7,8年ぶり、2度目に東京を訪れた主な目的は就活だった。まるまる4ヶ月間の滞在を終えて振り返れば、むしろ他の部分で大きな収穫があったのではないかと思う。
そもそも就活には大してやる気を絞り出すことが出来なかった。働かないわけにはいかないから、仕方なく働こう……という程度の動機しか持てないでいた。これまでの傾向から環境を変えることが最も行動を変えることにつながることを学んでいたから、「就活のため」という大義名分のもとで場所を移動して退路を経つのが、しぶしぶでもやるべきことをやるために効率的だと思ってのことだったのだろう。
事実、東京に行ってからはそれなりに就活に対して意を注いだ。4ヶ月いたうちの3ヶ月間は、ほとんど就活だけをして過ごした。もちろん休みの日には遊びに行ったりもしたけど、それでも無理矢理にスケジュールを詰め込んで、ほぼ休みなく動きまわった。
なんとなく旅行が好きで、それは何故なのかを考えてみた。知らない土地に一人で取り残される不安と、良くわからないものに周りを取り囲まれることへの期待。そういう漠然としたものが理由なんじゃないかと思う。それで言うと、東京という土地は微妙なラインの上にあった。
旅行好きと言っても行ったのはほとんどが外国だ。言葉がわからないことで困ることは多いけど、俺はむしろ、それが好きでわざわざ身近な国内ではなく遠くの外国にまで足を運ぶのだろう。田舎モノの俺にとっては東京だって十分に異質な都市なのだけど、それでも言葉はわかるし、大した不安はなかった。ただ、漠然と、ここでなら今まで出来なかった体験が出来るのではないか、というような期待があった。
東京と地方で一番違うのは人の多さだ。産業や文化の集積のような多くの人にとって好ましい点も、通勤時間帯の満員電車のような多くの人にとって不快な点も、全ては人の多さによるものだろう。
早朝に新宿駅前で夜行バスを降りた時にも、やはり人の多さに驚いた。まだ朝早いのに、多くの人が行き交っていた。中学生の時以来の渋谷駅ハチ公口前の人の多さには圧倒された。知らない土地で他人とすれ違うのが俺は好きだ。彼ら一人ひとりが、それぞれの生活を持っている。同じ場所を歩いていても、独自の背景によって立つ全く異なる世界を見ている。なんとなくそういう感覚を覚える。そもそも話す言葉すら異なる外国でこそこの感覚は顕著だけど、流石にアホほど人で埋め尽くされた東京に一人でいると、近しい感覚があった。
冒頭に書いた「その他の部分」ってのもやっぱり人の多さ故のものだった。物心ついた頃からインターネットがあった世代として当然のようにネットに入り浸っていたけど、だんだんとSNSがネットの中心になってくるにつれて、ネットを利用するにあたって地方在住が不都合であることを認識するようになった。リアルとネットはそもそも分断されたものであるという認識は間違いで、その2つがシームレスに繋がる環境もあるということを知るのは、情報の回りが早いネットを使っている以上は自然なことだった。
ちょうどはてなブログやTwitterのように、完全な匿名ではなく個が認識されるようなコミュニティに属すようになっていたから、人が多い東京に出てくるにあたって、ネットにかける期待は自然膨らんだ。ほとんどが一方的にでしかないけど、会ってみたい人はいくらかいた。結果としてその期待は成就した。はてなブログやTwitterをやっていたことと、ありがたくもそこで俺の相手をしてくれていた人たちには本当に感謝している。
東京に行った次の日にはネットで知り合った3人と上野動物園に行ったりして、就活をしながらも多くの人とネットを起点としてリアルで会うことが出来た。ネットの知り合い経由でそれまで全く関わったことがなかった人と会うことも多くあった。
なかでも、はてなブログで知り合った人と実際に会うことが出来たのは、俺の中でとても大きかった。
以前の日記にこんなことを書いたことがあった。
ファーレンハイト(id:fahrenheitize)さんもブクマしてくれていた。ありがたや。「あとで」と書いていたけど読んでくれたのだろうか。まさか自分の日記を彼に読まれる(かもしれない)日が来るとは思っていなかった。そんなに大仰なことではないだろうけども、少し嬉しい。読んでもらったついでに、弟子入りさせてくれねーかなと思う。何せ俺はモテない。彼ほどの男の手にかかれば、俺の非モテも多少はマシになるのではなかろうか。俺みたいな拗らせ系男子()を更生させる程度きっと朝飯前だろう。
