木村司
2014年7月5日01時45分
うだるような暑さの中、ゆっくりではあるが、一心に歩く白髪の男性がいた。
6月25日、岐阜市の山あいにある市営墓地。「鈴木家の墓」の前で、サクランボと、ペットボトル入りのマンゴージュースを供えた。やかんいっぱいの水を墓石にたっぷりとかける。しゃがみこみ、目を閉じ、手を合わせた。
汗がしたたる首筋に二つの傷痕が見える。横に約15センチ。幅は1センチ以上あるだろうか。首の後ろから胸元にかけても20センチほど。男性はどれほどの痛みを背負って生きてきたのだろうか。
鈴木洋邦さん(83)=岐阜県各務原市。70年前のこの日、日本統治下のサイパン島にいた。海岸近くの洞窟に、家族13人で息を潜めていた。
お昼ごろだろうねえ。天気はよかった。まわりはジャングルだから、背丈より高い木が茂っていた。わしは入り口に座っとった。洞窟の中を見るような形で座っとった。道がないでしょ。米軍が木を切って進んできたんや。その音を聞いて、「米軍が来た」と、始まったんや。
そこで起こった惨事。二つの傷はこの70年、鈴木さんに忘れることを許さなかった。まるで昨日のことのように語り始めた。
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