- >>39793
下記のリンク 新華社通信と中国国際放送にて
今夜放送された集団的自衛権に対する中国政府の見解です。
歴史の教訓を銘記し、平和と正義を守る
http://japanese.cri.cn/881/2014/07/06/142s223347.htm
どうやら外野席BOYさんは 中国政府の杓子定規で図れば
一部の右翼政府と見られているようですね 実際はそうじゃないのですが
それでも創価大学でも 中国から来た使者が 無知な学生相手に
こんな洗脳をしている訳ですから・・・
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
駐日中国大使、友好継承を両国の若者に呼びかける ―中国国際放送
(音声ファイル付)
http://japanese.cri.cn/881/2014/06/14/181s222418.htm
中国大使、母校・創価大で講演のナゾ 公明党へのメッセージか?2014.06.17
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20140617/frn1406171538008-n1.htm
この辺を如何見ているのか 阿部日さんやマグマグさんも含めて
集団的自衛権の行使容認も含めて 伺いたいですね
>>池田晴彦さんへ
今や創価は自民党のポチどころか 中国政府のポチにまで堕ちいって
見事に飼育されて調教されている今日この頃なんですよ
平和・平和と連呼しても 結局、平和を得るのは中国人の為の平和だったり・・・
- 何とも、おバカな内容になってますね。
公明党が何をしました?
公明党自らが解釈変更を申し出たんですか?
そうではないですよね。
自民党が言い出し、それに引きずられてそのまま容認したんですよ。
米国の要請でね。
それに、最も恐ろしいのは米艦が攻撃を受けたら、他国を攻撃しなければならないこと。
そうなった時、今まで日本とは関係がなかった他国を巻き込みテロを誘発したら、その時に巻き込まれるのは日本国民。
それをどうやって食い止めるのでしょう。
安倍首相は次のように言っています。
「例えば、海外で突然紛争が発生し、そこから逃げようとする日本人を同盟国であり、能力を有する米国が救助を輸送しているとき、日本近海において攻撃を受けるかもしれない。我が国自身への攻撃ではありません。しかし、それでも日本人の命を守るため、自衛隊が米国の船を守る。それをできるようにするのが今回の閣議決定です。」
戦争に出かけなくとも、日本とは無関係の他国を日本が攻撃するというのは、わざわざ新たな敵を作ることになる。
集団的自衛権行使容認が閣議決定されて、早速自衛隊の募集CMが始まった。高校3年生に自衛官募集の案内が届いたという。
なぜ急にそうなるのでしょうね。
人が足りない。だから募集する。
それでも人が足りないとどうなるか。
次に来るのは徴兵制ですかね。
今の自衛隊法では辞職するのも自由だが、国防軍ともなればそれはできなくなる。
恐ろしい時代の到来を予感する。
- >>39793
だって あなたの本当のスタンスは 外野席さんとは真逆で
集団的自衛権の行使の容認に反対している立場ですものね~
池田晴彦さんの一連の文章 何処かで聴いた事がありませんか?
ヒント⇒Yさんのコラム日誌&twitter
それをまるっと引用していたわけです。
面白いなぁ・・と思って読んでいたけれどさ
- すでにアク禁になった日顕宗門徒に対して宿題をだしても無意味です。
いずれ管理人殿に投稿が消されるようになって、アジって反応を見る事
だけを目的にしています。
彼等の主張は所詮どこからかの受け売りで、「論理」的解釈がありませんので
聞いても答えられません。
ちなみに「集団的自衛権」については、争点となる基本的概念を理解するには
下記サイトが秀逸です。
集団的自衛権:メディアウォッチジャパン
http://mediawatchjapan.com/%E9%9B%86%E5%9B%A3%E7%9A%84%E8%87%AA%E8%A1%9B%E6%A8%A9-%E8%AB%96%E7%82%B9%E6%95%B4%E7%90%86/
公明党の山口代表も言及していますが、おおよその方が一番おそれている
海外への自衛隊派遣が、今回の閣議決定でほぼできなくなってしまいました。
こういった論議になると、いつも出てくるのが「米軍基地が攻撃目標になるのでは?」
「日本が攻撃目標になるのでは?」というような煽りです。
「行使容認で米軍の後方支援拠点の岩国が攻撃される可能性は高い」とか言い出す
議員もいるようですが、ナンセンスです。
今回の閣議決定で現在の自衛隊法などの関連法が整備されていません。
いうまでもなく、自衛隊は政府にことわりなく勝手に軍事行動できませんから
閣議決定=自衛隊が集団的自衛権を行使できるとはなりません。
いかにも「巻き添え」を危惧しているかのような文言ですが、仮に現在の状態で
国内の米軍基地が他国から攻撃されるような場合、自衛隊は反撃できます。
他国が日本国内の米軍基地を攻撃する必要があるケースとは、どんな場合
なのかを想定していないからこそ、「恐れ」としか言えないのでしょう。
閣議決定と米軍基地攻撃なんて関連ありません。
- 訂正。
(誤)聖教一致、聖教分離
(正)政教一致、政教分離
- まとめて投下する。
★お花畑でもなく、ネトウヨみたいでもなく、世界の現実をしっかり見据えているのは公明党だけ。
【創価学会が安倍政権に送ったシグナルとは?
――集団的自衛権問題で粘り腰の公明党】 佐藤優http://astand.asahi.com/magazine/wrpolitics/2014062500007.html?iref=webronza
>公明党の平和主義は建前に過ぎず、「下駄の雪」のように自民党に飲み込まれるという見方をする政治部記者や評論家が多かったが、その見方は外れた。
今回、公明党は本気で抵抗している。
>集団的自衛権や集団安全保障をめぐる国会審議やマスメディアの報道を見て、筆者は強い違和感を覚えている。
大多数の人たちが、現実に集団的自衛権を行使し、自衛隊の海外派兵が行われる可能性は、それほどないと認識しているからだ。
>論壇では、圧倒的な少数意見だが、筆者は、日本政府が集団的自衛権の行使に踏み切るか否かの判断を求められる状況が、近未来に生じうるのではないかと危惧している。それは、イラク情勢が急速に悪化しているからだ。これはシリア情勢とも密接に関係している。
>集団的自衛権、集団安全保障に関する議論では、「近未来に自衛隊がイラクに派遣される可能性がある」ということを念頭に置いた上で、議論を積み重ねる必要がある。
公明党が、自民党が集団安全保障を唐突に持ち出してきたことに激しく反発したのは、イラク情勢の緊迫化を公明党が正確に認識しているからである。
>自民党は野党の声には耳を傾けない。そもそも民主党も集団的自衛権について、党としての立場をまとめ切れない状態だ。この状況で、安倍政権の、国際社会の現実から遊離した観念論に対抗する力を持っているのは、公明党だけだ。
★そもそも、学会のスタンスはこうだった。
【集団的自衛権の行使 創価学会「憲法改正経るべき」】
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS1701H_X10C14A5PE8000/
だが、公明党は自民党と政権を担っている。
現実をみすえなければいけない辛い選択が待ち受けていた。
では、果たして
巨大政党・自民に対し、公明党は「補完」政党か?
★こういうのも、ある(笑)
【いまや自民党が「公明党の下駄の雪」!?】
http://toyokeizai.net/articles/-/38404
>かつて「どこまでも自民党に付いていくしかない下駄の雪」と揶揄された公明党が、「自民1強」の政党状況で存在感を示している。
安倍首相が実現に執念を燃やす集団的自衛権の憲法解釈変更問題で、両手を広げて行く手を阻んでいるからだ。
★そして、公明党が辛い役割りを乗り越え、しっかり歯止めをした事実。
【集団的自衛権 西元徹也・元統幕議長、国際協調へ行使要件厳しすぎる】
http://www.iza.ne.jp/kiji/politics/news/140703/plt14070315500025-n1.html
>懸念しているのは、武力行使の3要件の1つを「国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」としていることだ。特に「根底から覆される明白な危険」という要件は厳しすぎる。自国のことだけを考えるならば、それでいい。しかし、国際社会全体の協調を考えた場合、果たしていいのか。
(引用おわり)
※ご周知のとおり、「根底から覆される明白な危険」を何がなんでも入れるよう粘ったのは公明・北側氏。
先ず最初に、創価学会は自らのスタンスを発表した。
だがそれは、与党・公明にとっては板挟みの立場。
そこで公明自らの選択を支持団体(創価学会)に丸投げしていては、それこそ「聖教一致」ではないか。
だが公明党は、その意見は受け止めながらも、
与党としての「現実の我が国をとりまく情勢」に責任ある選択を優先した。
「聖教分離」だからこそ、成しえることだろう。
実際にそれが起こっている。
かつ、元統幕議長が不満を述べるような「明確な歯止め」を打ち込んだ。
だから、創価学会員はこれに理解を示した。
さぁて、この流れに、何の矛盾があろううて。
むしろ、なーーーーーーーーーーーーーーーーーんにも発しない あなた方の親分さん。
そして、あなたと180度ちがうことを述べているお仲間さんたち。
何度も言いますがね、坊や。
組織(学会、公明)を批判するなら、先ず、あなた方の意見集約をなさいませ。
「集団的自衛権行使=悪」と決めつけ、アジる前に
ご自分たちのあいだで「そちらの組織」としての意見集約をしなさい。
そうしないと、同じ土俵には立てんよ。
話はそれからだ。
ご自分のケツに火がついてますよ。
くだらない「堂々巡り」に明け暮れるのは、さすが“お寺さん”といったところか(笑)
- 少々、物事に理解というものが乏しいあなたに再度言う。
ブレーキではなく、アクセルとな?(笑)
物理の初歩。
安倍総理が50Km/hで走っていたとしよう。
それを更に加速させようとして、結果的に80Km/hになってしまったというなら「アクセル」です。
ですが、あきらかに50Km/hのそれ以下になっている。
おおかた、防衛族は不満だろうて。
これはどう見ても「ブレーキ」がかかったとしか言いようがない。
いい加減、くだらない決めつけとアジはおやめなさい。
なお、あなた方の意見集約はまだですか?
話はそれからだと言っているでしょうが。
- おまけ。
その「ブレーキ」が不満らしい。
やはり、公明のブレーキ効果は事実のようです。
“アクセル安倍総理”だけではここまでには至らなかったのですね。
【集団的自衛権 西元徹也・元統幕議長、国際協調へ行使要件厳しすぎる】
http://www.iza.ne.jp/kiji/politics/news/140703/plt14070315500025-n1.html
>懸念しているのは、武力行使の3要件の1つを「国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」としていることだ。特に「根底から覆される明白な危険」という要件は厳しすぎる。自国のことだけを考えるならば、それでいい。しかし、国際社会全体の協調を考えた場合、果たしていいのか。
(引用おわり)
ご周知のとおり、「根底から覆される明白な危険」を何がなんでも入れるよう粘ったのは公明・北側氏。
「たかが一言」では済まないのが、こういう世界。
強烈なブレーキ的一言が、この先ずっと活きてくるのです。
さて、反対ばかりでしかパフォーマンスしない連中に
このような大事で、かつ、さぞや苦しく、時には辛い役割を担えたでしょうか?
