おもしろいドラマやバラエティというのものは、構成がとてもわかりやすい。観ていておもしろいと感じるものは、人それぞれの好みにもよるが、わかりやすいということがまず大事だと思う。
『マツコ&有吉の怒り新党』という番組は、見逃してもいいように毎週録画している。あのふたりの相手をしている夏目三久さんに興味を持った。たいしたものだ。夏目さんにとってこの番組が日本テレビ退社後初のレギュラー番組で、他社出演も初だそうである。
この番組の構成もたいへんわかりやすい。出演者も3人だけである。夏目さんはこの番組以降、テレビやラジオで大活躍している。業界内でも彼女に興味を持った方が多いのであろう。
各テレビ局の昼番組で、名ドラマの再放送が多い。やはり気になるものは録画しておいて、夜に帰ると真剣に観ている。現在放送中の各局のメインドラマより、過去の再放送の方がおもしろいのである。
以前、フジテレビが午後のニュース番組に力を入れたが、まったく視聴率がとれずコケた。そして、打ち切りになったその時間帯に、過去の人気ドラマの再放送をした。おもしろくて見逃せないものばかりである。
それらを観ながらいつも思う。 なんで今のドラマやバラエティは、つまらないものが多いのか。
小説やブログを読んで書くのも、基本は“おもしろい読み物”の探求である。書くときには、思いついたバラバラの断片をボイスレコーダに録音しておく。そのときは、起承転結やつなげることなどまったく考えていない。書きたいことのテーマだけは頭に入れておくが。
各ジャンルで表現方法はちがってくるが、やることの根本は同じだと思う。シナリオは具体的でわかりやすい文が優先となるため、形容詞や美文がジャマになる。文章にしようなどと思わない方がいいかもしれない。
小説だって取り繕ったような表現はかえってジャマになるだろう。シナリオでむずかしい心理描写も、小説では文中でかんたんに描けるが、それが多すぎるとかえって軽薄感が出て台無しだ。
そして、骨組みである構成がしっかりしていないと、ガタガタになる。いかにわかりやすく組めるか、であろう。
秋元康さんは自身の講演や著書で、面白い企画を作るために特別なことは必要ないと言っている。生活の中で記憶の「リュックサック」の中へ、思いつきをドンドン入れて組み合わせていくだけだと。
おもしろいことや企画の案は、日常の中にあるとのこと。
特別なことをしてしまうと、逆に見えなくなってしまうのである。
私は昨年11月末から、シナリオ作りの“箱書き”の代用としてアイデアプロセッサを使っている。ボイスレコーダに吹き込んだバラバラな“情報やアイデアの断片”をそこに放り込んで、あれこれと組み替えてみる。
構成がわかりやすくなり。バラバラだった異種の断片が、おもしろいようにつながればしめたものである。しかし、なかなか思うようにはいかないのが常である。
かつて、とてもお世話になった方がいる。その人の口癖は「なにかいいことない?」だった。飲みながら訊いたところでは、その口癖を意図的に使い始めたとのこと。
いろいろな人へ挨拶代りに使っても「そんなことはないよ」や「実はね・・」などと応えが返ってくるので、和やかな雰囲気になれるのである。
おもしろいということは、お笑いやおふざけということではない。むしろ、好奇心といった方がいいかもしれない。哀しいことが好き、ふざけたことは嫌い、真面目に生きたい、ためになる話がいい。そういう人たちにとっては、それが“おもしろいこと”だからそういえるのではないか。
そして、だれもが(自分にとって)おもしろいことを追及して、続けているということが
“人生”だといっても、いいのではないだろうか。