2014年 第7号

カントと種々の世界

大橋容一郎

 哲学者イマヌエル・カントは、今なお世界中で参照されることがもっとも多い思想家の一人である。彼の生年は一七二四年だから、今年は生誕二九〇年、一〇年後には三〇〇年の記念年を迎える。前回の記念年である一九二四年(大正一三年)には世界各地で記念行事や記念出版が行われた。日本では岩波書店が、前年九月の関東大震災から間もない二四年一月号で『カント著作集』の刊行を大きく広告した。さらに創刊三年目の本誌『思想』は二四年四月号を「カント記念號」とし、八月号にはドイツの「カント紀年祭」の紹介論文を翻訳掲載している。

 当時の日本は第一次世界大戦後の経済成長期で、文化雑誌の創刊やラジオ放送の開始、デパートの開店など、まさに「文化」の社会化、大衆化の時代を迎えていた。このとき学界では、大正教養主義の「文化哲学」や「人格主義」の基盤となった、いわゆる新カント学派による諸思想が最盛期となっている。一九二四年の『思想』は、ドイツ留学中の三木清によるハイデッガーやニコライ・ハルトマンに関する現況報告、田邊元による現象学の新「転向」の紹介など、新しい思想潮流を示してもいるが、それでも「カント記念號」執筆者の桑木、田邊、朝永、左右田等とともに、ケルゼンの経済学やシュタムラーの法哲学、ジンメルの文化哲学など、もっとも多く紹介されていたのは新カント学派の理論だった。ちなみにそうした日本の状況に比べると、ドイツ本国では新カント学派の著名な哲学者が相次いで物故し、このカント記念年を境に新カント主義が一気に凋落したことは歴史の皮肉とも言える。


 新カント学派の認識論のもとで大きな思想的影響をもたらしたカント哲学は、その後、ドイツ実在論者やハイデッガー、ケンプ・スミス、ペイトンらによって存在論的解釈の時期を迎える。さらに第二次世界大戦後の自然科学や社会科学の時代になると、マルチンらによる科学論的解釈や英米の実証主義、心理主義などの解釈にとどまらず、進化論的認識論や批判的合理主義、コミュニケーション倫理など諸科学理論の基盤にもなった。二一世紀の現在でも、たとえば実践的方面にかぎっても正義論、平和論や生命の尊厳論から経営倫理にいたるまで、さまざまな理論の基礎にカントが使われる。まさしく「すべての流れがそこから始まる泉であるカント」という有名な比喩にふさわしい様相だが、一つの哲学理論にこれほど多様な解釈がなされるのは、古今東西を問わず相当に珍しい。新カント学派の影響下にあった初期の西田幾多郎が、『自覚に於ける直観と反省』の「跋」(一九一七年)で「種々の世界」の可能性を語っていたのも、カントの哲学理論がさまざまな世界認識のプロトタイプとして使えることを示していたのだろう。

 そうしたさまざまな理論展開を可能にする、あるいはカント研究者にとっては解釈上の根本にかかわる面倒を引き起こすカント自身のテーゼとして、『純粋理性批判』の超越論的分析論での、「可能的経験一般のアプリオリな諸条件が、同時に経験の対象の可能の諸条件でもある」(A111)という言葉をあげることができる。一見したところ同語反復的にも見えるが、この言葉が彼の認識理論の核心だと考えている研究者は少なくない。この文言は何を言おうとしているのか。カントは、理解の助けとしておよそ次のようなことを述べる。すなわち、われわれがあるものを経験の対象として認識できるためには、対象の「表象」によるしかない、この表象主義のテーゼ(B125)によれば、経験の対象が成立するためにはわれわれの表象能力と、その能力によって何らかの経験対象「として」表象されるところの経験の中身(実質)とが必要となる。しかし何回もおなじ映画を見ることを想像すれば、おなじ中身を持っていても、こちらの事情によってどのような経験だったかは異なる。とすれば、経験の「として」を成立させているのは、ある決まった見方を持っている表象能力の働きの方になるだろう。表象能力の働き方が経験に先立って(アプリオリに)決まっていれば、経験は必然的な「として」のあり方で表象されることになる。筆者の経験を例に挙げると、昔、ドイツのスーパーで、オレンジだと思って買ってきた対象が妙な食感で混乱に陥ったとき、サツマというラベル名からそれをみかん「として」認識するにいたって、ようやく経験が必然的なものとして確定され、つまりは落ち着いてそれを食べることができた。

 第二にカントは、現象の完全な認識は可能的経験でしかない(B223)と言う。これもまた不思議な言葉に思える。しかし私が実験科学者だとすると、現実の現象としての実験結果はかならず誤差を持っている。個別の誤差にこだわりすぎれば必然的な法則は認識できない。現象を完全に認識するはずの必然的な自然法則が存在できるのは、現にすべての個別的経験に正確に当てはまるからではない。あくまで、本来ならすべての経験的現象に当てはめることができるはずだという、可能的世界を認めるからこそ成立する話である。そして第一の話と第二の話を総合すると、ある経験の対象がどんな現象にも通じる必然性を持ったもの「として」表象されるには、可能的経験一般の世界でのあり方「として」その経験を成立させるようなわれわれの表象能力が、前もって必然的に働いていることが必要だということになる。たとえば前もって作られ働いている郵便制度に従っているはずだと見なすことではじめて、ただの箱が郵便ポスト「として」、白い紙切れが郵便ハガキ「として」、つまりは郵便的秩序を持った経験の対象として成立する。自宅のポストに郵便物「として」のハガキが投函されるのを当然と思っている人は、個別の経験対象をあくまで可能的経験一般の世界でのあり方「として」受け取る見方を、ポストやハガキに対しても行ってしまっていることを認めなければならない。

