<集団的自衛権の行使容認は利益か損失か>【基礎知識】集団的自衛権をめぐる憲法解釈はどう変遷してきたか?
日本の論点 3月17日(月)19時33分配信
しかし1989年から91年にかけて、冷戦が終結しソビエト連邦が崩壊すると、軍事バランスが崩れ安全保障環境は激変する。そうした状況変化を背景に、日米で協議されたのが「日米安保の再定義」だった。日米同盟の強化を進めれば進めるほど、日本政府の集団的自衛権に関する憲法解釈との整合性がクローズアップされるようになった。
97年に決定された「日米防衛協力のための指針」(新ガイドライン)では、“周辺事態”における米軍との相互支援活動が打ち出され、99年には、戦闘行為が行われる可能性のない「後方地域」に限って、自衛隊が米兵の捜索・救助を行ったり、燃料や食料など武器弾薬以外の物資を提供できるとする「周辺事態法」が成立する。「直接相手を殺傷する兵器でなければ、米軍に物資を提供しても集団的自衛権の行使には当たらない」というのが政府の説明だった。しかし、戦闘地域を「前線」と「後方」に分けること自体むずかしく、集団的自衛権の行使に当たるのでは、という批判も強かった。
次に集団的自衛権が議論されるようになるのは、2001年9月11日に起きた米同時多発テロの直後からである。米国を中心とした多国籍軍が組織され、テロリスト掃討作戦が始まった。自衛隊も国際社会の要請という名目の下、多国籍軍艦艇への燃料補給活動やイラク復興支援活動などに参加、その活動範囲を大きく広げることになった。
イラク復興支援においては、他国の軍隊と共に活動することは集団的自衛権の行使に当たるため、自衛隊の活動は多国籍軍の指揮下に入らない独自のものとされた。しかし一方で、自衛隊はオランダ軍やオーストラリア軍に守られて活動しているのに、彼らが襲撃されたとき、自衛隊が救援や応戦ができないのはおかしい、それでは「他の参加国から信頼を得られない」という批判が起きた。
北朝鮮の弾道ミサイル開発を受けての日本の対応も同様だった。自衛隊が導入を決定したミサイル防衛(MD)網の整備は、米軍との密接な協力関係のもとに進められたため、集団的自衛権の行使を禁じた従来の憲法解釈との整合性が問われたのである。
最終更新:4月1日(火)14時31分
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