答えはNOでしょう。
「お山」にいたり、門や塀の中にいて威張っている人たちには理解できない世界でしょうね。
- 晴彦殿
おいおい
あなたはアノ、号泣議員か?
大丈夫か?(笑) 人の話、聴いて(読んで)いるか?
平たく言わないと解らないかね?
あなたのその「集団的自衛権行使容認=悪い事」という、決めてかかった物言いで
そこ(容認)に賛同するものを悪人にするのはおやめなさい、って言ってるんです。
と、同時に、そこまで言うなら、
あなた方の「親分さん」の見解と、組織のスタンス、そしてお仲間みんなの考えを明確にし、
総意として意見集約してからツベコベと講釈をたれなさい。
組織批判するなら、話はそれからだ!って言ってるんです。
それと、
ブレーキではなく、アクセルとな?(笑)
物理の初歩。
安倍総理が50Km/hで走っていたとしよう。
それを更に加速させようとして、結果的に80Km/hになってしまったというなら「アクセル」です。
ですが、あきらかに50Km/hのそれ以下になっている。
おおかた、防衛族は不満だろうて。
これはどう見ても「ブレーキ」がかかったとしか言いようがない。
いい加減、くだらない決めつけとアジはおやめなさい。
さらに、某ファシズムの名まで出してのラベリング。
ラベリングの意味、おわかりか?
議論の敗北だよ。おやめなさい。
なお、意見集約のできない あなたがたよりも
よっぽど今回の公明理解が多いのが学会の現状です。
見てきたような悪宣伝はおやめなさい。
いずれにしましても、
ここへこの問題を持ち込みたければ、先ずはあなたがたの意見集約をおこないなさいませ。
BIGBOYでオフ会でもしながら(笑)
- >>39782
一審でも その点は判事も認めていますよ
判決文を読んでください。 だから 一審は ねじれ判決になってしまったんですよ
解りますか? 日本では共謀罪が問えないし その法律自体ないんです。
- まず、資料を提示しておきます。
アク禁となった日顕宗門徒、天才、池田晴彦両氏は、歩く象さんや私(阿部日ケ~ン)
の表現に対し、執拗に宗門と学会の間で交わされた和解条項に違反していると
繰り返していましたが、下記の日顕宗門徒が作製したHPをごらんください。
http://www.soka-news.jp/shinjitu/Seattle.html
日顕宗を糾弾する創価学会側の報道において
「売春報道」「調書をとった」
(注:いずれもシアトル来日時の日顕に対してのもの)
「FBI記録」が「すべてウソ」だと、赤く文字も大きく表示しています。
シアトル裁判の「争点となった核心部分」を適示し、論評しているのです。
- アク禁・晴彦殿
そこまで風呂敷広げては、「なぜ○○さんは」の○○に誰をも入れても成り立ちますよ。
世界中の指導者たちも、です。
勿論、 あ・な・た・た・ち・の・親・分・もです。
いつまでも軸足の定まらない書き込みはおやめなさい。
先にも書き(指摘し)ましたが、
あなた「ご自身」の主義主張を述べるならまだいい。
個人対、個人----
その位置で語るなら、賛同の論者も現れ、有意義な話にもなろうて。
ですが、他者の矛盾(あなた目線)を書く姿は、完全にブーメランになっている。
あなたのその書き込みが、
論を交し合う以前の「意図」があるからです。
先ずは「アジ」についてお勉強なさってください。
そしてご自分のやっていることが、議論に値するかも含め、お勉強してください。
ご自分の足元、ご自分の属する場、それらの意見集約も定まらないで「組織対組織」の構図に持ち込むのはおやめなさい。
※あと、何よりも釘を刺しておきますが
そのように【書きなぐり】になった時点で「自爆」ですよ。
アラシを認めたということです。ご注意なさいませ。
そうなると、アク禁は道理。
ご自身で「追認」しているということです。
- だれかへの「説得」の為に書かれているのではないのに
的外れな揶揄をされる沖浦さんもナニですが、
それに引きずられて「年令」を出すのはいただけません。
年令や性差とか容姿等は本人にはどうしようもありません。
私は自分中心にした「功徳」を発表され、他人を貶める人よりも
師匠の言葉や行動に則り、自分なりの考えを公表できる人のほうが
何倍も功徳を得ていると感じます。
信心の姿勢って、同じ文献を読んでも、感応する部分をみれば命の傾向性が
反映されているものですよね。
たとえば沖浦さんは、昨日の聖教新聞の大先輩のインタビューを見ただけで
「御本尊様の前に座ろう」と思われたそうです。
授ける受けるといった双方の境涯が素直に合致しないかぎり、たとえ同じ事を私が
言っても揶揄されるだけだとおもいます。
自分に対する「人格批判」よりも、優先されるべきは仏法の破壊・なかんずく
日蓮大聖人や創価学会の価値観を壊す批判ではないでしょうか。
- ***************
名前:沖浦克治 投稿日: 2014/07/04(金) 15:14:27 ID:Dss7qerg0
河内さん、貴方が高邁な平和論を書いても、どういう説得性もありません。
まずきちんと勤行唱題、座談会からおはじめなさい。
***************
老いた老兵の沖浦ちゃんには、ちょっと難し過ぎたかな ?
論考を理解できるようにがんばるんですよ。
ファイト !
>>39745
>>
>>私は無名氏の持論は時系列も法的にもおかしいと反論をしていただけです。
>>頼まれてもいないのに勝手に、難癖をつけに来て、自分のミスを指摘
>>されるや相手の瑕疵であるとするは卑怯者のやる方法です。
>>
>>以上の理由で無名氏に対し『アク禁動議』を、提出させていただきます。
>>
賛成!
======================================
河内さま
ご力作、しっかりと拝読させて頂きます。
いつもお励ましのご投稿、まことに有難うございます。
======================================
皆さま
最近、ちょっと忙しくて書けておりませんが、また改めまして。
で、いくら忙しくても唱題は今まで以上に頑張っております。
河内さまが引いて下さった先生の指導の活の法門ですが、
唱題が一切をひらく根本、法華経の兵法だと強く確信しております。
近況報告も改めてさせて頂きます。頑張りましょう!マグマグo(*^▽^*)o~♪
- 河内平野さんの論文拝見しました。
外野席BOYさんの批判は笑えましたが、同じ宗派であっても個々人の信条は
違うものです。
たとえば学会員さんや公明党支援者さんの中にも「平和」に対する概念は
微妙にちがいますが、それは当然だと思います。
ただ、日顕宗側はよく学会員さん同士で意見が食い違うと、すわ
「学会分裂」をイメージするようです。
でも、彼等日顕宗門徒とて、意見の相違があるので
「No.39746 アク禁者が集団的自衛権でアジってますね」で例をあげて
みました。
でも、そういった事実には目を向けずに、攻撃対象の学会員さん内の差異のみを
強調しあげつらうのは、彼等日顕宗門徒こそが「分裂」を恐れている裏返しだとも
とれます。
さて、対比として日顕宗門徒の「平和」に関する記事を紹介しましょう。
和歌山で通信販売業を営む日顕宗門徒桐本氏がブログで
興味深い記事を公開していました。
※平和の党公明党と報道しているNHKなどに疑問が残る。何が平和なのかと
聞きたい。公明の支持組織創価学会は宗教団体、創価を批判すると会員が
押しかけてきてわめき散らす。何が平和なのか。
政権与党を養護する気持ちは分かるが、批判精神は何もない。
こういう放送局に視聴料金を払うのはばからしい。
( 受信料を払わない:http://white.ap.teacup.com/kirimoto/1936.html)
桐本氏の主張には実に興味深い「平和論」が隠されていると思います。
日顕宗門徒の考える「平和」とは、一方の主張(攻撃)に対して反論(自衛)する
余地を残さない。
また、日顕宗門徒の考える理想的行動を起こさないマスメディアにはカネを払わない
という物理的、経済的な恫喝なのです。
そもそも日蓮大聖人の説かれた、社会と宗教のあり方は立正安国論にも示されて
いるように、「 汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祈らん者か 」です。
「四表」とは四方・狭く言えば我が身の近隣、広く言えば他国の安寧と言えます。
そして、創価学会においての「平和運動」は意見の違う方との粘り強い「対話」は
先に示した「立正安国論」の、主人と客の対話形式にも裏付けされています。
したがって、たとえ同じ学会員さんであっても粘り強い「対話」が平和構築への
プロセスとして最重要視されています。
ところが日顕宗門徒の考える「平和」とは、独善である日蓮正宗、またそこに
所属する者に反論すら許されない「権威による絶対的統制」なのです。
これは自由主義と対極にある専制主義・国粋主義となんら変わりません。
桐本氏は言います。
※批判すると会員が 押しかけてきてわめき散らす。何が平和なのか
しかしこのようにも言っています。
※批判精神は何もない。 こういう放送局に視聴料金を払うのはばからしい
(同ブログより引用)
この日顕宗門徒は、表現の自由で保障されている「批判」そのものが
平和に反するとは考えていないようです。
彼自身のブログが「批判」そのものであることを見ても疑う余地はないでしょう。
しかし宗教としての日蓮正宗(日顕宗)および、それに所属する者に対しては、
批判される対象として、許されない。つまり服従しかないのです。
彼等の「平和運動」とは、創価学会・公明党を叩き、自分たちに追従しない者や
組織への恫喝行為に集約されるといっても過言ではありません。
これはエセ平和です。
彼等のエセ平和行動こそが、かつての大日本帝国が掲げ、日蓮正宗が盲目的に追従した
「八紘一宇」の思想と重なって見えるのです。
- 小説『新・人間革命』第十九巻には、人間主義の対話を広げゆこうとする、池田先生の決意の言葉が、次のように綴られています。
「人間の救済を掲げてスタートした宗教が、やがて異教徒を迫害、弾圧したり、宗教同士が戦争を引き起こしているのが、残念ながら人類の歴史といえる・・・・
人類の未来を考えるなら、宗教差別や宗教戦争を根絶していくために、人間という原点に立ち返って、宗教間、文明間の対話を展開していくことが、何よりも重要な課題になる。
その突破口を開いていくのが、仏法者としての私の使命であると思っている。
