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開発ストーリー 第五話

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第五話

風雲急を告ぐ、意見衝突で一触即発の内紛状態に

SHマイコンの製品化を旗印に一致団結する開発グループ。しかし,さまざまな部署から急きょ集められたメンバから成るグループは「寄り合い所帯」としてのもろさも併せもっていた。SHマイコンの設計が佳境を迎える大切な時期になって,その団結にほころびが目立ち始める。開発グループの中心メンバである河崎氏と野口氏の対立が表面化してきたのだ。相次ぐ仕様の変更で,SHマイコンの開発計画は見直しを余儀なくされる。追い打ちをかけるように研究所の所長からも設計の変更を迫られる。

図1: SHマイコンの開発グループ

図1: SHマイコンの開発グループ
後列右端が河崎俊平氏と頻繁に意見を戦わせた野口孝樹氏である。

「もし本当だったら大変なことになるぞ」。河崎俊平氏は,その事実を山崎尊永氏から知らされた。
命令セットの策定と並行して,設計担当の野口孝樹氏はSHマイコンの具体的な回路設計を一人で進めていた(図1)。
その野口氏が,SHマイコンを*マイクロコード方式に基づいて設計していることが明らかになったのだ。

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悪夢再び

河崎氏にとってマイクロコード方式は,もっとも忌むべき天敵のような存在。そもそもSHマイコンを開発するキッカケとなったのは,「マイクロコードを使わずにすむRISCアーキテクチャで,マイクロコントローラを作ろう」と思い立ったことにある(1997年7月14日号の第1回を参照)。こともあろうに,そのSHマイコンがマイクロコード方式に基づいて設計されていようとは。
「マイクロコードを格納するROMの大きさ自体は大したことはない。しかし,配線が増える。動作周波数の限界も低い。ともかくワイヤド論理回路にしなければ始まらないと思った」(河崎氏)。早速,野口氏の説得に当たる。マイクロコード方式をなぜ使いたくないか理由をレポートにまとめた(図2)。

図2: マイクロコード方式を覆す

図2: マイクロコード方式を覆す
SHマイコンの設計をマイクロコード方式で進めていた野口氏を説得するために河崎氏が作った資料の一部。

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対する野口氏にも中央研究所のベテラン設計者としてのプライドがある。だまっては引き下がれない。「「何でも言われた通りにやらなければいけないのか」と野口氏は怒りだした」(河崎氏)。野口氏は当時をこう振り返る。「マイクロコード方式を採れば,より高度な設計技術を試すことができた(*注1)。研究所の研究テーマとしてうってつけだった」。
SHマイコンの開発グループ内に一陣の風のように巻き起こった対立騒動は,最終的には野口氏が折れるかたちで決着する。しかしそれまで二人の論争は,延々1カ月間も続いた

突然の設計変更

一件落着。しかし,平穏な日々は長くは続かなかった。息つく間もなく第2ラウンドのゴングが鳴る。
それは野口氏にとってはまさに寝耳に水とも言うべき出来事だった。1991年夏のある日,出社した河崎氏が野口氏に開口いちばん「積和演算の*スループットを4サイクルから3サイクルに変更したい」と申し入れたのだ。「3サイクルにすればハード・ディスク装置に使うDSPが不要になる」というのが河崎氏の主張だった。どうやら前日にあったユーザとのディスカッションから思いついたアイディアのようだ。
これが回路設計を始める以前のことならば大きな問題はなかったかもしれない。ところが,野口氏は,とっくに積和演算回路の設計を終えていた。もちろんスループットは4サイクルのままである。
この期におよんでスループットを3サイクルに変更するとは何事か。設計はやり直し。これまでの苦労は水の泡になる。開発計画自体にも影響をおよぼしかねない。野口氏だけでなく,開発グループの他のメンバにも動揺が広まった。
それでも河崎氏は意見を曲げようとしない。一方,マイクロコード方式をあきらめた野口氏も,今回ばかりは譲りたくない。意地がある。「まるまる一週間は喧嘩状態だった」(野口氏)。
しかしこのラウンドも河崎氏の勝利に終わる。回路設計への思い入れはだれも負けない野口氏も「ユーザのため」という錦の御旗を掲げられては太刀打ちできない。苦汁の敗北を喫した野口氏は,その後ほぼ1カ月間を積和演算回路の再設計に忙殺されることになる。

