中学進学後もお芝居を続ける道を選んだ私は、このころにはそこそこ大きな役をいただけるようになっていました。ゲスト出演とはいえ、その回の物語のカギを握るような割と大きな役柄を、演じさせてもらえるようになっていたんです。
ただ、このころいただいた役柄のほとんどは、陰のあるものばかり。虐待されていることや、学校でイジメられていることは誰にもしゃべっていなかったはずなのに…。母親から虐待されていた私には、隠し切れないような暗い陰があったみたいなんです。
やっぱり、マイナスの環境は黙っていても伝わってしまうものなんですよね。今になってみればこんなふうに理解できることでも、中学生の私には思いも寄らないので、「なんで暗い役ばかりなのかな…」と素朴な疑問を感じていたものです。ぶっちゃけて言えば、素直で明るいだけの役よりは、陰のある役の方が当時の自分自身に近かったので、お芝居はしやすかったんですけどね。
同時に、当時の私のなかで、お芝居の取り組み方に対して小さな変化が芽生えてきていました。小学生のときには「母親から褒められたい、認められたい」という一心で児童劇団に入団。お芝居することについての楽しみなんて全然なくて、ドラマやCMに出演することだけが目標だったんですよ。
それが、中学に進学してから少しずつですが、お芝居をしているときの場所こそが、自分の居場所なんだと思えるようになってきたんです。他人から見たら小さな変化かもしれないけど、私にとっては大きな一歩だったと思います。母親が私を虐待するときの「お前はダメなんだ」の言葉を信じ込んでいましたから、少しでも自分を肯定できる場があるだけで幸せだったんです。
中学3年生になると、もっと大きな朗報が待っていました。中学1年生の終わりごろ、当時の所属事務所がつけてくれた「遠野凪子」という芸名を、中学3年生になって初めて使えたんです。それが沢口靖子さん主演の「大家族ドラマ 嫁の出る幕」(テレビ朝日系、1994年7~9月)でした。私にとっては画期的な出来事だったんです。
芸名の正式決定は、2つの意味で大きな喜びでした。一つは、「これで女優として歩いていけるんだ」という思いです。本名のまま活動している役者さんも多いとは思いますが、私にとっては別物。「芸名をつけてもらって、ようやく一人前」とずっと思っていたんですよ。
もう一つは…。母親から虐待された結果、自己否定を繰り返していただけに「ようやく『遠野凪子』という仮面をかぶることができる」という思いがあったんです。遠野凪子としてお芝居をしている限り、母親から虐待されている本名の自分は存在しない…。だからこそ、芸名をつけてもらえたときには、それまでにない喜びを実感できたんです。
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