温泉卵が作れない

知らないことと知れないことの狭間に妄想をめぐらして

日々の学習 〜 ヘンな鳥編 〜

 

 

 幼いころ桃太郎の話で、きび団子の持つ交渉力と同じぐらい不思議だった

 

のは、持っていた絵本のあちこちに同じ向きで登場した赤顔のソレだった。

 

ソレはカモメ、鳩、九官鳥など私の知る鳥からあまりにもかけ離れており、

 

おまけに大人がソレは「ケンケン」と言いながら走るんだよと教えてくれて、

 

「でもとりなんでちょ?」と何度も聞き直したものだ。

 

 時は流れ去年の今頃、私はついに本物を見た。ソレは、東京ドームが何個

 

入るとかいう計り方ができるほど広大な畑の脇の小道を、穴をよけながら車

 

でのろのろ走っている時に目の前に現れた。夢のような色彩に置物のような

 

目つき、動きもゼンマイ仕掛けかのような大げさなターンの仕方で、道端の

 

小薮に戻ろうとしていた。ええっ、コレでも鳥!? もういい大人だがそう

 

思った。60 ㎝ はありそうなまっすぐな尾が固そうだった。

 

 

 

 その日から時折奴を見かけるようになった。どうしてなのか、道の中程か

 

ら薮に向かってターンしている場面ばかりに出くわした。ヘンな奴だ。一度

 

はちょうど美しい音楽をボリューム一杯で聴いている最中だったので、停車

 

してウインドウを降ろしてみた。薮に向かう奴の足取りが一旦止まり、また

 

ひょくりひょくり歩き出したが、薮の入口に着くなり首をかしげて聴き入っ

 

とった。置物のような目が少し怖かったが聞き惚れているのはひしひしと

 

伝わってきた。もの悲しい旋律のアリアが終わると、奴は無言で薮に消えて

 

いった。

 

 

        
         Addio del passato Renata Tebaldi La Traviata ...

              ちなみにこの曲でした

 

 

 

 しばらくすると雌が加わった。私の中で奴はすっかり特異希な一固体だっ

 

たので、かなり驚いた。数週間後もう一羽、幾分か体の小さい雌が加わった。

 

薮の中でヒナからここまで育ったんやろか。彼らの背景にはいつのまにか、

 

濃い緑の麦系の植物が一面に茂っていた。

 

 そしてある日、奴が消えた。二羽の雌は奴ほど道路に出てくることはなく、

 

いつも道端の草かげで何かしていた。音楽は聞かせてみたが反応なし。そこ

 

でぼーっと畑を眺めながら考えた、さては奴、ターンできなくなってしまっ

 

たのではと。彼の立派な固い長い尾でこの丈夫に育ったライ麦かなんかの茂

 

るラビリンスに入り込んだが最後、直進しかできなくなったのではと。畑の

 

向こうに見える森は遠い − 事故に遭ったのかも、猟師に撃たれたのかもと

 

という可能性に気づかぬ振りをしたかっただけかもれないが…

 

 

 

 季節は変わり収穫も終わり、刈られた稲が黄色く短く残っていた。すると

 

奴が戻ってきた。ケンケン言いながら不本意に残した家族の元へすっ飛んで

 

来たのだろうか。けど何日たっても彼は独りのままだった。冬が来て冬が去

 

り、春が来た。この鳥、西洋美術では『飛び去っていった心』の象徴である。

 

母子がまさかそれを知っていたとは思えないが、待てなかったんか。それと

 

も奴を追いライ麦の林に突入したはいいが、角度を誤り別世界にたどり着い

 

てしまったのか。私の妄想は、ここスタート地点からライ麦畑に描くことの

 

できる放射線の数ほど広がる。

 

 そんな一妄想人間の想いをよそに、奴は今日も路上でターンを繰り返す。

 

ヘンな奴。て、車止めてニヤけている自分もちょっと… いや我々には七夕

 

なんてロマンチックな寓話を生む文化もあるわけで、こうして運命のいたず

 

らに引き離された愛するもん同士のもしやかの再会に、胸膨らませているわ

 

けだ。毛布もちゃんと車に積んである。 …そろそろ日が落ちる。

 

 

 

 また一週間ほど先の更新を目標に

 

                       2014年 七夕

 

                      温泉卵が作れない でした