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人の命は金になる『凶悪 ある死刑囚の告発』

 人を殺し、その命を金に換えるビジネスモデルが詰まっている。

凶悪 借金にまみれた人生の破綻者、家族からも見放されたリストラ対象者、土地つきボケ老人、生命保険に入っている死にぞこないを見つけてきては酒に溺れさせ、面倒をみてやり、小金を貸してやる。最終的には、土地や預金通帳などを手にいれ、土地は転売してサヤをとる。不動産がなければ保険金だ―――良心ないし魂を売り渡せば、数百万が億になる老人ビジネス。

 死刑囚が、獄中から、告発する。被害者は複数で、首謀者は娑婆にいる―――という話なのだが、設定だけ聞くと、よくできたフィクションだ。絞殺死体を焼却炉で燃やす件や、純度の高いウォッカを無理やり飲ませて殺す場面など、非常にフィクションであって欲しいのだが、恐ろしいことに、[上申書殺人事件]のルポルタージュだ。

 告発者は元ヤクザで殺人犯の後藤。裏切りか報復か、抑えた筆致でも骨髄まで染みる恨み言に、読んでるこっちまで"黒く"なれる。

一緒に大罪を犯した他の連中が、のうのうと社会生活を送っていることにもガマンならない。"先生"はもちろんですが、共犯の連中が、涼しい顔をして社会にいることに納得がいきません

 死刑を先延ばしにするための時間稼ぎか?悪質な嫌がらせか?記者の逡巡が手に取るように書いてある。現場を徹底的に歩き、関係者から裏取りを行い、可能性を一つ一つ潰していき、確信する。この告発は、本物だと。そして警察を動かし、"核心"に踏み込んでいく。

 人の命を金に換える"先生"と呼ばれる整理屋と、実作業を請け負う後藤。本書は、後藤の告発を具体化し、証言を集めて"先生"の行状をあぶりだす方式で描かれている。もちろん糾弾すべきは、この"先生"なのだが、明るみに出たからこうなったわけで、上手くやり続けているのであれば、こんな形で見ることはない。塀の中に落ちた後藤を、"先生"が見捨てたことが告発の原因であって、うまくすれば二人とも口を拭ったままだったかもしれない。世の中には、もっと上手くやれる人がおり、その犯罪は、ほとんど見ることはない。これは稀少な例なのだ。

 この二人の凶悪性に焦点を集めているが、"先生"に依頼をする方に、おぞましさと弱さを見た。たとえ家族を養っていても、事業に失敗し、借金を重ね、体を壊したら、その家族に廃棄物として扱われる。そして、家族に見捨てられるだけでなく、生命保険の生贄として、「合法的な殺し」を依頼されてしまうのは、あまりにも酷い。しかも理由がふるっている。このままだと借金で一家離散になる。生命保険の掛け金も払えなくなるから、早く死んで欲しい、というのだ。「働けなくなったら、迷惑をかけるようになったら、死ね」という、無音のメッセージに、ガツンと殴られた。この「家族」、自分の論理で人を死に追いやったり、あるいは反省して泣いたりと、ある意味「正直」で「善良」である。

 事実は小説を殺す。どんな三流小説よりも、やり口があからさまで、稚拙で、古臭い。にもかかわらず、立件し有罪にもっていくのに莫大な労力が費やされている。つまり、これぐらいの精度なら、逃げ切れるかもしれないというわけだ。もちろん、ほかの"先生"はまだ娑婆にいるし、「働けなくなったら、死ね」という家族はもっと沢山いる。そんな空恐ろしさを身近に感じることができる。

 スゴ本オフ「闇」で知った一冊。善人こそ、深く濃く救いがない。


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