07月04日の「今日のダーリン」

・都市で生活していると、たとえば冷蔵庫がなくても、
 少し歩いてコンビニに行ったら、
 飲みものでも食べものでもそこにある。
 車庫もクルマもなくても、タクシーをつかまえられるし、
 レンタカーを借りたらドライブはできる。
 服も、靴も、足りなかったら買いに行けばそこにある。
 料理をする道具がなくても、外に食べに行けばいいし、
 掃除が嫌いなら掃除する人を雇うということもできる。
 マンガも、本も、マンガ喫茶や図書館にある。
 
 さまざまな、「内」にあったものは、
 「外」に置かれることになった。
 内部だったはずのものが、外部化されていった。
 じぶん自身が身に備えておくはずだった技術なども、
 分業化され、部品として買えるものになった。
 
 ということは、じぶん自身も、
 他人にとっての分業の一部門であり、部品である。
 コンビニの売り子にとって、
 コンビニの客は販売というしくみの部品でもある。

 人が「機能」を求められるということは、
 それだけ「機能(部品)」として、
 あてにされているということでもある。
 都市とは、孤立化していくようにも見えて、
 実は部品としてあてにされている社会である。
 ただし、部品は壊れたり機能しなくなった場合には、
 交換可能であるような(匿名の)ものである。
 
 都市化というのは、分業化であり、部品化である。
 このことを、嘆いているのではない。
 そういうふうになってきたという事実を言ってるだけだ。
 
 逆に、都市を離れて自給自足などをする人たちは、
 できるだけ「内」に多くのことを取り入れたいわけだ。
 分業の他人をあてにし過ぎたくないのだと思う。
 ある意味では、こちらのほうが、
 関係をクールにとらえているのかもしれない。
 「どっちも選ぶ」という方法が、できるのではないか。
 都市と、都市以外、ふたつの中心を持つ楕円の社会。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
じぶん用のメモを、ちょっと読みやすくして掲載しました。