仏法の本義は、一言すれば、《人間宗》ともいうべき、人間生命の尊重の思想だからだよ」(一九五~六頁)。
「人間宗」である仏法が、一種の仲介者となって諸宗教や、諸文明を人間の次元で結びつけ、融和させていくこと。
池田先生による対話運動の根本的な意義は、そこにあると言っても過言ではありません。
最後に
長々と考察を述べてきましたが、日本に住む学会員もさまざまな立場の人がいます。
戦争の悲惨さを身をもって体験した人。
広島・長崎で原爆被害にあった人を身内に持つ人。
沖縄の地でアメリカ軍人に身内を殺された人。
また
自衛隊で働く息子を持つ親。
自衛隊で働く夫を持つ妻。
外洋に出て働く漁師もいれば、自国出先機関の他国で働く大使館職員。
国のあるべき方向性や制度を決め、責任ある決断を常に迫られる政治職に従事する人。
立場や環境が違えば、考え方もいろいろあるのは当然です。
創価学会は、企業組織でもなければ軍隊でもない。
平和を創出する宗教団体です。
その証拠に、選挙に行こうが行くまいが、広布部員になろうがなるまいが、新聞を取ろうが取るまいが、それが原因で即クビにはなりません。笑
当たり前です。創価学会は宗教団体なのですから。
繰り返しになりますが、大事なことは、組織任せの無責任な傍観者ではなく、自分自身が平和創出の主体者となって、自身の戦う場所で懸命に訴え続けることではないでしょうか。
そういう時代がすでに来ていると思います。
・・・完。
- 創価学会の反戦主義について、過去に一部の批評家が「無定見」「ご都合主義」といった批判を浴びせかけたこともありました。
しかし、彼らが仏教者の自在な智慧を根本的に理解できず、道徳の次元にこだわったために、学会には原理原則がないとか、以前の反戦思想とは違って来たとか、戦時中に好戦的な言動があったとか、騒いだにすぎません。
倫理や道徳等、従来的な行為の基準しか知らない人たちが
道徳を使う智慧の無限性に根ざした創価学会の反戦行動を正当に認識できなかっただけなのです。
ここ数十年の創価学会は、他の宗教・思想との対話に、積極的な姿勢を貫いてきました。
池田先生は
キリスト教の神学者
儒教の知識人
マルクス主義を奉ずる政治家
中国の著名な仏教学者
東南アジアのイスラムの指導者等々・・・・、
次々と対話の機会を持ち、数多くの対談集を発刊してきました。
池田先生が対話する相手・・・・。
それは主義や信条といった思想の服をすべて脱ぎ捨てた裸の人間、生活者としての人間です。
しかしこれは、自らの信仰を捨ててまで、人間対人間の話し合いを行う、という意味ではありません。
仏法はむしろ、生活者としての人間を無二に尊重する哲学です。
- 活用の仏法者は、泥沼のごとき戦争の現実から寸分も離れずに、反戦平和の道を切り開こうとします。
それゆえに、戦禍に苦しむ民衆と同苦しながら、反戦の声を上げることもあれば、兵士たちと苦しみを共有しつつ、戦場の平和を祈り続ける場面も出てくるのです。
ベトナム戦争の頃
アメリカの創価学会では、仏教の平和主義を信じて、良心的兵役拒否を試みる青年部員が出る一方、どうしてもベトナムに行かねばならない学会員もいました。
そのような事情下で、池田先生は、彼らの取るべき行動を、たった一つの原則で縛ろうとはしませんでした。
また、個人の自由な意志に任せたわけでもありませんでした。
池田先生が望んだ反戦の道・・・・。
それは、各人が信仰の智慧によって「殺すなかれ」という黄金律を自在に使い、いかなる状況下にあっても、主体的に反戦を貫くことでした。
兵役拒否で社会に反戦を訴えかける勇気の行動も
戦地で銃撃の渦中にありながら、必死で不殺生を祈り続けることも
主体的な智慧の現れである限りはどちらも正しいのです。
自由自在の主体性による反戦行動に正邪優劣はありません。
正邪優劣をつけるのは、道徳や知識の次元であって、智慧の次元になるとすべては自在に生かした結果だからです。
- 小説『新・人間革命』第十一巻の中に、次のようなエピソードが描かれています。
「ハワイに住む、アメリカの若き軍人の話である。
戦地のベトナムに向かう駆逐艦が日本に寄港した際、彼は池田会長に面会を求め『人を殺すかもしれませんし、自分が殺されるかもしれません』と悲痛な声で訴えた。
池田会長は彼を励ましながら、『御本尊はすべての願いを叶えてくれます。だから、どんな状況でも、題目だけは忘れてはいけない。私も、あなたが無事にハワイに帰るまで、お題目を送り続けます』と答えました。
青年軍人は、この会長の指導を胸に『必ず生きて帰れますように。また、どうか、一人の敵も殺さないですみますように』と懸命に戦地で祈った。
そして戦闘の時が来た。
青年は駆逐艦の砲手となり、上官の『撃て!』という指示に従い、やむなく発射スイッチを押した。
ところが大砲は故障していた。
青年はその修理を命じられ、日々を送るうちに一度も砲弾を撃つことなく帰国できた」。
このエピソードが暗に訴えているのは、戦地にあっても不殺生の実践はできる、ということであろうと思います。
しかし、このエピソードを、客観的、合理的に見れば、この軍人が殺しも殺されもしなかったのは、偶然にすぎない、また他に多くの人々が死傷したのなら反戦とも言えない、と非難する人もいるかも知れません。
ただ、ここで強調したいのは、活用の仏法者ならば、あえて戦争という残虐な中に飛び込んで反戦を行う場合もあり得る、ということなのです。
- 「汝、殺すなかれ」との戒めを固く守って、反戦に立ち上がるキリスト教者は、ひたすら神の教えに従う者と言えます。
仏教にも、同じく「不殺生戒」があります。
しかし、仏法者は、単に不殺生の教えに従うのみで「よし」とはしません。
真の求道者ならば、教えの源にある仏の智慧を得ようとします。
そうして自らが不殺生の教えを使う「智慧の主体者」となり、相手や状況に応じて教えを自在に操ることを目指すのです。
ここにおいて、道徳と智慧は区別され、智慧は道徳を自在に使う主体なのです。
活用の仏法は、道徳に依存せず、自ら智慧の主体となって道徳を使い、自在な反戦行動を起こします。
つまり、「殺すなかれ」の道徳が、ここでは不屈の非暴力抵抗にもなれば、妥協的な和平戦略ともなり得るわけです。
しかも智慧の自在性には限りがありませんから、道徳だけでなく、ありとあらゆる現象を反戦平和の方向に、生かしていけるはずだと活用の仏法者は信じて疑いません。
極端に言えば、戦争の現実すらも反戦に変えられると信じるのです。
- ふむふむ、
資源ゴミは月曜日、
生ごみは火曜日、金曜日だというところまではわかった(笑)
では、
その安保に関するご高説を、お仲間の保守系論客たちに説き伏せてらっしゃい。
合議ができたら、またおいで。
話はそれからです
ぬぁにぃ~~?
意見集約もできない!?
それじゃ、三万年経っても 私どもと同じテーブルに着けませんね。
先ずはお仲間と、BIGBOYのテーブルにでも集まって
¥980の厚切りアンガスサーロインステーキ食いながら意見の一致を試みてくださいな(笑)
- ついでに言ってあげます。
あなたのその「行使容認=悪」論は、あなたのお仲間のあいだで声高に叫べないでしょ?(笑)
意見がチグハグでも創価学会叩きで煙にまいているのが現状。
ほんとうに安全保障の問題にご自分の声で論じることなんてまるでない。
おやめなさい。
この件で公明批判、そして学会批判に結びつける前に、
堂々とお仲間の保守系論客に安保政策で挑んでらっしゃい。
話はそれからだ。
- おやおや、悲観論ばかり例示すること自体、語るにおちた・・・という事に気づきましょうね。
あなたご自身が何を思おうがいい。
だが、あなたがアジる「ありき」の部分、これは議論でも何でもない。
かつて東工大の「三列目の男」と呼ばれたアジテーターと同じ、いやそんなレベル以下ですな(笑)
もう、おやめなさいな。
- アク禁の晴彦さんとやら。
あなたがクドクドとアジると皆が揺れると思ったら大間違いですよ。
私のまわりでもこのたびの公明の働き、評価する声は多い。
ご自分で気づかなければそれまでですが、
あなたのミスリードは明らか。
意地になって書き込んでも無駄です。
お引き取り願うしかありませんな。
- >39745
無名さんのアク禁には私も賛成です。理由は発言に責任が無いから、ただそれだけです。
誠実さの無い対話姿勢では、誰にも何も伝えることは出来ません。
阿部日ケ~ンさんがNo.39732でまとめられたものは、私には有り難い限りです。
これを見ても理解できない人がいるのは、残念な限りです。
自分の主張ばかりに執着して、こんな上位の概念が理解できずにいるのは、本当にどう
いうことなのか、先知識の故か、あるいは何か他の潜在的な理由にあるのではないかと
か、何か深々と思わざるを得ません。
心が届かないことは残念ですが、私の気持は変わりません。むしろ、これをさらに分か
りやすく人に伝えていくことが今後の自分の使命だと思っています。この明らかな主張
を、どうすれば他の人にも誤解の余地無く明確に伝えることができるのか、それには自
分の力が足りないと思うばかりですが、これからもっと精進していきたいと思います。
一方で、アクセス禁止なのに登場される池田晴彦さんも、ルールを無視されていては、
単に嫌がらせの域を出ていないことに気付いて下さいね。そういう無配慮が結局は考え
方も刹那的になって何も理解できていないんですよ。日顕宗は、今も昔も学会によって
活用されているではありませんか。学会によってしか存在意義は見出せません。十界互
倶と言っているとおりです。善悪不二ですから悪を活用するには正義の視点から糾弾さ
れてはじめて活用されます。どうぞこれからも非人間的な宗派として貶されてください。
みんなが頑張ってる時にも信徒を思いやる気持もなく夜な夜な売春でしたからね。
また各位には、大変にお世話になりました。
- 河内平野さん、初めまして。
入信して日の浅い法華講員ですが、「創価学会の反戦運動を考える」考察シリーズ、
熟読させて頂きました。
目から鱗が落ちる思いでした。
本当に、有難うございました。
- 一九九六年十一月、
池田先生は、青年部たちを前に、ベトナム戦争の即時停戦と平和維持会議の開催、さらに紛争再発を防止するための非武装地帯への国連駐在を提言しています。
提言は翌年も行われ、この時はアメリカ軍の北爆や軍事行動の停止、軍の引き揚げ、その後の各国の経済援助等も訴える内容となっています。
これらの提言によって、アメリカに追随する日本の政府関係者から、創価学会に圧力がかかることは容易に予想されました。
つまり、池田先生にとっては、覚悟の上の行動だったのです。
