集団的自衛権:シベリア抑留に特攻隊員 元日本兵の危惧
毎日新聞 2014年07月02日 13時28分(最終更新 07月02日 15時41分)
政府が1日、集団的自衛権の行使を認めたことで、自衛隊は米軍などと一緒に海外の戦争に参加したり、戦闘地域で活動したりすることが可能となった。専守防衛という国是の大転換に危機感を募らせる戦争体験者は少なくない。69年前、命の危険を味わった旧日本軍兵士2人に思いを聞いた。【福永方人】
◇シベリア抑留兵の宮崎さん「戦争はみじめで残酷」
「戦争とは国民が殺すか殺されるかという状況に身を置くこと。政府は分かっているのだろうか」。元シベリア抑留兵の画家、宮崎静夫さん(86)は、熊本市北区の自宅でいら立ちをあらわにした。
熊本県小国町出身。15歳の時に満蒙(まんもう)開拓青少年義勇軍に参加して旧満州に渡り、17歳で関東軍に志願入隊した。終戦後は4年間、シベリアに抑留された。
終戦直前の1945年8月13日、旧満州ハルビン市で自爆攻撃に志願した。戦況は厳しく、「どうせ日本は負けるだろうから、やけくそですよ」。翌日から自分で掘った「タコつぼ」の中で、爆薬が詰まった木箱を抱え、ソ連軍の戦車を待った。不思議と死への恐怖はなかった。「軍国教育で国のために死ぬのは名誉というか、当然だと思い込んでいたからでしょうね」
15日に玉音放送を聞くために外に出た。「あと1日、いや半日終戦が遅かったら間違いなく死んでいた」と言う。
シベリアでは収容所を転々とさせられた。極寒と飢え、重労働の三重苦。一日の配給が小さなパン1個の時もあった。戦友たちが次々と倒れた。
行使容認で、自衛隊員が海外の戦場に行く可能性がある。宮崎さんは「人々が熱狂し、一つの方向に流れ始めると、なかなか止められない怖さがある。だが戦争がいかにみじめで残酷か。今の若い人たちには想像できないでしょう」と戒める。
◇元特攻隊員の池田さん「空気に流されないで」
元特攻隊員の美術家、池田龍雄さん(85)=東京都練馬区=も「今後は自衛隊員が派遣先などで殺される恐れもあるが、それを受け止める覚悟が政治家や国民に本当にあるのか」と訴える。
佐賀県伊万里市生まれ。特攻隊員として茨城県の霞ケ浦海軍航空隊で訓練中、17歳の誕生日を迎えた45年8月15日に終戦を迎え、命拾いした。戦後は前衛美術の道に進み、反戦・平和をテーマにした作品も多い。