 このような雑駁な言い方をすることは、カント学者だけでなく現象学者にも構造主義者にも怒られかねないのだが、それなりの訳がないわけではない。経験の対象を可能にする可能的経験一般の条件は、カントによって経験一般の綜合的統一に不可欠な超越論的原理とも呼ばれていた。思考をもっぱら概念による認識と見なすカントが、統覚が感性的直観における多様なものへ悟性概念に従った綜合的統一を与えることで経験が成立するとして、われわれの感性と悟性にアプリオリな超越論的原理を認めていることは、関係者には周知の通りである。ただ、そうした超越論的原理に従う認識というカントの考え方には、当時から論理主義、心理主義、物理主義などいくつかの側面があることはわかっていたのだが、今日ではそれが、個別科学の細分化によってはるかに複雑化しているために、さまざまな種類の一般性の条件を考えざるを得ないのだ。経験の秩序性が多様化し多層化することで、可能的経験一般の条件も多様化し多層化する。たとえば意識経験の対象を成立させるには、無意識的な意識一般の枠組みや大脳の神経系の法則的な伝達方法を考えることが必要ともされる。言語経験の対象の成立には、深層的な文法構造や議論成立のためのアプリオリな条件を前提することが必要だとも言われる。科学における特殊な系とそこでの対象を成立させている原理は、同時に、複数の系相互に妥当するような一般的原理に従属しなければ、自らの系の真理性を主張できなくなる、等々。


 とはいえこれらは、世界のどこかに一つの「見えない構造」や「歴史的必然性」が実在するという主張ではない。普通の大人として秩序ある経験を持ち、経験の対象を何か「として」見ていると言いたい人が、それを当の何か「として」見せているところの一般的条件に自分が従っていると納得せざるを得ないのは、何ら不思議なことではない。それどころかカントによれば、何か「として」の経験という秩序性の自縄自縛に陥っていることこそが、良くも悪くも人間が理性を持っていることの本質なのである。先の西田幾多郎に言わせれば、そうした「として」の見方は複数あることが可能なので、世界の見方を自由に選択することで「種々の世界」が生じてくることができる。「一つのアプリオリに依って或一つの客観界が立せられる」(『自覚・跋』)のである。しかしこのことを逆に見ると、「或一つの立場の上に立っては、その立場自身を反省することはできぬ」(同上)ので、可能的経験一般の諸条件は、経験の対象が可能になる限りでしか意味と真理性を持たないことにもなるだろう。そしてもしそうだとするともっとも重要なのは、可能的な種々の世界のなかで、対象をどのようなもの「として」見る世界をあなた自身が大事にしたいのか、という問題になる。カント自身は感性的直観と悟性概念という超越論的原理が、認識対象の「経験的実在性」を構成するただ一種類の原理だと考えていたので、このような選択の問題は生じなかった。西田幾多郎は選択の自由を認めつつも、彼自身としては、「絶対自由の意志」という条件によって成立する世界こそがただ一つの目ざすべき世界だと考えた。その世界において、「肉体的生活の意義は精神生活にあるのである、肉体的生活は精神生活の手段に過ぎない、物質的生活に偏する文化の発展は決して真の人生の目的ではないのである」(同上)。

 上に述べてきたような問題意識は、表象主義であり、観念論であり、精神主義であり、二元論であり、構成主義である、すなわち古典的な認識論の誤った諸前提に基づいた問題意識であるとして、新カント学派に対するのと同様にしばしば批判の対象となってきた。それでは、現代ではそれに代わって、どのような「として」の見方が意義を持つのだろうか。それとも、専門化と個別化が進む現代社会でそうした意義はもはや問う意味を失っており、むしろ種々の世界が共役不可能なかたちで独立に成立していることにこそ意義があるというのだろうか。だが、各自の専門的アプリオリに依って各自の専門的世界に浸っていることの功罪は今は問わない。むしろそんな論点の話にいたる以前に、こうした話がともかく難しくて不可解なので意味がないと思われているのなら、それには概ね二つの改善すべき理由があると筆者は考える。その一つ目は、自分が足場としている経験が持つ秩序性への吟味を行うことで、自分の環境や精神に不安定さが生じてしまうことを、われわれ自身が好まないからである。それはたとえば、ソクラテスを非国民として無意識のうちに有罪としたアテナイの人々の態度にも、自由平等の近代主義に背反しがちな現代のケア思想に対する近代人の無意識の反感にも、おなじように見られるものだろう。そして二つ目は、とりわけ近代日本にはこうした問題を吟味するための自前の言葉、哲学するための言葉が十分に育ってこなかったからである。経験の対象が可能になる限りにおいてしか可能的経験一般の条件は意味と真理性を持たない、ということをごく平たく言えば、自分が他をはかる秤で自分自身もはかられている、ということである。本誌『思想』の発刊の辞は、「時流に媚びずしかも永遠の問題を一般の読者に近づけようとする」と謳っていた。およそ一〇〇年後になってもなおおなじような問題を日々感じている者の一人として、同様な改善への途をさぐることは避けがたい義務のように思われる。

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