ちなみに、一九七二年七月、過去最大と言われる北爆が行われると、池田先生はついにアメリカ大統領に宛てて、爆撃の即時停止を求める長文の書簡を作成し、大統領補佐官だったキッシンジャー氏を介して、当時のニクソン大統領に送り届けています。
さらにベトナム和平の成立後も、ある時はベトナム難民の救援募金を支援し、ある時にはベトナム戦争の悲惨さを訴える反戦平和の展示会を日本全国で開催するなど、折々にベトナムの再興を願う行動の足跡を残し、今日に至っています。
要するに、創価学会では平和の祈りを根本に、終始一貫してベトナム戦争に反対し、戦争の犠牲になった民衆の支援に力を尽くしてきたのです。
二度にわたる先生の提言やアメリカ大統領への諫言書は、戦争の当事者に「自制」を呼びかけたものであるし、ひたぶるにベトナムの平和回復を祈念する様は、仏教者の反戦行動でしょう。
さらに、各種の具体的な方策の提言には、現実の中の可能性を生かそうと、智慧を尽くす活用の仏教者ならではの姿勢が見えます。
池田先生は、自制や瞑想、また献身に徹する各仏教に見られる反戦のアプローチをすべて駆使し、なおかつ、智慧の努力を惜しまなかったのです。
とすると、
活用の仏法には、定まった反戦のスタイルがあるのでしょうか。
それは「ない」と思います。
戦争終結を目指す対話
戦争指導者への諫言
平和政策の提言
反戦デモ
抗議行動等・・・・反戦アプローチは色々と考えられます。
しかし活用の仏法は、そのどれかを重視することもなければ、その全部を取り込もうとするわけでもありません。
学会員はただ、反戦平和に関する種々の思想・信念・方策等を自在に使います。
道徳や知識、客観情報等に左右されるような反戦行動ではなく、すべてを生かして使う人間の自由自在の主体性そのもの・・・。
これを拠り所にした反戦を展開するのです。
要するに、自由自在の智慧に基づく反戦を行うのです。
・・・・・つづく。
- それでは「活の法門」における実践が具体的にどういうものなのか、創価学会の「反戦行動」の問題に即して考えていきたいと思います。
仏教者はいかに反戦の行動を起こすべきか。
それこそ、百種百様の意見があると思います。
ある仏教者は、戦争の当事者たちに「怒りの心を抑えよ」と強く訴えるでしょう。
また、戦争の危機に際し、平和への祈りに全力を傾ける仏教者もいるでしょう。
そして、人々への献身を堅く誓う仏教者であれば、戦火の海に飛び込んで、民間人の負傷者を救助したり、反戦集会を開いて抗議の断食を決行したり、といった実際の行動に出ることも予想できます。
では、すべてを生かす中道に徹した仏教者、つまり創価学会はどう行動するのか。
その基本的なあり方は、ベトナム戦争に対して、池田先生が取った態度に見て取ることができます。
戦後の創価学会も、このベトナム戦争への対応は、大変な難題でした。
当時の創価学会は、すでに世界の各地に多数の会員を誕生させていました。
会員たちの社会的な立場や思想信条も様々で、言ってみれば、世界の縮図さながらの様相にあったと言えます。
会員の中には、アメリカ軍の兵士や将校もいれば、戦火に喘ぐベトナムの庶民もいました。
また、ベトナム戦争が自由を護る戦いである、と信ずる会員もいれば、この戦争はアメリカのアジア侵略に他ならない、と見る会員もいたのです。
こうした中、池田先生は戦火に怯える民衆を思って苦悩し、平和回復への必死の祈りを続けていたことが、各種の記録や証言等からうかがえます。
ただ祈るだけではありません。
- 一九九六年四月、池田先生はハワイ大学東西宗教研究所のチャペル所長(当時)と会談しましたが、そこで次のように述べています。
「仏法では《序分・正宗分・流通分》、また《要・略・広》等と説きます。
そのなかに、一切の知識、一切の善論を包含し、時に応じ、状況に応じて、最も価値的に表現するわけです。大海のごとく、すべてを生かすのが仏法です」(聖教新聞一九九六年四月二十五日付)。
この表現は、日蓮仏法の教義に即した説明となっていますが、池田先生は、仏法がすべてを生かす哲学であるところに、その大海のごとき深みを見て取ったのです。
そして、私たち学会員に対してスピーチする時も、このすべてを生かす哲学は、さらに「人間論」としても展開しながら指導します。
その池田先生の言説を紹介します。
①「仏界が基底の人生は、過去・現在の九界の生活を全部、生かしながら、希望の未来へと進める」(池田大作全集第三十巻 四二三頁)。
②「妙法は《活の法門》である。すべてが無駄なく活かされていく」(新・人間革命第十二巻 三九頁)。
③「御本尊には一切を生かしていく力がある。活の法門です」(池田大作全集第三十二巻 四三六頁)。
④「歴史上の、あらゆる偉人の英知も、人間を励まし、幸福にしゆく智慧の一分として、自在に現代に活かし、実生活のうえに活かし、価値創造していくことができる」(聖教新聞二〇〇六年三月十六日付)。
⑤「法華経、そして日蓮大聖人の仏法は、《活の法門》と言われるように、すべてを生かしていく蘇生の宗教です」(池田大作全集第三十四巻 一五九頁)。
以上の言説からもわかるように、
池田先生の思想は、日蓮仏法の信仰を決して排他的には見ないで、むしろ反対に、日蓮仏法の信仰者こそ「すべてを生かす哲学」の実践者として万人を尊敬し、万物を生かし、東西万般の思想を活用しながら、社会の繁栄に貢献すべきであると考えているのです。
- 本題に入る前に・・・・
まず、日蓮仏法を根底に置き、現実社会の中で平和創出の運動を展開する池田先生の思想を今一度、確認していきたいと思います。
池田先生の思考は徹頭徹尾、人間から出発して人間へと帰着します。
だからこそ「人間主義」の哲学と言われるわけですが、人間の存在が社会や環境と関わる局面を考える場合にもこの姿勢はかわりません。
つまり、社会的な存在としての人間は「すべてを生かす哲学」の実践者たるべきなのだと思います。
「理性・感情・欲望」等を自在に使いこなして、調和的な全体性に生きている人は、自分を取り巻く物事とも対立しないし、むしろすべてを生かす方向に動くものです。
池田先生の実践的指針は、仏法の基本思想の教えから積極的な面を取り出し、それを現代的に表現したものです。
そして、特に日蓮仏法の信仰が、すべてを生かそうとする志向を強く持っている点を、折に触れて指摘してきました。
- 創価学会は本年「世界広布新時代 開幕の年」と銘打って出発し、早いものでもう上半期が終わり下半期がスタートしました。
世界各国の政治・経済等の情勢もめまぐるしく変化し、どの国も、もう単独では成り立たない状況になってきた観があります。
その中でも、とりわけ経済を中心として世界が一つにまとまっていくのではないかと思われるくらい経済的に密接な関係状態になりました。
また、創価学会の会員も今や、百九十二カ国・地域にまで広がり、一口に「創価学会員」と言っても、各会員の置かれている社会状況・文化的習慣、さらに政治状況や社会的立場もさまざまです。
これらのことから今まで以上、さらに本格的に世界中の会員のために
また人類の平和のために、組織運営や活動を展開する時代に入ったと思います。
そして私たち学会員も、自分の置かれた立場で、一つひとつの事柄や物事の本質を洞察し、表現していくことが「世界広布新時代の開幕」なのではないかと考えます。
つまり、指示待ちの傍観者ではなく、自らが考え、責任を持って行動する主体者になる、ということです。
たとえば、阪神淡路大震災や東北大地震が発生した時、学会員の行動を見てみると、彼等彼女等は何も学会組織の指示を待って救援活動したのではありません。これは学会員以外の市民も同じです。
誰かに何かを言われたから行動を興したのではなく学会員であれば、日頃学んでいる「人間主義」という思想に立脚し、それぞれが自分の置かれている立場で最善の行動表現をしたのです。
学会組織は、その現場の会員から情報収集し、一つの「組織体」として何ができるかを考え行動に移した、というのが実際なのではないでしょうか。
ここでは組織も、いち学会員も、完全な主体者です。
誰一人として傍観者はいなかったと思います。
前置きが長くなりましたが、このようなことから今後の世界を視野に入れた「創価学会の反戦運動」はどうあるべきなのか、を考察していきたいと思います。
- ※誰も「容認=悪」とは言っておりません。
おやおや・・日顕宗側のネット論客に何人か今回の制限付き集団的自衛権
容認派がいることを察して、公明党批判に論点を変えましたか。
※要するに集団的自衛権を日本が認めたとしても、同じ議会制民主主義を
取るイギリスと同様、「主権国家として拒否は可能」ということである
http://megalodon.jp/2014-0703-1238-22/blog.livedoor.jp/sokadakkai/archives/54594634.html
※集団的自衛権ですが個人的には賛成です。(あくまでも日本の近くでの話で
あってPKOだの支援活動だのでの攻撃はNGだと思っております
http://megalodon.jp/2014-0703-1242-35/plaza.rakuten.co.jp/sanmon77/diary/201407020000/
※さて観れば、集団的自衛権の行使容認が、難産の末に決定したが、当方
としては、まだまだ生ぬるいと思っておる
http://megalodon.jp/2014-0703-1246-19/6238.teacup.com/tsurutaro33/bbs/45158
ちなみに、日蓮正宗護国寺では
「集団的自衛権」の容認は、他国からの攻撃をされるキッカケにもなりえるので
『他国侵逼難難の恐れと見て、誤りがあるでしょうか。』
http://www.kamakura-gokokuji.or.jp/own-world-and-other-countries-rebellion-invasion-of-modern/
という珍講話を公開していますよ。
9.11テロの画像を引用して「諸天の瞋りを畏るべし」とした日顕宗らしい
脅し方ではありませんか。
日顕宗門徒や坊主の平和論や政治論は、なにも具体的働きかけをするでなく
結果をみて自宗の優位を示すという「隠された前提」があるという事につきる
でしょうね。
無責任だなぁ・・・
- ※阿部日さん、「受付時に」とか「出た時点で」とか「受理した時点で」とか
時系列に難癖つけるは見苦しい
----------
おや、自説を根底から否定し、説明責任放棄されたのですか?
