訃報:ソ連最後の外相シェワルナゼ氏 正義追求の思い貫き
毎日新聞 2014年07月07日 20時26分(最終更新 07月07日 20時30分)
エドアルド・シェワルナゼ氏は旧ソ連最後の外相として、冷戦終結に大きな役割を果たした。現代史の紛れもない巨人だが、政治から身を引いた後の晩年は、時間が許す限り内外の記者らの取材に気さくに応じ、外相時代の話やソ連崩壊後に大国として復活したロシアとのつきあい方などを話した。穏やかな語り口には、「国際社会でいかに平和と正義を追求していくか」との思いが貫かれていた。
私も2008年9月にグルジアの首都トビリシの邸宅にシェワルナゼ氏を訪ねた。屋内を歩いて移動するのも難儀な様子だったが、にこやかに迎えてくれた。
当時、ロシアがグルジアに侵攻し、国が分断される事態となっていた。紛争に発展した背景についてシェワルナゼ氏は「モスクワの民族主義の高まり」を挙げた。ロシアと西側諸国との「新たな冷戦が始まろうとしている」と警告する一方、「大国ロシアと戦って勝とうと思ったグルジア側も間違っていた」と、紛争を回避できなかった自国を批判した。
驚かされたのは、日露間の北方領土問題について「個人的には日本の領土だと思う」と述べたことだ。「スターリンが対日参戦した時には日本は事実上敗戦状態にあった。ソ連の参戦は不要だった」というのが理由だ。「ゴルバチョフ時代に領土問題の存在を認め、私も外相として解決に取り組んだ」と、昨日のことのように目を輝かせて語った。
領土問題の解決は、日本にとっては「正義の回復」だ。シェワルナゼ氏はそれが自らの使命であるかのような話しぶりだった。
ソ連という国は、自国民の抑圧などさまざまな不正義を抱えた国だった。グルジア人のスターリンがこの権威体制の基礎を作ったが、シェワルナゼ氏は同じグルジア人として「正義の回復」の必要性を強く認識し、その実現へ向け、現実的に取り組む道を探ろうとしていたのだろう。
グルジアの03年の政変(通称「バラ革命」)では、デモ隊の乱入で国会議事堂から追い出され、辞任した。「辞任表明は流血を避けるためだった。今でもその判断を誇りに思っている」と語った。権力に執着しない人だった。【杉尾直哉】