<集団的自衛権の行使容認は利益か損失か>【基礎知識】集団的自衛権をめぐる憲法解釈はどう変遷してきたか?
日本の論点 3月17日(月)19時33分配信
1946年に公布された日本国憲法は、9条2項で「戦力の不保持」と「交戦権の否認」を規定した。しかし1950年、朝鮮戦争が勃発すると、米国は、当時日本の占領に当たっていた米軍のほとんどを朝鮮半島に派遣せざるを得なくなり、その軍事的空白を埋めるために、日本に警察予備隊の創設を命じた。国内の保安のためという理由だった。51年、サンフランシスコ講和条約とセットで結ばれた日米安保条約が発効すると、警察予備隊は保安隊に改編(52年)。ついで54年、日米相互防衛協定が結ばれ、自ら防衛力増強の義務を負うことになって誕生したのが自衛隊である。
最小限度の防衛力の保持とはいえ、こうして軍備の増強が進められる過程で、「戦力の不保持」を謳った憲法9条との整合性が問われるようになっていった。自衛隊が発足した54年には、佐藤達夫・内閣法制局長官が自衛権の発動には(1)わが国に対して急迫不正の侵害がある、(2)侵害排除のために他の適当な手段がない、(3)実力行使は必要最小限度、という三要件が必要である、と国会で答弁した。
以来、米ソの二大超大国が対立した冷戦下と冷戦終結後を通じ、日本政府は半世紀以上にわたって、自衛隊が実力行使できるのは「自衛のためであり、かつ必要最小限度」という条件下のみというタガをはめてきた。言い換えれば、集団的自衛権の行使は、自衛隊の行動範囲の「限度を超える」という解釈がなされてきたのである。憲法解釈や政府提出法案の事前チェックを行う「法の番人」と呼ばれる内閣法制局も、歴代の長官が「現行憲法は集団的自衛権の行使を禁じている」と国会で答弁し、その解釈を変えることはなかった。
◇限界に達している政府解釈
米ソの軍事力が均衡した東西冷戦の下では、西側諸国の一員でありアメリカの核の傘に守られていた日本は、本土の防衛以外のことを考える必要もなかった。在日米軍も、安保条約の条文どおり「日本の平和ならびに極東における平和及び安全の維持」を主任務としていたため、とりわけ集団的自衛権が問題となることはなかった。
最終更新:4月1日(火)14時31分
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