そもそも無名さんの主張は
「控訴受理ということは、民事訴訟法第305条に則っとられたことを意味し、
不当だと判断」 ( No.39687 2014-06-29 21:33:32 )
http://goo.gl/0YUyrM
このように主張されていたではありませんか。
民事訴訟法、第305条も第302条も控訴審「判決」が出た場合の一審の
判決の取り扱いを定めたもので、控訴審が受理された時の判決の取り扱い
ではありません。
無名さんの主張をプロット化します。
※
【日顕宗からみた流れ】
シアトル事件についての創価学会機関誌の報道が、名誉毀損であると民事で提訴。
▽
一審判決敗訴(創価学会の名誉毀損は認められない)
▽
日顕宗側、一審判決不当を訴え関係書類を揃えて高裁に控訴
▽
二審裁判所(高裁)受理
この時点で一審判決が不当と『判・断』された というのが無名さんの主張です。
実際には「一審判決が不当だ」という理由であれば、一審が受け付け二審に送られます。
というか全面勝訴していない側が控訴するのは、「一審判決不当」が理由です。
民事訴訟法でいえば、第281条~第287条あたりの手続き。
繰り返しになりますが、民事訴訟法は民事訴訟上の手続きの流れに
沿って定められているものです。
控訴審の「判決」がでてからの取り扱いと、審理を受け付けた時の扱いを混同して
難癖つけているだけですね。
その後審理がすすんで「和解」になったという以前のお話です。
日顕宗の門徒が、和解についていいかげんな解釈で難癖をつけているのと
まったく話が違う箇所です。
手続きの時系列を無視し、控訴受理事に第305条を適用されたかのような
強弁は「ためにする批判」です。
何度問い返しても、305条が適用されると言い張るしかない。
さすがの彼等も、無名さんのような法律解釈での強弁はしなかった。
すっかり毒されているのは貴方ですよ。
どうせ民事訴訟法第305条をつかうなら、
二審で「和解」になったのだから、第305条が適用され
「一審の判決および、事実認定部分も破棄されている!」と日顕宗門徒の
かねてからの主張でつかうべきだったのです。
以上、無名氏の思い込みによる法律解釈での反論は、
※「受付時に」とか「出た時点で」とか「受理した時点で」とか時系列に
難癖つけるは見苦しい
( 投稿日:2014-07-03 10:54:15 )
と無名氏自身が手続き上の話しを始めたにも係わらず、主張の根幹を変遷させる
に至りました。
私は無名氏の持論は時系列も法的にもおかしいと反論をしていただけです。
頼まれてもいないのに勝手に、難癖をつけに来て、自分のミスを指摘
されるや相手の瑕疵であるとするは卑怯者のやる方法です。
したがって、これ以上の無名氏との討論は無意味であるとともに、新たな話題を
妨げる妨害行為と見なしたいとおもいます。
以上の理由で無名氏に対し『アク禁動議』を、提出させていただきます。
追記になりますが、以前にも無名氏は対日顕宗門徒との討論中(長崎原爆の被害について)
富士宮ボーイ掲示板にやってきて難癖をつけてきた疑いがあります。
彼は、学会側掲示版に寄生し、日顕宗門徒の主張を素直に許諾せよと、誑し込むだけの存在
だと思われますので、その点においてもアク禁は妥当だと考えます。
慣例により賛同者三名以上で、アク禁が確定いたします。
投稿者の皆さん。よろしくお願いいたします。
-
>>※審理(提訴・上訴含む)を裁判所が受け付けた時点で相手の主張は認められた
>> という「無名」さんの論拠となる民事訴訟法の条文は?
(第一審判決が不当な場合の取消し)
第305条 控訴裁判所は、第一審判決を不当とするときはこれを取り消さなければ
ならない。
(控訴棄却)
第302条 控訴裁判所は、第一審判決を相当とするときは、控訴を棄却しなければ
ならない。
>>※また、控訴審の受付時に一審判決が不当とみなされるのではありません。
>> 控訴審での判断(判決or和解)が出た時点で一審の判決の取り扱いが決まります。
>> もし、「無名」さんが、控訴し裁判所が受理した時点で一審判決が「不当」と判断
>> されるとおっしゃるなら、民事訴訟法該当の条文を出してください。
(第一審判決が不当な場合の取消し)
第305条 控訴裁判所は、第一審判決を不当とするときはこれを取り消さなければ
ならない。
(控訴棄却)
第302条 控訴裁判所は、第一審判決を相当とするときは、控訴を棄却しなければ
ならない。
【宗門から見た流れ】
一審判決敗訴 →→関係書類を揃えて控訴 →→二審裁判所受理・審理 →→和解勧告
→→和解条項双方合意 →→確定
阿部日さん、「受付時に」とか「出た時点で」とか「受理した時点で」とか
時系列に難癖つけるは見苦しい。
>>※民事訴訟において特定の裁判にのみ民事訴訟法の手続きに基づかない特例がある
>> のならその条文を示してください。
>>(控訴審で和解になると、一審で認定・推認された事実までもがなかったことに
>> なるという法的根拠)
第305条 控訴裁判所は、第一審判決を不当とするときはこれを取り消さなければ
ならない。
第267条
和解又は請求の放棄若しくは認諾を調書に記載したときは、その記載は、
確定判決と同一の効力を有する。
【シアトル裁判 和解条項=確定判決】
第2 当事者双方は、当裁判所の和解勧告の趣旨を尊重し、次のとおり和解をする。
1 控訴人らは本件各訴えを取り下げ、被控訴人らはいずれもこれに同意する。
2 控訴人ら及び被控訴人らは、相互に、今後、上記第1、2記載の争点にかかる事実
の摘示、意見ないし論評の表明をしない。
3 控訴人ら及び被控訴人らは、控訴人らと被控訴人らとの間において、本件に関し
本件和解条項に定める以外に、他に何らの債権債務がないことを相互に確認する。
4 訴訟費用及び和解費用は、第1、2審を通じ、各自弁とする。 (以上)
追記 和解条項第2、2は、相互に名誉毀損にあたる行為をしないことを確約する趣旨
のものであり、同第1、2記載の争点にかかる事実の存在を単純に否認することは
これに抵触しない。
>>無名さんこの三点に具体的にお答えください。
>>貴殿が出したのは民事訴訟法の第305条だけです。
第305条を否定する根拠を論証してください
- 泣き言のような正論調はいらんよ。
あなたが「容認=悪」で出発していることには変わらない。
そういったミスリードはおやめなさい、って言ってるんです。
- 訂正。
(誤)あなたのような「反対=悪」ありきで
(正)あなたのような「容認=悪」ありきで
- 朝日新聞ばりのミスリードしてはいけませんよ。
「集団的自衛権の限定容認」=悪、だなんてところから出発点のご主張は、まさに独善。
組織動員されたデモなどに、全ての国民の声が集約されているなんて錯覚してはいけませんよ。
国内を二分する議論であるのは確かですが、
世論調査でも容認は過半数を越え、
保守派にも反対論があるものの、その本質的な部分は「集団的自衛権」そのものを反対しているのはありません。
いずれにしても、
あなたのような「反対=悪」ありきで、公明批判に結びつけるのは、
主張として稚拙、かつ、「討論」に値しませんね。
読者をバカにしては、恥かきますよ。
そろそろお引き取りください。みっともない。
- >>39735
阿部日氏がNo.39732で示した最高裁の判例には沿わない
・・・と言う意味でNo.39735にて『適用されるとすれば日蓮正宗側です。」
書いたつもりだったのですが ああ いけね 第130条は
あくまでも妨害行為に関して定められた法律で
しかも被害者は 日蓮正宗側なので 誤解を与える表現になり易く
この部分は撤回します。
・・で 改めて もう一度書きますが 阿部日氏がNo.39732にて用いたその判例は
今回の場合 和解条件の1-2に抵触している事から関係がありません。
寧ろ 論点回避を目的とした詭弁です。
従って 130条に規定による妨害行為を行っているのは創価側であり
更に民法131条の方が この場合は妥当で
よって128条と709条の規定によって罰せるられる可能性があります。
また そうった紛らわしい判例を示して誤審を招くような誘導を行っているのは
No.39732のログを読んでも明らかで、相当、悪質です。
そういえば その手の 紛らわしい誘導で
裁判官の心証を覚乱させようとしていた 早稲田出身のライターさんがいましたね
(面白い事にNo.39732のメモした内容と同じ事が書かれていたサイトを
簡単に見つける事が出来ました その人も同じ早稲田なんですね~)
- >>39732
創価学会側には民法130条の適用は認められません
何故なら妨害行為を行っているのは 創価学会側であり
和解条件の1-2にも抵触するからです。寧ろ 適用されるとすれば日蓮正宗側です
更に 判事による自由心証主義によりけりですが 恐らく判事は一連の流れを見ていれば
あなたが 脱法的な逃げ道の対策として130条を利用している。
・・と判断する可能性が高く
しかも 和解条件に関しての事なので この場合は、民法131条が妥当で 従って
阿部日氏及び 歩く象さん 及び そのソース元を提供した 創価側の宮田弁護士も含め
128条を適用する事が可能になり 依って709条に抵触して罰せられる可能性はあります。
- 河内平野さん
※まだやってたのね !
天才・池田晴彦両氏はアク禁となりましたが、
日顕宗門徒の意見を引き継いだ内部(?)の「取り引き好き」そうな無名さんが
沖浦さんの掲示版との媒介をしています。
彼の主張も出尽くしたようなので、最終確認をさせていただいております。
///////////////
歩く象さん
中身のない「無名」さんの批判にいちいち乗る必要はありません。
彼の主張も出尽くしましたから、教学論評の手法とおなじように今回の論点を
確認しつつ、最終弁論をまとめてみるのはいかがでしょう。
三度言っても答えない人は、真摯な対論の対象にはなりません(笑い)
- アク禁動議を出す前に一つだけ確認をさせてください。
三年ほど前の話ですが・・
No.32951 2011-08-09 17:05:27 あべひさん 投稿者:無名
から
No.32956 2011-08-09 17:24:40 あべひさん 投稿者:無名
確認の為に記事リンクを貼ります。
1※
他宗の事をどうして執拗に難癖つけるんですか。
こちらはこちらで頑張ればいいわけです。
長崎であちらのお寺がご無事だったなら
人の命が救われたわけで、喜ぶべきことですよ。
(以下略)
http://goo.gl/tdHBSe
2※
世の中にはお題目を唱えてない人のほうが
多いですよね。
どうしてそちらを折伏しないのですか。
(以下略)
http://goo.gl/9kYuoT
3※
それに貴方、怨嫉ばかりですね。
すぐにやめましょう。
(以下略)
http://goo.gl/DexFlJ
4※
そんなこと言ってません。
互いに頑張ればいいのです。
人は誰でも仏になれるのですよ。
(以下略)
http://goo.gl/2rddvt
5※
貴方は日蓮正宗信徒の作るお米は食べませんか?
