富士通を退職して一年が過ぎて思うこと
序 このblogではあまり自分のことを書かなのですが、富士通株式会社を退職しておよそ1年が過ぎました(アバウトやなぁ)。思えばいい会社でした。特に人事総務部門の優秀っぷりは秀逸。今日はそんな富士通の思い出にフォーカスします。
破 パーソナルなことはSNSに書けよなぁって感じですよね。夏休みマンガ祭りのマジンガーZ対デビルマンみたいなものです、気軽に聞いてください。あっ、忙しい人はもう帰っていいですw。
私が富士通を退社したのは早期退職の募集がに応募してのことです。募集があったのは2013年の4月。折しも富士通の業績が激悪の中でした。50歳以上の幹部社員(管理職)を対象として早期退職を300人募ったのです。勤続25年でしたが決意しました。最近、失われた10年が膨らみ、失われた20年と言われています。そういう意味ではサラリーマン人生のすべてが失われた日本のどまんなかにいたことになります。確かに難儀なビジネス状況でした。
私が入社した年、ちょうど工業所有権問題で富士通はAAAの裁定を受けた時期でした。IBMの汎用機のOSを互換機といって作っていたので、工業所有権の侵害が問題となったのです。この互換機ビジネスは「富士通の中興の祖、池田敏雄社長」がユーザの利益優先し独自路線から舵を切り始めました。この時点でのこの判断はただしい。しかし、今にして思い、かつ結果論で言うと独自路線を貫いたほうが良かったと思います。今となっては仮想化機構が全てだし。OpenStackとか言ってベアメタルすら仮想化される時代ですから。
それはそれとして、私が入社した頃はスーパーコンピュータが絶頂で富士通、NEC、日立の三社とアメリカのCRAYコンピュータと戦っていました。浮動小数点演算の性能指標値FLOPSで覇をきそっていました。それは今も同じか。富士通のスーパーコンピュータは前段にIBM互換のアーキテクチャのゲートウエイ機構を持ち、その後ろでベクトル演算器が動く構成でした。型番はVP。ベクトル・プロセッシングから来てます。
スーパーコンピュータでの演算はベクトル、つまり同時計算が主流でした。レジスタがたくさんあるCPUがいっぱいあるレジスタを一気に演算する感じのものです。今のマルチコアとはちょっと違う感じでね。加えて、コードがスワップアウトを抑制するなどドンと動かせるための工夫がありました。プログラミングはVP-FORTRANというFORTRAN77をベースして今のJavaのアノテーションのようなものをつけたものを使いました。ベクトル演算は普通にDOループ(Javaでいうforループね)で書き、条件が合致すれば、ベクトルコードにコンパルされました。高速化はどちらかと言うと、楽ちん。今の人達がマルチスレッドで汗をかいているのを見るとかわいそうに感じます(スパコンの話、長いなぁ)。
言うまでもないのですが、富士通はコンピュータハードのメーカーです。というか、いろいろなコンピュータサービスを抱えてしまったハードメーカです。なので社内の制度もハード製造の文化がドカンと中央に居座ります。SEの徹夜勤務とかもラインの三交代制のレベルで眺めるので、やりづらい。パッケージ開発も、ビジネスプランをしっかりやるので、スタート時点から割と厳しめになりがちです。ビジネスプランを立てるためにEXCELを睨んでいる間に、海外から新しくて強いソフトがやってきたりと、かなかなか難しい感じでした。
そうこうするうちに、SEのビジネスも拡大し、コンテンツビジネスを試行したり、アウトソーシングビジネスがはじまり。いまや、IaaSやSaaSをやるに及んでいます。事業を拡大したといえばそうだし、みんな頑張っているのですが、SI屋からするとハード部隊があるというのは、良い悪い両面あって難しいのです。一旦ニュートラルにして考えなおしたほうが良いのではないかと今でも思っています。
逆にハード屋の立場に立ってみると、こんな感じではないでしょうか。日本の産業を振興する役割を担い、コンピュータハードウエアビジネスを開始した。しかし、誰も自分たちのハードで動くソフトを作ってくれない。しょうがなくベーシックを作る部隊を作り抱える。システムも同じでだし、アウトソーシングもそうだ。なぜ、こんなに色んな物をやってやらなければいけないのか。ハード屋として全部切り捨てたいと、思ってるはずです。好き好んで事業拡大したというより持たされているという感覚がつよいのではないでしょうか。会社が大きくなると余計な期待を持たれるから大変です。
そんな富士通ですが、おもしろ傾向があります。日本の弱電が調子が悪いのが一年遅れでやってきます。なので、富士通一人勝ちと語られる年の次の年に必ず凹みます。今回も、その流れでした。そして、この失われた20年で富士通は人口ピラミッドがおかしくなり、ヘッドヘビーになっていました。それを、事業立て直しと同時に是正したいというのが今回の早期退職募集の動機です。
私は乗りました。これがなくても色々思いがあり、早期退職したかった。会社が提示した条件は60歳定年と同程度の退職一時金の支給。募集の動機(人口ピラミッドの是正)も納得感がありました。大恩あると言うと大げさですが、恩返しするつもりで応募しました。私は当時51歳。募集に最も応じてほしい年齢だと思います。
退職は約一ヶ月で決定し、300人の応募におよそ500人集まったようです。その後、早期退職の応募者への説明会があり、退職後の不安事項がきめ細かく分析されていて、それぞれの心配事に対して人事総務部門から説明とサポートがありました。実は今回このエントリを書くにあたって最も強調したかったのが、人事総務部門が優秀だということです。富士通の間接部門は優秀です。マイオフィスという人事総務のシステムを外販したり、人事総務部門を外販可能なサービスセンタ化したりとか、アグレッシブに行動をするし。実際売れるほど優秀です。やることがきめ細かくて正確。かつ合理的で無駄がない。このおかげで退職後もなんの混乱もなく今まで過ごせてこれました。退職時点での射出のやり方が良かった、つまり計画が綿密だったのだと思います。社内の人口ピラミッドの是正がしたいのであれば、富士通に見積もりをとってみてはどうかと思います。格安で(思っきり高いという意味です)やってくれると思います(笑)。
離 富士通にいた頃、富士通を辞めていった人から富士通は立派な会社だ。他所で勤めてみるとそれがよく分かると聞きました。私は勤めていないので比較もできないのですが、再就職活動を通じていろいろな出会いを通じて良さは実感出来ました。日本のIT業界のエコシステムの頂点に君臨するだけのことはあります。もしまんがいち、社長に合う機会があれば握手をして丁寧にお礼が言いたいと思うほどです。
Categorised as: opinion