路面改修費の二割を捻出する当局の予算
近く市参事会へ提出
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東京市では愈々本年度から五千三百万円の予算で、市内六間幅以上の路面を改修する事になって居るが、是に対する国庫補助が、三分の一となったので、是が財源の一部として路面改修によって尠からぬ利益を受ける沿道住民に対し、一時負担金即ち間口税を課する事となり、同条例及び施行細目は目下頻りに当局に於て制定中である、右に就き市当局では語る「一般附加税の増徴以外に新税を課す事になると新たに是に対する条例の制定を必要とするので、目下是が起草を行って居る、路面の改修によって、利益を受く可き沿道住民に対しては、路面の改修費の二割を、間口の間数に応じて徴収しようと云うのである、而してその金額は路面によって、工事費が違うから、同じ間口でも課税額が違って来る訳である、尚お右は一時負担金であるが、多分一時で無く、是を分納する事に決る筈である」

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