これを書いた時の俺は、まさかこれが実現できるとは思っていなかった。俺のようにシコシコ個人的なことだけを書いているブログと、一部界隈とは言えネットで注目を集めるブログとでは、同じはてなブログのプラットフォーム上にあってもまるでものが違う。そういう人たちは「別の世界の住人」であって、「雲の上の人」であって、まかり間違っても俺みたいなのは近づくことすら出来ないと思っていた。でもその認識は間違いで、結果上に引用した内容は実現した。
もちろん、ほぼひとりごととはいえ、相手の目に触れる可能性がある形でアプローチをしたことは大きかったのだろう。それは先日我が敬愛する師匠ことファーレンハイトさんが『grshbくんという大学生のこと、東京のこと - Asobi.』に書いていたことを読んでも明らかだ。泡沫のようなものとは言えブログを書いていたこと、そしてその中で一応は他人に働きかけていたことは大いに役に立った。そしてなによりも、俺は運が良かったのだろう。
彼と実際に会えたことは、俺が東京で得た中で最も大きな成果だ。大げさな言い方をすれば、人生が変わった。
俺は彼にとにかく刺激を与えたいと思った。ワクワクして、いてもたってもいられない気持ちをふくらませてやりたいと思った。人は人によって刺激を受ける。変わる。それは自分では想像もつかなかったことを、腕を引っぱってもらうことで「あり得ることなんだ」と実感させてもらえるからだ
http://fahrenheitizep.hateblo.jp/entry/2014/07/05/110000
本当に、その通りだとおもう。それから、彼がこう思って、俺にいろいろ与えてくれたことを、本当にありがたく思う。どれだけ言葉を尽くしても伝えきれないくらいに彼には感謝している。こんな表現しか出来ないことを呪わしくさえ思う。彼は本当に、俺の腕を引っ張って、俺が今まで見たことのない世界に、自分が踏み込めるとは思っていなかった世界に俺を連れて行ってくれた。それが「あり得ること」だと実感させてくれた。
「運が良かった」なんて言うことは、彼のこういう気持ちを踏みにじるようで気が進まないけれど、でもきっと、俺と同じように「自分を変えて欲しい」と思っていて、でもそう上手くはいっていない人なんて五万と居るだろう。その中で幸運にも変容の機会に恵まれたことと、その機会を与えてくれた彼には、心の底から感謝している。気恥ずかしくて上の記事にはふざけたブコメをつけてしまったけど。ぶっちゃけ、どうやって彼に感謝を示せばいいのかわからなくて困っている。
彼も言っているけど、人に最も力強い変容をもたらすのは、やはり人だろうと思う。あらゆる経験に変容の可能性はあるだろうけど、その経験に人との関係性という側面が強くあるほど、人は変わることが出来ると思う。良くも悪くもではあるけど、絶対にそうだと確信している。そういう意味で、彼だけではなく、多くの人と現実に知り合うことが出来たことについて、本当に運が良かったと思う。東京で関わった全ての人に感謝したい。
『げろしゃぶお別れ会開催のお知らせ - grshbの日記』なんて事もあって、この時も本当にたくさんの人が来てくれたのだけど、結局印象や記憶に残っているのは全て人が中心だ。どこに行ったとか何をしたなんてのはおまけでしかない。東京は人が多いだけあって、そういう印象的な体験を得やすい土壌がある。「変化」とか「成長」なんて言うのは意識高い系みたいで嫌だけど、実際に重要なことだとは思う。その過程で他人の存在が重要なのは間違いない。その点で、東京という場所が都合の良いものであるのも間違いなく事実としてある。
唯一の心残りはあるけど(実はそれが就活に次ぐ東京へ行く目的でもあった)、それでもどうせ働くのは東京だし、今年の9月にもまた東京に行く。機会はいくらでもある。心残りになっている点でも、その他うまいこといった点でも、これから何かしらの進展を持たせて、少なくとも維持していくことが今の目標だろうか。
とにかく、一番は3月から6月の間、向こうで俺に関わってくれたすべての人、とくにファーさんへの感謝だ。ありがとうございます。