北京郊外で日中両軍が衝突し、全面戦争のきっかけとなった盧溝橋事件から7…
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北京郊外で日中両軍が衝突し、全面戦争のきっかけとなった盧溝橋事件から77年。その記念日だった7月7日に、盧溝橋にある中国人民抗日戦争記念館で習近平(シーチンピン)国家主席が出席して大規模な式典があった。
毎年恒例の式典だが、最高指導者が演説するのは異例だ。「侵略の歴史を否定、歪曲(わいきょく)、美化しようとする者を中国と各国の人民は決して認めない」と習主席は述べた。安倍政権への批判であることは明らかだ。
中国共産党政権は90年代以降、「愛国教育」を強め、日本の侵略史を学校で詳しく教え、各地に記念施設を整備した。
一方、そんな政権の宣伝とは別に、日本軍の侵略当時の生々しい記憶を持つお年寄りがいる。遺棄化学兵器の処理のように現在進行中の案件もある。
ただ、日中関係が良好なときに中国側が歴史を前面に押し出すことはまれだった。
07年4月、来日した温家宝首相(当時)が国会で演説し、日本政府が過去に侵略被害国へのおわびを何度も表明したとして「中国政府と人民は積極的に評価する」と明言した。
その翌年に来日した胡錦濤国家主席(当時)は早大で「私たちが歴史を銘記することを強調するのは、恨みを抱え続けるためではなく、歴史を鏡とし未来に向かうため」と述べた。いずれも抑制的な発言だった。
当時に比べ、習政権の歴史問題をめぐる日本バッシングは際だっている。露骨な政治利用の姿勢には首をかしげざるを得ない。だが、日本側が感情的に反発しても悪循環に陥るだけで、事態は解決には向かわない。
日本にとって、今の中国の最大の問題は海軍や空軍の拡張だ。これらの動きに真正面から批判を加えるべきときに、侵略の歴史を否定するような言動でやり返したらどうなるか。
中国は日本に「歴史修正主義」のレッテルを貼り、自らの軍拡を正当化する理由として利用するだろう。習政権の強硬派は勢いづき、対日関係を修復しようという声は小さくなる。
国家間に横たわる歴史は、どちらか一方が独占できるものではない。
盧溝橋事件が起きたとき、日中両軍はすでに一触即発の状態だったというが、実は事件後に停戦協定を結んでいた。現場、そして両政府内にも、事態の不拡大を望む人々がいた。
それがなぜ全面戦争化したのか。歴史にこだわるならば、検証に値する当時の経緯を、日中の共有資産とするよう目指せないものだろうか。
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