日蓮正宗信徒の飼育した肉は食べませんか。
日蓮正宗信徒の作った服は着ませんか?
(以下略)
http://goo.gl/GDf7oW
以上引用
/////////////////////
これらはすべてHN「無名」さんの投稿です。
ただし2011年、こちらで日顕宗門徒「蛍」氏との長崎原爆に関する
討論をしていた頃の話です。
今回のシアトル裁判討論の状況とおなじく
法華講員と学会員さんが討論をし、法華講員側が主張の論証責任を放棄して
ゴタゴタしていた頃に突然書き込まれた「仲裁」勧告です。
また日顕宗側の論拠を取り込んだり、こちらを批判する学会員さんの主張を
パクって批判するパターンも同じ。
この日顕宗批判に消極的な五連投は貴方ですか?
あくまでこれは確認です。
あまりにも文体や善意の第三者を装い日顕宗弁護をする演出が似ていますので、
気になりました。
また、本題の
※審理(提訴・上訴含む)を裁判所が受け付けた時点で相手の主張は認められた
という「無名」さんの論拠となる民事訴訟法の条文は?
※また、控訴審の受付時に一審判決が不当とみなされるのではありません。
控訴審での判断(判決or和解)が出た時点で一審の判決の取り扱いが決まります。
もし、「無名」さんが、控訴し裁判所が受理した時点で一審判決が「不当」と判断
されるとおっしゃるなら、民事訴訟法該当の条文を出してください。
※民事訴訟において特定の裁判にのみ民事訴訟法の手続きに基づかない特例がある
のならその条文を示してください。
(控訴審で和解になると、一審で認定・推認された事実までもがなかったことに
なるという法的根拠)
無名さんこの三点に具体的にお答えください。
貴殿が出したのは民事訴訟法の第305条だけです。
それも拙が、【No.39697 ハイハイ 話題を逸らさないで根拠を示して】
http://goo.gl/miFCrU
で反論をし、「無名」さんの錯誤であり、主張の論拠となりえないことを示しました。
民事訴訟法は民事裁判における手続きのルールです。
もし、「無名」さんの主張が正しいなら、明文化されています。
法的根拠がないのに「思い込み」で話をすすめていかれても結局、「無名」さんに
対する心証が不利になるだけです。
沖浦さんの掲示版で見栄をはって、たのまれもしないのに「仲裁役」を名乗り出た
以上、歩く象さんや私に対して「シアトル裁判の話題をやめさせる」といった実利を
得るまでは、居座ってやると怪気炎あげるのは無意味ではないでしょうか。
これではたんなる「富士宮ボーイ掲示版」に対するイヤガラセです。
そういった思い込みと根拠のない感情的なイヤガラセは、それにふさわしい掲示版で
継続してください。
どうしても自省できないのならアク禁動議を提出させていただきます。
-----------------
(民法一口メモ)
民法130条には(条件の成就の妨害)という条文があります。
第130条
条件が成就することによって不利益を受ける当事者が故意にその条件の成就を
妨げたときは、相手方は、その条件が成就したものとみなすことができる。
わかりにくいでしょうけれど、説明します。
上記条文は「不利益を受ける側」の視点で書かれていますが、「利益を受ける側」
が故意に条件を成就させた場合は、成就したことにならないという最高裁判例が
あるのです。
たとえば裁判で「和解」となり、相手に対して条件付きで罰則などを設ける場合が
あります。
「和解条項」に反すると、100万円を支払うと約束していたとしましょう。
賠償金(利益)を受け取る側が企みを以て故意に相手に条件を破らせれば利益を得る
事が可能になってしまいますよね。
したがって、利益を得る側が相手に和解条項に反するようにしむけた事が証明できれば、
約束を破ったことにはならないのです。
とは
- まだやってたのね !
皆様、ご苦労様です。笑
- 突然ですが、
思うところあって、近日中にタイミングを見て
「創価学会の反戦運動を考える」考察シリーズ
を投稿していきたいと思います。
- 大勝利さん、
別掲示板とのやり取りは私の望むところではありません。こちらの話題はこちらで
お願いします。今回は貴兄が何故か不満そうに思えるので特別と思ってください。
私は他の方の意見は尊重しているつもりです。公式見解と異なる思いを抱くのは人
の常です。それ自体をおかしいこととは思いません。問題なのは、それを否定する
意見を明確に持っているのに、問われるとすぐに言葉を飲んで、肯定していると虚
言を吐く、そういう無名さんの平気で言葉を左右する「言論態度」にあります。
なぜ彼は否定だと否定と言えないのでしょうか。彼にはそれが出来ない。
私は公式見解を擁護しています。その私を創価学会の考え方と無縁であるかのよう
に言うし、話す度に内容が変わる、そんな発言責任の無さを問題にしています。
発言に責任がないから、根拠も無く、飛躍した結論ばかりにすがりついてるだけ。
弁明させていただきますと、大勝利さんは言葉を左右になどされていませんし、私
が言うべきこともありません。和解条項の被控訴人が一般学会員を含まないと考え
ておられるとおりです。それ以上の法律見解は争論があってもいいではないですか。
それについて私に指摘されたければ、ここでお願いします。私の意見はどうでもよ
く、一人で述べることで気がすむのであればそれもお止めしません。ただそれだと
今回のように何故か疑心暗鬼になったりされるのではありませんか?
加えて無名さんは、日顕宗で答えられないのも大いに不審です。自分の立場を偽った、
そんな成りすましで意見を述べている、つまり、自分の考えて述べているのではなく、
他教団の宣伝の虚言が述べられるのを私には許せとは、貴兄もまさか言われないと
思います。どうか冷静に見守っていただけませんか。
- 誤魔化しはいいですから。あなたが言葉を左右したげくに答えに窮した、
No.39722にきちんと答えてください。
・学会の公式コメントは正しいのですか?
・日顕の特別な内証はあるのですか、無いのですか?
下のダイジェストを利用させてもらいますm(__)m
●No.39540 投稿者:重い荷物を背負ってよたよた歩く象
投稿日:2014-06-21 23:36:11 ID:f56eabb75
◎日顕が「売春婦と性行為を行った」。
●No.39524 投稿者:重い荷物を背負ってよたよた歩く象
投稿日:2014-06-20 20:00:30 ID:f56eabb75
◎一審で日顕が、「売春婦と性行為を行った」
と判決文に記されているのは事実です。
●No.39516 投稿者:重い荷物を背負ってよたよた歩く象
投稿日:2014-06-19 23:40:14ID:f56eabb75
◎本訴訟の判決文の認定事項から
「阿部は(略)売春婦と性行為を行ったこと(略)が認められる。」と。
●No.39421 投稿者:阿部日ケーン(院政)
投稿日:2014-06-14 12:17:32 ID:c171fb90b
◎シアトルにおいて、売春婦に対しヌード写真を撮らせてくれるように頼み、
売春婦と性行為を行った後、その料金をめぐって売春婦らとトラブルを起こし、
警察沙汰になったことであるというべきである
●No.39424 投稿者:重い荷物を背負ってよたよた歩く象
投稿日:2014-06-14 13:26:57ID:f56eabb75
◎米国では初めて迎えた出張御受戒。何より荘厳な儀式であるべきなのに。
夜な夜な一人でホテルを抜けて、遠くまで飲みに出張したのは、日顕の供述。
当初は一歩も出ていないと言ってたのに、裁判になったとた一変しました。
立ち寄った店の名前も自分から述べておきながら、下着姿の女性のいた店の
写真が提示されると、急に、伺っただけで中に入りはしなかったと変遷。
そんな不自然な供述の変遷ばかりで、虚偽の証拠の提出まで。
その事実は消せない。それのどこが仏様なのか。
その後、売春して、深夜に助けてもらっておきながら、後年、婦人を嘲笑。
こっそり米国の記録に手を付けておきながら、デマ宣伝で謀略。
●No.39321 投稿者:重い荷物を背負ってよたよた歩く象
投稿日:2014-06-10 00:05:08 ID:f56eabb75
◎『阿部は、カルーセルルームを出た後、セブンスアベニューとパイク通り
の交差点の南東角にあるマッケイ・アパートメント又はその付近にある
ホテル等において、売春婦に対し、ヌード写真を撮らせてくれるように
頼み、売春婦と性行為を行った。』
と、「売春婦と性行為を行った」と公式に認定されています。
- 無名さん、
あなたが答えられないのですよ。
- そうですか
では世間に問うてみましょう。
- 無名さん、
おや、今度は誤魔化しですか。あなたは学会の正式に発表した法務見解、宮原弁護
士団長の見解を否定していたではありませんか。それはあなたも認識していたはず。
No.39703ですね。特に以下の会話は絶妙。
【象】:あなたの主張は、法華講員のそれと何も変わりません。
【無名】: 普通に解釈したらそうかも。
なのにあなたは、公式見解に忠実だと今度は言ってしまえる人。誤魔化しですね。
公式見解は『第1審判決は、事実として厳然と存在しているのです。』
『そうである以上、創価学会側として訴えの取り下げに同意しない理由はない』
ですね。正しいのですね、これは。
こういう子供みたいな問答があなたには必要なわけです。
そして、日顕に相承があり、日顕だけに特別が内証があるというのは嘘なのですか、
どうなのですか。そんな特別な内証が今でもあるのなら、学会の御本尊が偽物だと
いうことになりますよね。あなたはそれをどうして否定できないのですか。
答えられないのは、学会員であることを否定しているのと同義になりますね。
>>39719
>>無名さん
>>
>>変遷してないって・・。(^^;)、すごいです。自分の発言に何一つ責任がないのも。
>>和解工作とか言ってたのに、今や、私の存在を不利益と言ってますよ。
オイラの概念は、ウザイ貴方のことを不利益な存在として、
注意喚起してますけど?
>>そうして学会のためのようなことを言ってて、学会の公式見解を否定してしまう。
否定? 公式見解を忠実に守って注意喚起してますけど?
どこまでも自分の発言に何一つ責任をもたないのですか?貴方?
