丁寧に選んだ故にエッジにいるのではなく、拘って選んでないが故にマイナーなものも知っているに過ぎない

photo by ♔ Georgie R

日記

 金曜日。今週は早かったような、そうでもないような。どちらにせよ仕事が忙しくてまともな事はできていないし、読書も勉強も『 モンスターハンター4』も進んでいない。停滞。

マジック:ザ・ギャザリング 【英語】 【アルファ】 停滞/Stasis

マジック:ザ・ギャザリング 【英語】 【アルファ】 停滞/Stasis

 ある作品には主観的な新しさと、客観的な新しさがある。いくつかの古典やオールディーズ音楽はしばしば主観的な新しさを提供することもあるのだけど、やはり「古さ」を感じる事が多い。画面が荒いとかそういう事だけではなくて既視感。

 僕は、あまり古典的な名作を嗜んでないのだけど、それはサブカルにありがちな「メジャー作品にハマれなかった」のではなく、そもそも摂取していないだけである。何かをすれば、何かが出来なくなる。ましてや人生において停滞のが多かった。

 よく「守備範囲が分からない」と言われるのは、その辺りが影響しているのだろう。丁寧に選んだ故にエッジにいるのではなく、拘って選んでないが故にマイナーなものも知っているに過ぎない。そもそもが「偏り」を切り取って見せているのに、全体がそうだと思うのは短絡である。系譜学的に詳しいものはひとつもない。他の人はわからないけれど、僕はそうだ。ところでヘーゲルは、弁証法のなかで「アウフヘーベン」という概念を提出している。

古いものが否定されて新しいものが現れる際、古いものが全面的に捨て去られるのでなく、古いものが持っている内容のうち積極的な要素が新しく高い段階として保持される。

止揚 - Wikipedia止揚 - Wikipedia

 この概念をあてはめると、しばしばマイナーになってしまう派生作品にも系譜学的に源流となるメジャー作品の中の「積極的な要素」が含まれていると考えることができる。実際、過去作品の引用の羅列のような本や映画やアニメなども多いわけだし、主張や物語の構造やSF的アイディアにも大きな違いはない。むしろ迂遠になりがちな源流作品よりも骨子を抜き出すのが楽だ。主観的に順序が逆になれば、源流側の作品にこそ「古さ」を感じるし、理解するのも楽になる。

 つまり「積極的な要素」はどうせ保存されているのだから、新しいものだけを摂取してればよいという暴論もあり得る。こういう事を書くと、本当に良いものを知らないままなんてとか言われるのだろうけれど、名作を効率よく摂取するためのリストをメンテナンスし続けたり、買っただけで満足しているよりはいくらかマシだろうという思いもある。選択基準は「偶然近くにあったから」で十分じゃないのかな。

 こういう「禁煙パイポ」の話をすると両方から叩かれるのだけど、意識が低い人間としては、なんだか古典的な名作から全てを得ようって考えるのも疲れちゃうし、敢えて変化球を狙うのも疲れちゃうよねって、次の『Skype読書会を開催して難しい本を理解できるようにしよう - 太陽がまぶしかったから』の題材である『ドグラ・マグラ』を読んでて思った。

お言葉

 そういう所はある。逆に作る側すら絶対に守れないだろうと思いながらルールを作り始めるのもそう。結局のところで、堕落を認めた上で生きねばならぬ。結末ばかりに気を取られ、この瞬間を楽しめない。メマイ。人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。だが堕ちる道を堕ちきることによってウルトラソウルは輝くのである。

購入本

仏教は宗教ではない ?お釈迦様が教えた完成された科学?

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読了本

ダンス・ダンス・ダンス(上) (講談社文庫)

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