第13部・避難の死角(6完)残留/「逃げない選択」放置

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第13部・避難の死角(6完)残留/「逃げない選択」放置

寿子さんの遺影を前に、事故後の生活を振り返る巨子さん(左)と晋さん=福島県楢葉町

<畳の上でみとる>
 原発事故に備える避難計画は、最大目的の「いかに逃げるか」だけで十分とは言い切れない。「逃げない」選択への目配りも忘れてはならない。
 「放射能の恐怖より、母に長生きしてほしいという思いが強かった」
 福島第1原発から19キロ離れた福島県楢葉町山田岡。伊藤巨子(なおこ)さん(65)は原発事故後、夫の晋さん(61)と自宅にとどまった。20キロ圏を対象にした強制避難を拒む決断をした。
 同居していた母の高原寿子さんは寝たきりで、介護が必要だった。「無理に移動させれば命に関わる」。事故翌日から町や警察に避難を求められても断り続けた。
 町で20キロ圏内に残ったのは伊藤さん一家だけ。電気は通っていたが、水道やガスは途絶えた。町から特別に通行証の発行を受け、いわき市などで水や食料を調達した。
 寿子さんは2013年春、住み慣れたわが家で94歳で亡くなった。巨子さんは「畳の上でみとる約束を果たせた。後悔はない」と言い切る。

<政府対応に疑問>
 「残留は自己責任」と語る巨子さんだが、政府の対応に疑問を抱いたことがあった。事故1カ月後に計測した玄関の線量は毎時0.5〜1.0マイクロシーベルト程度。避難区域にならなかった白河市中心部などと大差はなかった。
 巨子さんは「なぜ原発からの距離で避難地域を線引きしたのか。一人一人の判断を尊重してほしかった」と指摘する。
 福島の事態を受け、原子力規制委員会は今後の重大事故時の対応について、原発5キロ圏では即時避難を求めることを決定。5〜30キロ圏は放射線の測定結果で地域別に判断するとして「毎時20マイクロシーベルト超なら1週間程度以内に移転」などと定めた。
 基準の明確化に伴い、自治体内に残留者が点在する事態も想定される。原発防災を担う自治体は「屋内退避への支援も課題」(宮城県の担当者)との認識を示すものの、具体策の検討は進んでいないのが実情だ。

<弱者救済考えて>
 個人以外の施設なども非常時に地域にとどまる可能性がある。
 除染が進まず、全住民が避難生活を送る福島県飯舘村。原発の北西38キロに位置する特別養護老人ホーム「いいたてホーム」は、今も現地で事業を続ける。入所者の移動が難しいとして政府の特別許可を受けた。
 事故前に130人いた職員は次々と退職し、現在は64人に減った。全員が村外から車で長距離通勤している。人手不足の影響で、入所者も51人に半減した。
 周辺に同種施設はなく、村内外の高齢者約50人が空きを待つ。原発事故を経ても、地域に欠かせない施設であることに変わりはない。
 「原子力災害から弱者をいかに救うか。行政は事前にしっかり考えてほしい」と三瓶政美施設長(65)。避難計画の策定すら進まない今、福島から発せられたメッセージが重く響く。
(原子力問題取材班)


2014年07月09日水曜日

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