- >>39719
2ちゃんじゃ 屁理屈コネ男君とも呼ばれているんですからね
自称 信心歴40年の方
- 無名さん
変遷してないって・・。(^^;)、すごいです。自分の発言に何一つ責任がないのも。
和解工作とか言ってたのに、今や、私の存在を不利益と言ってますよ。
そうして学会のためのようなことを言ってて、学会の公式見解を否定してしまう。
それでは不遜に見えるという私の客観的な意見をどう思いますか。それに、日顕に
内証がない云々についても何も触れられないのは、どうしてなんでしょうね。
無名さん、日顕に相承なんか無くて、内証があるなんて嘘つきですよね。
どうして答えていただけないのですか。事情でもあるのですか。
なんなら、正本堂の上側が手抜き工事ばかりなのに、基礎部分が手抜きでないこと
なて確認しようがないので、嘘つきという話題でもよいのですよ。
何か言って、明確にしてほしいですね。
学会のことを非難する法華講員ならまだ認めましょう。立場を装う成りすましさん
なら、それだけで、真実なんて何もないようなものですから。
- あべひさん+象さんへ
まだ一審の地裁判決を盾に真実だと言い張るのなら
一審における 判事に対する 創価学会側の心証自由主義に対する悪用の可否や
判事が二人も交代した件について問いますよ
判事が二人も変われば その場その場に応じて心証も変わり
シロをクロに仕立て上げる脆弱面がありますからね
- 本日、2014/7/1 をもって 阿部日ケ~ンの「魅惑的な人々」excite版が
管理者によって消去されました。
以後、阿部日ケ~ンの「魅惑的な人々」FC2版をメインのブログにしたいと
おもいます。
富士宮ボーイ管理者殿、こちらからのリンクを
http://captivated2.blog.fc2.com/
に変更おねがいいたします。
なお、excite版記事は、順次過去ログから抜粋して転載していきますので、
お目汚しになるとはおもいますが、閲覧の皆様のご理解を賜りますよう
お願いいたします。
あべひ 拝
- アク禁動議を出す前に一つだけ確認をさせてください。
三年ほど前の話ですが・・
No.32951 2011-08-09 17:05:27 あべひさん 投稿者:無名
から
No.32956 2011-08-09 17:24:40 あべひさん 投稿者:無名
この日顕宗批判に消極的な五連投は貴方ですか?
- あす行われるという閣議決定の根拠は、お手盛りの《安保法制懇》と内容は「完全非公開」の《自公与党協議》だけ。国民の民意など、どこにも反映されていない。内容うんぬんの前に、民主主義の原則に完全に違反した政治的クーデター。一宗教団体がそれに加担したということ。
1999年以来の自民・公明の関係において、公明・創価学会の関係をだれよりも知っているのは自民党。いくらでも「脅しの素材」を持っているはずだ。戦えなくなった宗教団体は、今後も言いなりになるしかない。これからも国政公明党には期待できない。同じことを繰り返すだけ。
28日付産経。公明陥落の原因を、今年1月24日の通常国会召集日に山口代表が記者団に「政策的な違いだけで連立離脱は考えられない」と早々に連立離脱カードを封印した『作戦ミス』を指摘している。まあ喧嘩下手なんだろうな。でもそれで日本の戦争国家への道を開いたとなれば重大な失策だ。
28日付日経新聞。政府が与党に示した15事例のうち、集団的自衛権に関わる8つの事例は「すべて行使できるよう法整備を進める方針」。7月1日予定の閣議決定そのものに行使できる個別事例は盛り込まないが、実態は『全面解禁』に近い。秋の臨時国会からそのための具体的な法整備が始まる。
日本という先進国で進行している一種の政治的クーデター。公明党・創価学会執行部が「全面降伏」した結果だが、28日付公明新聞は「今回の閣議決定案の内容が、現行憲法の規範のもとでの解釈変更の限界点であるという認識を示し、それを自公両党で共有した」と。そこには何の『担保』すらもない。
自公あるいは自創がやろうとしていることは、どう言いつくろっても「立憲主義の否定」でしかない。今後は時の閣僚らによる自分勝手な憲法解釈によって、いくらでも各種の解釈が捻じ曲げることが可能になる。宗教分離原則もその例外ではない。「危険国家」への道を開いた自公。
「自作自演」と「談合」が渦巻く世界。
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/article/96159 …
20日付産経は1面で、「公明『白旗』ガス抜き急ぐ」の記事。公明&学会執行部が支持者の思いと関係なく、この問題で「白旗」を揚げたのは事実のようだが、その足元を見るかように閣議決定の内容案のハードルを大幅に上げ始めた安倍官邸。国会閉会中に本当にこんなものをまとめるのかね。狂気の沙汰。
公明党は19日も党内会議を開く予定という(読売)。強引にかじを切った党・学会執行部と公明党の非幹部議員&支持者の思いはあまりにかけ離れている。教団は何のために政治進出したのかといった分析報道を目にすることは最近ほとんどないが、その目的が変遷し、極めて独りよがりな状態に陥っている。
公明党が自らの前言を踏みにじり、翻った集団的自衛権問題。結局は支援団体である教団側の、権力に対する「怖れ」が大きいようだ。このままでは安倍政権の暴走が続くだけ。
毎日新聞によると、公明が一部容認に転ずるそうだ。いったん容認すれば、いずれ歯止めは効かなくなる。一宗一派の権益のためなら、国がどうなろうと関係ないという態度。
集団的自衛権の問題はもはや公明党の問題ではなく、創価学会の問題だ。神札を受けるかどうか、時の権力に迫られた時代相と類似してきた。撥ね付けて殉教の道を歩んだ初代会長の創価教育学会。保身で妥協は日蓮正宗宗門。所詮は一宗一派のための保身の政治か、国民のための政治か。信念が問われる。
公明党の伊佐進一という議員は、秘密法でもいい加減な説明を支持者に繰り返していたね。こんな人間が議員になるのは、学歴、経歴ばかりを重要視する公明党型選挙の弊害ともいえる。世の中の歴史的経緯や全体観の見えない、公明党の立党精神の「魂」を決定的に欠いた人間がのさばっている。
- 変遷? してませんし。
最初から貴方らの書き込みに注意喚起してますよ。
阿部日さんもそうですけど、今だ反省の色ゼロですわ。
貴方、何をしたか自覚ありますか?
ログに残ってますよ?
そこまで侮辱するんならもっと問題化しましょうか?
貴方ら、学会にとって不利益なんすよ。
迷惑なんす。
- 秋晴れさん、
せっかくレスをいただいたので、少しだけ。いえ、全然、怒ってませんから大丈夫ですよ。
レスをいただいたのは、個人的には嬉しいです。
ええと、きっと私の好き嫌いが激しすぎるとか、そういうことですか?
人の話をぼーと聞いてるなと言われそうですが、実は、よく意味がわかりません。
どうして、秋晴れさんがそう思われたのか、私に分かるように組み立てて説明してくれませんか。
無名さんは、主張が変遷しています。御自身も認めているとおりです。
また発言責任は、最初からありませんでした。それはとても大切なので私は指摘しています。
いやいや、私の説明よりも秋晴れさんが、どう思われたのかを最初から説明してほしいのです。
- どなたであれ、今ここを撤退する方を
責めたり、バカにしたりしません。
勇気あることだとも思います。
無駄な議論だったとは思いません。
ですがもうループしすぎ。
そろそろ富士ボーを一旦静かにさせましょう。
外野(ROM)としてお願いします。
- 貴方は、増上慢過ぎます。目的は同志間を攪乱することですか。
あべひさんは、長年、ここで論陣を張ってきた方です。
上手いことあべひさんに媚びっているようですが、あべひさんは、喰えないですよ。
当然に、利用も出来ません。
長年、付き合いのある方は、実はあべひさんをよく知ってます。
繊細で細やか、心の奥底は実は優しく正義感のある方です。
貴方とは、心の根底が違います。
さっさと、去って下さい。
- 無名さん、
いやあ、堪能させていただきました。
法華講員と主張が変わりませんよとの私の指摘に、な、なんと、
> 普通に解釈したらそうかも。
ですって。詳細は省略しますが、あなたはやはり下のコメントの内容には入らずに
自分の感想を述べるだけでした。しかも、あなたが一つ一つ否定したのは、創価学
会の公式見解、宮原守男弁護団長のコメントです。
あなたの稚拙な法律見解なんか、どうでもよいですから。
創価学会と、あなたの考えかたが違うという点は明確になったわけですから。
私のことを創価にあるまじきと非難したのも、実はそれも単なるポーズだったと。
本当はコメントを見てもわかるように学会に一分の尊敬もないわけです。
火がついたそうで、結構、結構。
次にこれに答えてください。
『日顕宗では、御本尊と御書と信心を、ないがしろにしながら、一方では、相伝と
か御内証とか、神秘めかして、法主が特別の秘密を知っているかのように見せかけ
ている。』(創価のルネサンス、第64巻)
よろしくお願いしますよ。
阿部日ケ~ンさんへ、
私のことを気にとめていただき、時期をずらしてこのように教えていただきまして
ありがとうございます。一点の曇りもなく受け取らせていただきます。ただ、あの
投稿は阿部日ケ~ンさんに宛てたつもりではなくて、全文、太ちゃんに宛てたつも
りだったのです。私のことをどう批判されようとも気にかけてくれてるのだし、た
だ元気でやってもらえたらなと思ったのですが。阿部日ケ~ンさんには、それを見
越して教えていただいているものと思います。私も「真摯な信心」、それに応えた
いと魅かれます。
- ※オイラの命に火をつけた。キチンとけじめつけましょうぜ
調停役のつもりが、論理破たんして闘争心?
