今日の「ありえへん∞世界」という番組でクウェートが特集されていました。
親日国と言っても、クウェートというと何となくぴんと来ません。
ところが、知らないことの連続で感動してしまいました。
①50年前、クウェートから日本に来て自転車で日本一周した青年の話
1963年、日本に来て自転車で日本一周した当時の青年を捜すという企画。
この番組のスタッフがクウェートのテレビに出演して、その50年前の青年を捜していることを訴えたので す。すると、何と本人からテレビ局に電話があり、家に行くとその青年はもう70歳で、貿易会社の社長になっていました。(家はすごい豪邸)
日本に行ったときの写真を挟んでいたアルバムを見ると、写真が一枚もなく、全て剥がされていました。
湾岸戦争でイラク軍に持って行かれたからです。
彼自身も湾岸戦争の時には47歳だというのに兵士となって戦いました。捕虜になって死刑判決を受け、あと二日で死刑執行という時に終戦を迎え、死なずにすんだのだそうです。
だから、生きていることが奇跡なのです。
なぜ日本に来たのかを聞くと、当時日本は高度経済成長のまっただ中、東京オリンピックを目指している日本を見てみたいと思ったのだそうです。
実際に彼は世界中立ち寄ったどこよりも日本が輝いて見えたそうです。
その彼がスタッフに是非御礼を伝えてほしいと言って見せたのが、50年前に東京でお世話になったお宅の御主人の写真。その風貌から、生きていても80~90歳くらい。
普通に考えて、生きているとは思えません。しかし、生きておられたのです。御年98歳!
しかも、すごくしっかりしていて、その当時のこともはっきりと覚えていました。どうして彼と知り合ったのかと言えば、そのご主人がパキスタンにいたときに彼と知り合い、連絡先を書いて渡していたからなのです。
これは、すごいことですね、奇跡の連続でした。
②三陸鉄道開通式になぜかクウェートの国旗が!
かつて湾岸戦争時に巨額の資金を提供した日本ですが、クウェートが感謝する国の中に日本が入っていなかったと言って、「クウェートの恩知らず」と新聞記事に書かれていました。
なのに、その国がこんなことで日本を好きになってくれていたとは・・・・。
それは、東日本大震災後のこと。
あまちゃんの舞台ともなって有名な久慈市での出来事です。
三陸鉄道が東日本大震災で甚大な被害を被って再開するには巨額の資金が必要でした。
元々赤字を出している会社です。資金のめどが立ちません。
そこに使われたのが500億円のクウェートからの援助。だから、開通式の時には、地元の人たちがクウェートの国旗を振っていたのです。
しかし、この援助のうらには日本の貢献がありました。
湾岸戦争後の自衛隊による活動です。
湾岸戦争時には、イラクから海に機雷(海の地雷のようなもの)が投げ込まれ、クウェートは船を航行させることができず、石油運搬に支障をきたしていました。
この機雷処理を任されたのが自衛隊員約500人。このときの隊員の平均年令が32歳。最年少は19歳。
しかし、国内での世論は「自衛隊は海外に行くな!」だったそうで、肩身の狭い思いで出かけていったそうです。
行けば朝4時から14時間ずっと働きづめ。
なのに隊員達は「いやだ、つらい、帰りたい」などとは一言も言わず、にこにこと働くのだそうです。そのおかげで機雷はすべて除去でき、クウェートの人たちから絶大な信頼を得られたのだとか。
そのことがあって、クウェートと日本の関係が良好になったわけです。
こういうのを学校現場でも教えてほしいですね。
今までこの番組を真剣に見たことがありませんでしたが、これから時々チェックして見ておきたいと思いました。