野口氏,直接指名を受ける

堂免氏は当初から,RISCアーキテクチャを採るSHマイコンの開発に好意的だった。その堂免氏のたっての願いだけに,頭ごなしに否定はできない。コンパイラの開発を円滑に進めるためにも堂免氏の協力が不可欠。かといって,いまさらレジスタの数を増やすわけにはいかない。もうチップの設計は終わっているのだ。
堂免氏は開発メンバのなかから野口氏を指名して説明を求めた。突然の指名に,野口氏は戸惑う。RISC型マイクロコントローラにとって高性能なコンパイラは命綱である。この開発は是非とも成功させなければならない。なんとしても説得しなければ…。中央研究所がある国分寺から,システム開発研究所のある小田急線の柿生駅までは電車を乗り継いで1時間以上かかる。野口氏の足どりは重たかった。
堂免氏と野口氏の話し合いは,朝9時から始まった。野口氏は堂免氏がコンパイラの開発時に想定するワークステーションやミニコン向けのプログラムと,SHマイコンが実行する組み込み向けプログラムの性質の違いをていねいに説明する作戦に出た。すなわち組み込み用途で使われるほとんどのプログラムの実行にはレジスタが16本あれば足りる,よりたくさんのレジスタを必要とするマルチスレッド処理は多くないといった事実である。
堂免氏がようやく16本のレジスタを備えるSHマイコン向けにコンパイラを開発することを承諾したときには,時計はすでに正午を回っていた。

晴れて全社プロジェクトに

開発グループにやっと吉報がもたらされたのは,「堂免事件」が一件落着した1992年2月のことである。SHマイコンの開発が社内で「特別研究開発プロジェクト」の第1号として認められたのだ。特別研究開発プロジェクトは,社内の複数の組織にまたがって横断的に研究開発を進めるための仕組みである。この制度によって,別の職場に籍を置いたままSHマイコンの開発に携わっていたメンバは仕事がやりやすくなった。それまでは,周りの同僚とは違う仕事をしていることで,肩身の狭い思いをしながらSHマイコンの開発に携わるメンバもいた。「研究所の同僚にSHマイコンの設計について気兼ねなく相談に乗ってもらえるようになった。SHマイコンの開発が,ようやく本業として認められた」(野口氏)。

ついに製造開始

1992年4月。開発メンバが待ちに待った日がついにやってきた。SHマイコンの最初の製品「SH─1」の評価チップが工場から届いたのだ(図3)。

ウエーハ
評価ボード

図3: SHマイコンが完成
SHマイコンの製造がようやく始まった。
写真はSH─1のウエーハ(a)と評価ボード(b)。

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第六話へ続く

(枝 洋樹)

*マイクロコード方式:
命令をマイクロプロセサの内部でマイクロコードと呼ぶ複数の内部命令に変換してから実行する方式。命令のデコーダ回路がボトルネックになって動作周波数を上げにくいという短所がある。

*スループット:
演算結果をレジスタに書き込む頻度を示す。スループットが3サイクルとは,3サイクルごとに演算結果をレジスタに書き込むことを示す。

*注1:
野口氏はマイクロコード方式を採ることで,当時一般的だったRTL(register transfer level)*1ではなく,より抽象度の高いビヘイビア・レベル*2に近い設計が可能になると考えた。

  • RTL(register transfer level)*1:
    回路中のレジスタ*3と,レジスタ間で実行する処理で記述する設計データの表現方法。
  • ビヘイビア・レベル*2:
    回路の外部入出力端子の定義と,回路全体で実行する処理で記述する設計データの表現方法。
  • レジスタ*3:
    マイクロプロセサの内部で,演算に使うデータや,演算した結果のデータなどを一時的に格納しておく高速なメモリ。レジスタに入りきらないデータはいったん外部のメモリに待避する必要がある。

出典

日経エレクトロニクス 1997年9月8日号開発ストーリ「SHマイコン開発-第5回」P147-150

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