無名さんネゴシエーター向きではありませんね。
おのれの技量や拙い知識を過信していただけのようですね。
かつてこちらをアク禁になった説教オヤジさんというかたがおられましたが、
あなたとまったく同じでした。
人を守るフリをして入ってきて、結局己のプライドを守ろうとする人って
自分本位の進路変更大好きですから、議論に向いていませんし、結果的に
守ろうとした人までも巻き込むので悪知識ですね。
沖浦さんも迷惑でしょうから、もうこないでください。
- >>39564
※最初に声をあげるのは、何がしかの勇気が要るものです。
そして私は真摯には真摯で応えないといけないと思っています。
だから私はもっと貴方に馬鹿にできるように何かの題材を提供
したいと思います。
意味がよくわかりませんが、基本的にこちらの掲示板では主に日顕宗の嘘、
悪事学的な間違いを、白日の元に晒し世間に問う形をとっています。
そのついでに、アンチ学会系の一般の方が扱う内容のソースが日顕宗の情報で
あることや、活動に批判的な自称学会員さんの扱う情報も日顕宗のネタを
改変したものであることなどを、紹介したりしています。
決して「バカ」にしているのではありません(笑い)
たとえば悪名たかき「自由の砦」や「創価学会被害者の会」等々ネットには
日顕宗関係者が運営していることを知らずに情報拡散をしている人が
います。
※私がそんなに大した人間ではありませんから。
私もそんなに大した人間ではありませんが、日顕宗の論理的な嘘に焦点を
あて、論じることはできるようになりました。
たくさん失敗をし、そのつど厳しくも暖かい指導や、模範をしめしてくださった
先輩方がおられたからです。
過去がどうあれ、今、そしてこれからどのように意見の違う「他人」と向き合うか
が大事だとおもいます。
歩く象さんもお気づきかとおもいますが「真摯」とは耳を傾けるだけではありません。
間違いをあげつらって、責めればよいというものでもありません。
今回富士宮ボーイ掲示板の慣例にそって、アク禁動議に賛成いただきましたが
、自分で感情をコントロールできない人に対し、ある所で「区切り」をつける
のもまた「真摯」といえるのではないでしょうか。
また、間違いをしっかり指導するのも「真摯」でなければなりません。
間違っていることはわかっていても、プライドが邪魔をして引くに引けない人も
います。
「真摯」とは“まじめで熱心なこと”
たとえ学会アンチさんであっても、ある意味「熱心」であるのは
他の学会員さんとたいして差がないのかもしれません。
ただし、自己顕示(自画自賛)に熱心なのかそれとも、信心に熱心なのか。
その一点がずれているだけで、同じようにみえる結果がまったく違った作用を
もたらします。
大白蓮華の七月号に、初級および青年教学試験研鑽の資料が掲載されています。
過去の経験から申し上げると、ネットでは、研鑽資料を基にを自分なりに勉強し
発表をされるかた、例題を作成し公開される親切なかたもおられますが、
中には、あれでは誤解をする可能性があるとか、学会本部はダメだ等々ケチを
つける方もおられるでしょう。
日顕宗のウソンコ法律解釈を取り入れている人、恫喝に屈して「日顕宗の
批判なんていまさら必要ないのでは?」などと他人行儀な人をみて
そういった方を実際に見たときに、どう対処するのか。
過去がどうであったとかは関係ありません。
「真摯」な信心 か 「真摯」な保身か
私が見ているのはこの点だけかもしれません。
全部答えてますよ。次は貴方の番でっす。
貴方はオイラ和解工作を踏みにじった。
それも他版に寄せた書き込みをこちらに持ってきての侮辱。
オイラの命に火をつけた。キチンとけじめつけましょうぜ。
- >>39701
>>無名さん、
>>
>>あなたの主張は、法華講員のそれと何も変わりません。
普通に解釈したらそうかも。
>> ①控訴人らが一般の学会員を意味する。
無関係す。誹謗中傷に所属は無関係。
>> ②和解で一審は無効だから審理の意味も消滅する。
「一審は無効」は正解す。「審理の意味も消滅する」は意味不明す。
理解不能。一審判決は取り消されて無効力、が正しい。
>> ③名誉毀損なので判決文を引用してはいけない。
名誉毀損に当たる誹謗中傷はアカンよ。
まして無効力の判決文。和解条項に違反した更にその上に
誹謗中傷してる。
>>以下は、学会の宮原弁護士のコメント文から
>>
>> ①『創価学会としては、触れないこととしたいと思います。』
>> ※ 会員には理解を求めただけで、制約するコメントは一切ありません。
「和解条項」が「制約」ですよ。
>> ②『第1審の判決は、その審理の経過、とりわけ事実ならびに証拠に照らし、
>> もはや動くことはないことを確信しており、訴えの取り下げというのは
>> 訴訟を終了させる一つの手続きに過ぎないわけでありますので、裁判所
>> からの強い勧告を尊重し、日蓮正宗側が自ら訴訟を取り下げるのであれ
>> ば、それに同意することはやぶさかではない旨回答しました。
弁護士が考えた言葉じゃないと思うよ。特に前文。
ともあれ結論は、訴訟を終了させる一つの手続きをして和解したんす。
それをもって「事実認定」完了。この和解での事実認定とは、
「 2 本件訴訟の最大の争点は、控訴人ら代表役貝のおよそ40年前のアメリカ
合衆国ワシントン州シアトル市内における行為が何かという点にあるところ、
その事実を確定するには、証拠上、時間的にも空間的にもまた言語上ないし
制度的にも、通常の訴訟に比して、格段に多くの障害があり、これまでの双方
の当事者、代理人の努力自体は多とするものの、これ以上事実の解明に努力す
ることが上記1の趣旨に沿うとはいい難いこと」
抜粋・要約すれば、
「最大の争点のシアトル市内における行為が何か、その事実を確定するには
云云、多くの障害があり 云云 和解を勧告する 」
>> 『結果としてシアトル訴訟の決着が明確についたことを意味し、第1審判
>> 決の内容は事実上いささかも揺るがないものであります。』
内容は取り消されてるから、
判決があったという事実はいささかも揺るがないものであります、が正しい。
>> 『自らの訴えの取り下げにより終結したということであり、創価新報等の
>> シアトル事件報道と、それを全面的に真実であると認めた第1審判決は、
>> 事実として厳然と存在しているのです。そうである以上、創価学会側と
>> して訴えの取り下げに同意しない理由はないと言えます。』
>>
>> ※ 一審の内容が厳然としていて揺るがないって、言ってます。
「内容が厳然としていて揺るがない」以外は間違ってはない。しかし
「控訴人ら及び被控訴人らは,相互に,今後,上記第1,2記載の争点にかかる
事実の摘示,意見ないし論評の表明をしない。」
までが事実認定。
>> ③『名誉毀損になるような形で事実を摘示したり、それに関する意見・論評
>> を行わない、ということであります。 』
>> 『日蓮正宗側が違約しない限り』
宗門の違約は何かという話になるけど、ここでは貴方の違約に注意喚起してるんす。
>> ※ どこにも引用が出来ないなんてありませんね。
12段上の条項が読めなきゃそうなるでっしょ。
それは貴方自身の責任だわさ。
>>というわけで、あなたと、学会の弁護士とどちらの言うことが正しいのか述べて
>>みてください。あなたはずっと自分の発言に責任を持てない人なので、真面目な
>>解答は期待できませんけど、何か言うことはできるのではありませんか。
貴方らは学会弁護団の注意喚起を無視して「日顕は買春した」と書き込んでますから、
この事実はいかなる弁明も通るものではない。
- それにしても中三日で100投稿でスレッドチェンジですからね。
法華講および日顕宗の裁判所感になびく人が、討論の体をなさない無駄投稿を
し過ぎだと思います。
あと、日蓮正宗法華講員、池田晴彦・天才両氏は三名の承認者をうけ
アク禁が確定しました。
また、「名無し」でかまってもらおうとしている人物はすでにアク禁対象と
なった人だと断定できますので、書き込み自動削除となります。
///////////////////////////////////////////
無名さん。
あなたの感想は結構です三つの質問に論拠を添えてお答えください。
※審理(提訴・上訴含む)を受け付けたと同時に相手の主張が認められたこと
になるという根拠となる民事訴訟法の条文は?
※控訴審の受付時に判決が不当とみなされるのではありません。
もしそうだとおっしゃるなら、民事訴訟法該当の条文を出してください。
※民事訴訟において特定の裁判にのみ民事訴訟法の手続きに基づかない特例がある
のならその条文を示してください。
(控訴審で和解になると、一審で認定・推認された事実までもがなかったことに
なるという法的根拠)
無名さんこの三点に具体的にお答えいただけないようでしたら
、この掲示板に居座るための言いがかりだということでアク禁動議を出させて
いただきます。
///////////////////////////////////
(一口メモ)
民事訴訟法第305条についてのYOUTUBE
http://www.youtube.com/watch?v=WTKe_IMt9JY
上記のYOUTUBEに簡潔に表現されています。
民法305条は
上級審において下級審の判断が『間違っていると判断した場合』は判決を
取り消します・・ というルールを定めているのです。
これは今回のシアトル裁判の件でいえば、地裁の判決と高裁の判決が違った場合
高裁の判決が優先されるというだけのことです。
刑事訴訟法にも似たような所がありますよ。
第三百九十七条
第三百七十七条乃至第三百八十二条及び第三百八十三条に規定する事由がある
ときは、判決で原判決を破棄しなければならない。
簡単に言えば、控訴審で新たな「判決」が出ると、
一審の判決が破棄されるというものです。
民事訴訟においても同じことで、上級審の「判決」は下級審よりも優先されるという
意味です
刑事訴訟には「和解」という概念はありませんので、もし嘘や事実誤認で刑事訴訟が
立件された場合、検察に訴え(公訴)を取り下げてもらうしかありません。
- 無名さん、
あなたの主張は、法華講員のそれと何も変わりません。
①控訴人らが一般の学会員を意味する。
②和解で一審は無効だから審理の意味も消滅する。
③名誉毀損なので判決文を引用してはいけない。
以下は、学会の宮原弁護士のコメント文から
①『創価学会としては、触れないこととしたいと思います。』
※ 会員には理解を求めただけで、制約するコメントは一切ありません。
②『第1審の判決は、その審理の経過、とりわけ事実ならびに証拠に照らし、
もはや動くことはないことを確信しており、訴えの取り下げというのは
訴訟を終了させる一つの手続きに過ぎないわけでありますので、裁判所
からの強い勧告を尊重し、日蓮正宗側が自ら訴訟を取り下げるのであれ
ば、それに同意することはやぶさかではない旨回答しました。
『結果としてシアトル訴訟の決着が明確についたことを意味し、第1審判
決の内容は事実上いささかも揺るがないものであります。』
『自らの訴えの取り下げにより終結したということであり、創価新報等の
シアトル事件報道と、それを全面的に真実であると認めた第1審判決は、
事実として厳然と存在しているのです。そうである以上、創価学会側と
して訴えの取り下げに同意しない理由はないと言えます。』
※ 一審の内容が厳然としていて揺るがないって、言ってます。
③『名誉毀損になるような形で事実を摘示したり、それに関する意見・論評
を行わない、ということであります。 』
『日蓮正宗側が違約しない限り』
※ どこにも引用が出来ないなんてありませんね。
というわけで、あなたと、学会の弁護士とどちらの言うことが正しいのか述べて
みてください。あなたはずっと自分の発言に責任を持てない人なので、真面目な
解答は期待できませんけど、何か言うことはできるのではありませんか。
大白法の転載、
今更、その作文で何を言いたいのでしょう。都合よく文章を書いてますけど、実に
読んでいて不可解な作文になったことを自らの文中で述べていますね。
『どうして創価学会側はせっかくの1審判決をむざむざ失効させることに同意した』
それでそのあとは疑問系の羅列が続きます。だから多くの法華講員は、日顕宗の裁判
はどれも不思議だとか思ってるんですよ。そんなで納得してるのが実に不思議です。
一言でいうと、事実の一方しか語っていないから、嘘でないと言えばそうだけど、
まあ詐欺ではありますね。